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四千字:小説『ニヤニヤ』

スズキは昔から芯の通った男だった。自身の中にある確固たる意志は、時に周りを巻き込み、時に疎まれもしたが、確固たる意志を持つ彼にとってそれは大きな問題ではなかった。彼にとっての問題と言えば、彼が生きている社会の問題それ自体だった。どういうわけか鬱屈した日々を生きることになった彼にとって、そういった問題は真に迫り、自分を当事者として考えないでいることは不可能だったのだ。しかし、周りの人はそうではない。そのこともスズキは知っていた。

彼は現在、とある工場勤務を生業として、日々を生きている。

 この日、スズキは工場勤務を終え、すっかり暗くなった深夜の帰路を、がっしりとした体で自転車をきしませて、のらりくらりと、煙草をふかしながらふらついていた。住宅街は人気がなく、誰も通らない横断歩道では、首を垂れた信号機がだらしなく点滅しているだけだった。

帰路もだいたい五分の三ほど来たところで、スズキは前方から人影がやってくるのをとらえた。視界にぼんやりと映るその姿はおそらく、男性の、それもスーツを着たサラリーマンのものだと思われる。「こんな時間までお互いご苦労だな…」と、ため息のような慈しみをスズキは感じた。

「せめてもの慰めに、その疲れた顔を覚えといてやろう」

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