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私たちはなぜ自粛しているのか ーコロナ禍の大学生、不要不急について考えるー

コロナが世界を変えてしまってから、もうすぐ一年が経とうとしている。

もう梅の花が咲き始め、虫たちもそろそろ出てき始めたのに、我々は未だに自粛生活を続けている。

まるで人間だけが季節に置いて行かれるように。

どうして我々は、自粛生活を続けているのか

どうして我々は自粛しなければいけないのか

「そんなの、もう分かりきっているよ。コロナだから。」こう思われる方がほとんどだと思います。

でも、「コロナ」ってなんですか?それが一体何だって言うんですか?

もうすぐ一年が経とうとしている今こそ、それを考える必要がある。そう思ってパソコンに向かいます。

コロナは、ウイルスを原因とする、現在(2月26日)およそ250万人の死者を世界中で出している感染症

こちらは厚生労働省のサイトです。

これは、誰かの陰謀やフィクションではなく、紛れもない事実です。あくまでも統計に過ぎないので、実際はもっとたくさんの人が亡くなっているのかもしれません。そして、もっと沢山、一億人以上の人がこのウイルスによって苦しめられ、その治療をする医療従事者も苦しんでいるのです。

しかし、私はこのウイルスについて、これ以上のことを語るのは避けたいと思います。それは私がコロナについて確実な情報を語れないこと、そして私が語る情報にリアリティがないという理由からです。

私はこの一年の間にコロナウイルスによる感染症にはかかっていませんし、家族や知人でかかった人もいません。よって、どのような病気であるか、目で見たわけでもないし、体験したこともないのです。

ニュースやインターネットで情報を間接的に知るのみで、それ以上のことは何も知りません。

リアリティがないという問題

これまでに、日本でもおよそ40万人以上の感染者が出ています。この数字は非常に多いですが、日本の人口が一億人以上だということを考えると、それほどでもないという印象を抱いてしまう可能性もあります。

地域によっては、コロナウイルスが本当に流行っているか疑いたくなるような場所もあるでしょう。ただニュースでコロナの情報を見て、何となくマスクをしているだけだという状況が、私にもありました。

そうすると、なぜ私たちは自粛をしなければいけないのか、そんなことを考えてしまいます。

しかし、人は数字で苦しむのではなく、ウイルスで苦しむ

戦争を例に考えてみます。戦争の恐ろしさ、愚かさは数字で語れるでしょうか。語れません。

戦時者が何百人出たという情報は、ただ一つの現象ではなく、誰かの夫、妻、息子、友人が死んだという例が何百もあるということです。

コロナに当てはめて考えてみると、およそ250万の死がどのようなものであるか、よく理解できるはずです。

そして実際、コロナはわが身に起こりうることであって、それは時に、大切な人の苦しみという形をもって眼前に現れます。

感染者が周りで出ていないからと言っても、すでに感染が全国に広まった今、どこで感染するのかは誰にも分からないのです

大切なものを苦しめる可能性は、出来る限り減らしておくべき

自粛するということは、単純にコロナにかかる可能性を減少させるものです。いわゆる不要不急の外出を控えるということ。それでウイルスに接触する機会は減らせるのです。

しかし、不要不急の外出とは一体何なのか

この言葉に引っかかっている人は多いように思われます。私もその一人です。この言葉を具体的に定義することは非常に難しいように思われます。

しかしここでは、あえて、外出の、ある意味での対価となる、自分自身の健康と大切な人の苦しみという観点から定義しようと思います。

不要不急の外出=

その結果、コロナにかかってもしょうがないと言えるかどうか

+一緒に暮らしている、近々会う予定のある人への配慮という点で適切かどうか

非常に不安定な定義です。なぜならば、それぞれの人の考え方を基準としているから。しかし、このような個人について関わる問題は、個人が自分ので熟考し決めることが重要だと思われます。

その際、大切な人を守るために家にいるという選択肢を考える必要があるのでしょう。

コロナにかかるのは「自粛しなかったから」ではない

コロナにかかった人に対して、「遊び歩いていたんだろう」という批判が出ることがあります。しかし、コロナは遊び歩いていたら、かかる病気ではありません

病気を引き起こすのはあくまでもウイルスであり、”放埓であること”ではないのです。

誰にも責任はありません。故意に感染させようとすること以外には。

最後に ー自粛とはー

ここまで、

・コロナが実際に人を苦しめ、時に死に至らせる病気だということ

・その危機は、今のご時世誰にでも起こりうるということ

自粛は大切な人を守るための行動であるということ

不要不急の外出とは、個人が熟考して決めるべきものだということ

・コロナにかかることの原因はウイルスだけであること

を述べてきました。

最後に

自粛とは「家に引きこもること」ではない

私はそう思います。

経済的理由で外に出ざるをえない人、誰かを救うために活動する人、自分自身を救うために外に出なければならない人、いろいろな方がいると思います。それは、生きていくために不可欠な人間的な生活です。

熟考し、家族の為、そして自身の為にしっかりと対策を行う

そのような姿勢を伴えば、外へ出ていったとしても、”自粛”と呼べるはずです。なぜなら、それは自分も含んだ大切な人を守るためであると考えるからです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。あくまでもこれは私の意見です。絶対に正しいということはありません。

この文章があなたに少しでも何かを与えられたらうれしいです。


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