見出し画像

作品紹介 『機動戦士Zガンダム』

趣味についてのお話

 人生で忘れられない作品というものは、誰しもあるだろう。私にとってそれは、『機動戦士Zガンダム』と『AIR』だ。

(『伝説巨人イデオン』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『新世紀エヴァンゲリオン』を加えてもよい。またアニメに限らなければ、『デミアン』と『エチカ』もそれにあたる)

 ここで言う、「忘れられない」とはそれが面白い、印象深いといったこと以上に、まさしく「忘れられない」ということなのだ。結局のところその作品のことを考えてしまうということだ。

 実のところ、上で挙げた作品より、即時的に面白いと思える作品はある。例えば私にとって、文学では芥川の『河童』やヘッセの『車輪の下』、アニメでは『コードギアス』や『無限のリヴァイアス』はそれにあたる。

 しかし、確かにこれらは面白いが、残るようにして興味を惹かれるものではないのだ。「面白い作品ランキング」なら、『Zガンダム』と『Air』を単純に上位にすることは躊躇われ、むしろ『河童』etc...を上位にするだろう。逆に「好きな作品ランキング」なら『Zガンダム』と『AIR』は上位にくる(『リヴァイアス』は面白いし好きでもあるが)。

個人的経験と魅力

 では『Zガンダム』と『Air』のどういったところが、忘れられないのか。
 今回はまず、『Zガンダム』について語りたい。多分に個人的な経験を語ることになるが、お気持ち表明をしようと思う。相当前の作品とは言え、核心的な部分のネタバレには気を使うが、それでも多少は触れてしまうかもしれない。

カミーユ・ビダンという主人公

画像1

「ざまあないぜ!」
自分に酷い仕打ちをした兵士をロボット(MS)のバルカンと脚で怖がらせご満悦のカミーユ

 『機動戦士Zガンダム』は、1985年に放送開始したアニメだ。昔の作品ということもあり、この作品の知名度は(そして人気も)現代の人にとって高くないだろう。そもそもガンダムシリーズは大量にあり、その中の二番目の作品など高くなりずらいと思う。かろうじて、前作『機動戦士ガンダム』の名前は有名であるし、見たことのある人もいるのではないだろうか。
しかし、それとは別にこの作品、何とも言えない魅力がある。それは主人公カミーユ・ビダンの魅力である。

 カミーユ・ビダンはスペースコロニーに住む、17歳の高校生。空手部に所属、ホモアビス(グラインダーのようなもの)とプチモビルスーツ(小型のロボット)の大会で優勝するような、「できる」やつだ。おまけに可愛らしい幼馴染もいる。
 こう書くと普通の青年だが、性格に大きな問題がある。いくつかあげよう。

・自分の名を馬鹿にした軍人を殴る(その後当然捕まる)
・MSの墜落事故に乗じ逃走、挙句新型MSに勝手に乗り、取り調べの際自身を殴った兵士を、バルカン(一発でも当たれば死ぬ)と脚で威嚇する
・ちょうどカミーユの乗る新型MSを強奪しに来た連中と一緒に逃亡


 以上は1-2話での行為で、全体を通しても特にひどい箇所だがそれでもひどすぎる

 カミーユは評価の分かれる主人公で、「キ○ガイ」「電波」などと評されるように否定的な意見は根強い。確かにあまりに突拍子もない。名前を馬鹿にされただけで人を、しかも軍人を殴るなどとんでもないことだ。

 雑にだがカミーユ・ビダンという主人公を紹介した。このとんでもないやつを、14歳の私は何故好きになってしまったか、共感してしまったのか。それを述べたい。

10代の不安定

画像2

「カミーユが男の名前でなんで悪いんだ!俺は男だよ!」
名前を馬鹿にした軍人を殴るカミーユ とんでもないやつだ

 少々言い訳がましくなるが、カミーユについて補足をしたい。

 カミーユのコンセプトはキレる10代だ。そしてそれをアニメーション的に表現しようとすると幾分か過激になる。つまり、軍人への攻撃も、MSでの威嚇も、逃亡もある種の感覚の表現あるいは比喩だと捉えられる。10代の若者が持つキレる要素、それこそがカミーユだ。
 しかし、それで終わるなら話は続かない。キレる、という感性が何なのかが描かれるのだ。それは窮屈な世界への異議申し立てといったかたちで描かれる。

 14歳の自分が共感できたのは正しくこの点だ。大人ほど力はないが、自己意識は大人のようになるというアンビバレントな状態。これが10代だと言える。そして、世界は既に在る大人たちによって管理されどうしようもなく窮屈なのだ。大人ほど世界へと作用することのできないカミーユの暴力は、ある意味でそれに対する反発であり、逃亡はその管理からの脱出だと言える(それが社会通念上正しいかは別だ)。

 カミーユは他のどんな創作物より、構築物としての世界と自身のどうしようもない距離感と不安定さを表現していた。

自己の発見と自立

 エキセントリックな青年のカミーユだが、MS強奪に端を発し戦争に巻き込まれてしまう。様々な出会いと別れが起きる。彼の親からの離脱は何とも悲しい仕方でなされた。そんな戦争の中でカミーユは、自己を発見しやがて世界との距離を考え始める(自立し始める)。そして、真にキレる感性(鋭敏な感性)が問題となっていくのだ(なんて言うとそれっぽいが、最初の数話はキャッチーにするためにキャラ付けをし過ぎているだけな気もする)。

 しかし、17歳の青年に戦争は過酷だ。自己を発見しても、精神が状況に耐えられるとは、即ちキレる感性が世界に耐えられるかは別だ。多くの人を殺し、多くの人を失い、カミーユは次第に疲弊していく......

 最後には衝撃的な結末を迎えるのだが、私にとってはそれが問題だ。何故、カミーユはそうなったのか。キレる感性の青年が、新しい時代の若者が、何故そうなったのか。これが課題である。そのことは即ち、何故『Zガンダム』という枠組においてカミーユが主人公になったのかという問いでもある

+++++

 「課題としての作品」と題したが、思い出を語ることとなってしまった。初代ガンダムつまり、『機動戦士ガンダム』を見ていないと話がわからないので、あまり勧められる作品ではないのだが、色々と書きたいことがある。今後もたまに投稿するかもしれない。

 次回は『Air』についてだが、これは知っている人もいるのではないだろうか。京都アニメーションがアニメ化もしている。『鳥の詩』とか『夏影』とか言えば分かる人もいるだろう。

 ちなみに全くの余談だが、『Zガンダム』と『AIR』はともに、後輩のD君に勧めた作品だ。視聴後に感想を聞いたところ、「よくわからんです」とのことだった。そんな訳で、どうして勧めたのかを書こうと思ったのだが、いざ文字にすると書きたいことの半分も書けない。D君、これを見ているのあれば、是非今度話そう。