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海の上の観覧車

ひろい海の上で、ゆっくりと観覧車はまわっていた。どこを眺めても綺麗な水平線がみえて、それが寂しかったり、救いだったりもした。

それはほんとうにゆっくりまわっていた。1周まわるのに1日はかかるものだった。
窓が開けられることに気づいたのも、とにかくすることがないからだった。
ひどくおなかが空いていたのと、だれかと話がしたくって、わたしはあたりのカモメに言葉をなげた。

「ねぇ、おなかがすいたわ。パンがほしいの。」

すると、一羽がヒラヒラとやってきた。足には一切れの白いパンが掴まれていて、わたしは雲をちぎってきたのかなとおもった。
それはとてもふわふわで、心おどるほどおいしかったけれど、食べたとはおもえないくらい満たされなかった。

カモメは呼べばやってきてくれて、頼めばいろんなものを持ってきてくれた。でも、どれもわたしの心を埋めてはくれなかった。
空はいつもスッキリ晴れていて、太陽や月がきもちよさそうにしていた。
きっと、ほんとうに雲をちぎって魔法をかけているのだろうとおもった。だからなにを食べてもなにをしても、ふわりと消えてしまうんだろうって。

一度観覧車から降りてみたこともあった。目覚めるとちょうど1周したところだったから、試しに扉を開けてみたのだった。
庭とも呼べないほどの小さな土地だったけれど、ひさしぶりに踏む土はすこしだけわたしをあたたかかくしてくれた。
せっかくだから土でおもちゃをつくって遊んだ。小さな人形のようなものをつくった。まるくてかわらしい目の女の子。
帰る家がないといけないから、おうちもつくって。パパとママも作ろうとしたけど、うまくいかなかった。かわりに宝箱をつくってあげた。中にたくさんお金がはいっているから大丈夫なんだ。

ようやく満足がいくと、あたりが暗くなっていることに気づいた。夜かなとおもったけど、そうじゃなかった。黒い雲がやってきていた。
ポツポツと降りはじめた雨が土に斑点をつくり、あっという間に染め上げてしまう。せっかくつくった女の子もおうちも、どんどん泥になっていくのがわかった。

なんでこんな時だけ。虚しくて、腹立たしかった。食べてきた雲がなかでふくれて、破裂しそうだった。
嵐にやられてしまう前に土を蹴飛ばしてしまいたかったけど、とうとうわたしはそのままにしてしまった。そしてひときわ強い風が吹くと、体が冷えきってることに気づかされて、また観覧車にもどる他なかった。

とにかく体を拭かないといけない。私は窓を開けて「バスタオルをちょうだい」と言った。だけど、カモメはこなかった。風と雨音が吹き荒れて、わたしの声なんて1センチも響かなかった。
このままじゃ死んでしまう。わたしは必死で声をだした。ほんとうに、必死だったとおもう。

「お願いだからタオルをちょうだい!!」

じぶんでも信じられないくらいの声がでて、やがて雲のむこうからまたカモメがやってきた。嵐を身にうける姿は、まるで墜落しそうな飛行機。ボロボロなその姿と反対に、持ってきてくれたタオルはやっぱりふわふわだった。受けとると同時にカモメは見えなくなった。すこしだけ心が痛んだけど、それだけだった。だって、カモメだから。

ふわふわのタオルはみるみるうちにわたしの水分を吸い込んでくれた。寒くなくなったけど、暖かいわけでもなかった。もういらないし、窓を開けてそれを捨てた。

その時、ボロボロのカモメがわたし以外に向かって飛んでいくのがみえた。
足にはキャンパスが掴まれていた。もしかして!わたしは窓から身を乗り出してその行方をみた。カモメはこの籠のちょうど反対側へ向かっていった。扉が開かれると、キャンパスごとカモメは中へはいっていった。遠目にみえたその人もまたボロボロだった。白のワンピースは所々が破けたり、色んな色で汚れたりしていた。

わたし以外にここで暮らしてるひとがいるなんて、夢にもおもわなかった。ここはひとの気配なんてひとつもないもの。聞こえるのなんてカモメの鳴き声と波の音くらいのものだった。退屈が孤独を風化させて、ただ無情な水平線がみえるだけの生活だったから。

あらたな住人の発見はすこしだけわたしの隙間を埋めてくれた。この場所にわたし以外もいると思うと、なんだか安心する気持ちだった。
あの時みえた姿から考えると、彼女は絵を描いているらしい。なるほどそんな暇の潰しかたがあったかと感心して、おなじくキャンパスや画材をカモメに頼んだ。

目の前に白いキャンパスや筆が並んでいる。なんだかこの籠がアトリエになったようで、久しぶりに心が跳ねた。
みえるものは水平線ばかりなので、とりあえずそれを描いてみることにした。
青をさーっと伸ばしたり、白をぽとぽとと落としたり。なんとなく見えるがままに描く作業が嬉しかった。絵を描くこと自体はそんなに楽しくなかったけれど、やることがあるという現状がわたしの手を滑らかにさせる。

だけど、できあがった絵は、ひどくつまらないものだった。
平坦で幼稚な、こどもの落書きそのものだった。いや、そんなにいいものでもない。絵の具で描いたはずなのに、なんの潤いも感じられない絵だった。
がっかりした。わたしはすぐに絵の具のせいだとおもったけど、そうじゃないこともわかっていた。

有り余る時間のなかで、もう何枚か描いた。海がだめだったから空も描いたし、鏡を頼んで私自身も描いてみた。でも、どれもおなじだった。つまらなくてつまらなくて、嫌になって全部捨てた。
それが遥かむこうで海に落ちて、小さな波を生み出すのがみえる。聞こえなかったはずのザブンという音が、胸に響いていた。

それからは、ただまわりつづけていた。観覧車はさがったりあがったりしていたけど、結局なにもかわらない。カモメは頼めば持ってくるし、わたしは空白を味わうだけだし、水平線はただそこにあった。

その日も、わたしはただ眺めていた。満天の星空やまんまるの月が水面に映って、まるで宇宙だった。でも、もう描く気はおきない。
だって、下手くそを目の当たりにするだけだから。結局誰に褒められることもないし、もうこりごり。
今ごろあの女の人はこの海を描いてるのかな。きっと私よりは上手なのだろう。楽しそうで、いいな。

そう思ってあの人の籠に目をやると、開け放された扉と、その際にたつ彼女がいた。
飛ぶ気だ。瞬間そうおもった。すぐに声が出た。

「だめ!」

一瞬だけ、目があった。微笑んでいたとおもう。彼女はなんでもないように飛びたって、あっという間に飛沫と波紋が広がった。

静寂がさきほどまでと違う重さを纏っていた。わたしはただ呆然としながら、浮かびあがるのを待つしかなくて、いつのまにか窓の縁を強く握っていた。手がジンジンと冷えても、離せやしない。

やがて、わたしの心配などしらずに海から飛び出てきた彼女は、これでもかというほど笑っていた。やっぱり聞こえはしないけど、おおきな声をあげて心底おかしい様子だった。濡れた髪とワンピースが月明かりに照らされて、キラキラと光っていた。人魚みたいで、綺麗だった。

そして、何びきものカモメが夜のむこうから木船を運んできた。彼女はそれに乗ると、オールを力強く漕いだ。
しばらくそれを見ていたけど、消えていく彼女を見届けられはしなかった。
なんだか、救われるような傷つけられたような、複雑なきもちが渦を巻いて、とても見ていられなかったから。

あれから、もう何日もたつ。わたしはまた観覧車の外にでていた。
海に飛び込んだ彼女の勇気。その気配がまだここに残ってる気がして。
少し前から籠には戻っていない。わたしは小さな家をカモメに頼んで、そこで暮らしていた。言えばなんだって持ってきてくれるんだ。この場所から離れられずにいるのは、わたしが臆病なだけだった。それでも、いけなかった。ただ波の音に彼女の名残を感じながら、身動きのできない心にため息をつく毎日を繰り返す。

彼女の籠がやってきてるのに気づいたのは、呼んでもないのにカモメが鳴いたからだった。開け放たれたままの扉に、一羽のカモメが入っていった。
奥には何枚もの絵がおいてあるのが見えた。そうだ、彼女の絵だ。見てみたい。わたしはいてもたってもいられなくなって、カモメを追いかけるように飛び乗った。

ーその衝撃を、どう言葉にしたらいい。
そこにあったのは、ぜんぶ海と水平線の絵だった。小さな籠のなかにところせましと並んだすべての絵が美しく、キラキラに輝いていた。
おんなじものを描いていたはずなのに、なんでこんなに。
彼女の目にはこんな風に世界がみえていたのか。そうおもうと、どうしようもなくなってしまった。

情けなくて、涙がでた。わたしには海を美しいとおもう豊かさも、船で旅立つ勇気もない。
見なければこんな気持ちにならなくてすむのに、どうにもこの籠から出ていけなくて、わたしは座り込んで泣いた。ひとつ嗚咽が漏れるともうとまらなかった。じぶんのからっぽを吐き出すように、声をあげて泣いた。でも、からっぽを吐き出したってからっぽだ。目の前には光を放つ絵があって、わたしは逃げ場のない感情にうちひしがれるしかなかった。

やがて、ひとしきりが過ぎ去った。この籠はもう降りれない高度にあがってしまっていたけど、下の家だってやることはないんだ。わたしは諦めてシートにぽすんとかけた。
いつのまにか夜になっている。月と星の明かりだけじゃ絵はよくみえなくて、すこしホッとする。

「クアー」

鳴き声がして、まだカモメがいることに気づいた。
絵の縁にひっそりと佇んでいるただ一羽。それは窓からの明かりを身にうけ、ぼんやりと白く光っているようだった。

そういえば、もうずいぶんと生き物に触っていない。カモメの体は、ふわふわとして暖かそうにおもえた。

・・・触れるだろうか。
物を頼むのになんのためらいもなかったのに、触らせてほしいと言葉にするのは難しくて、唇が不器用に震える。
勇気がいる。そんなものもってない。でも今夜、わたしはどうしても体温がほしくなってしまったんだ。


「さ、わら、せて」


ちいさなわたしの声も、遮るものさえなければ響いた。静かな夜の籠に、ふわりと願いはひろがった。
カモメは飛ばなかった。音もなく床に降りると、そのまま歩いてこちらにやってきて、わたしの前で座った。

手をのばすのに時間はかからなかった。わたしは願い、カモメは目の前にきた。だから、触れてもいい。

その体はふわふわで、サラサラで、なにより暖かかった。
出し尽くしたおもっていた涙が、目の奥で溜まっていくのがわかる。

「クアー」

撫でていると、またカモメが鳴く。羽毛から感じる体温が、すきまだらけの心に滲んでいく。
それはじわじわと冷えをほぐし、穏やかな眠りへわたしを連れていくのだった。



鳴き声で目覚めると、カモメはもう側にいなかった。
明けそうな夜。その終わりかけの空を、気持ち良さそうに飛んでいた。

窓をあければ、ひんやりとした潮風がはいりこんでくる。それを気持ちよく感じた。
カモメの向こうに、ぼやけた水平線がみえる。もうすぐ幼い太陽が顔をだし、その輪郭は輝きだすだろう。

いつも通り。いつも通りだ。
でも、ちょっとだけ、夜明けが楽しみだった。



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