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君は、幻のポケモン2020年を手に入れたか!?

衝撃的な事実がある。あと3ヶ月で2020年が終わる。
年度で考えても4月からもう半年経つのだ。

この半年強、何をしたのか。

これは私個人だけではなく、社会全体としてである。つまり、通常の20xx年を過ごしたのだろうか。

当然否である。日本の最後の華(かもしれなかった)東京オリンピックは延期となり、あらゆる日常的要素が失われ、近視的な認識としては、例外状態となった。
2020年は2020年ではなくなったのだ。

ではなぜそうなったのか、ウイルス自体は偶然のものであっても、その流行はさまざま要因があるだろう。J=L・ナンシーが述べるところには、今が正しく例外状態なのではなく、既にあった例外状態が明らかになっただけだという(「例外が常態となる」)。そして、「問われているのは、明らかに文明の全体なのだ」。これは正しいと思う。我々は、繋がるということがどういうことか理解せずに、実行してきたのだ。それゆえに、地球上の一か所で発生した現象が、世界中に伝播する。トランプが分断を生んだのではなく、分断がトランプを大統領としたように、流行が例外状態を生んだんのではなく、例外状態が流行を生んだのだ。

ただ、その欺瞞を明らかにしたことに2020年の意義がある。

2020年は2020年ではなく「2020年」となるのだ。それは長い時を経た後、まるで我々が1939年から1945年を認識するように、時代・歴史として認識される。
2020年が、生活としての2020年となることはない。現在において例外状態として、未来において歴史的事態として、それは認識される。2020年は幻となり、「2020年」のみが記憶される。

実のところ、何もかもが変わってしまうという霊感としては、以前の投稿と変わらない。ただ、9月の終わりにあって、一層日常の喪失を感じるということだ。ただの生を生きられないことの惨めさ。