女の敵は女である

世間はバカとブスに冷たい

すえのぶけいこの「リミット」という漫画作品で、美女がさらりと言い放つこの言葉。
反論するもの、納得するもの、ふーん、という感想程度のもの、様々なリアクションがあるだろう。

これに対するリアクションは、各々が「バカ」と「ブス」というものが自分の中でどう位置づけられているかによるのではないかと思う。

賢さは他者への気遣い、美しさは自分メンテナンス度

わたし個人のバカとブスの定義を言うと、
バカは他者への気遣いができない、つまり情報収集能力が欠けているもの
ブスは見た目に関わらず、自分が行える最大のメンテナンス・気遣いがなっていないものだと思う。

バカは情報収集能力がない。
どんなに物覚えの悪い人でもその場でメモすることはできるし、勉強ができなくとも答えがわからないものを調べることは簡単だ(特にこのネットワーク社会においては)。
バカは何もしない。あ、と気がついてからそれだけ。その場でどうしようああしようとは思うもそれすら忘れまた同じ失敗を繰り返すのである。

また、バカはそこで謝ることができないし取り繕って次回に挽回しよう!という思いも見られない(もしくは心で思っていてもそれを表に出せない)。
他者への、「気遣いができる人間」アピールはすごく重要なものだと思う。普段気遣いができるイメージのある人間と、普段からバカな人間では同じことをしても評価が違うから。

ただ、この気遣いができるアピールは女の場合すごく簡単だと思う。愛嬌をよくするだけで、そもそもの土台が上乗せさせるからだ。たとえ気が使えなくてもいつも笑顔で相手と接しているだけで基礎ポイントが格段に違う。

ブスはざっくり言えば、自分への気遣いがない。
いくら他人に気遣いができていても、自分への(見た目を含む)気遣いができなければブスだ。
自分などどうでもいいという自己評価が結果、その人をブスにさせていると思う。
(しかし、このブス問題に関しては顔の美醜も問題であり、顔の美醜の思いこみのせいでうまくいかない人たちが世の中の9割だと思う。
これに関しては別枠で自分なりのブスの定義をまとめたい。)

なぜ女が敵なのか

表題の、女が敵な理由。
それは、女は基本的に「ブスでバカな女」でありたいし、そうでない女を排除したいからだ。

なぜそんなことがしたいのか?
一言で言えば、自分がブスでバカでいたほうがラクだからである。
他人に愛嬌をふりまくことを女はときに「ぶりっこ」「笑っていればなんとかなると思っている」と言う。自分がそれをしたくてもできないから。なぜできないか、それは自分が自分のことをブスだと決めつけているから。

そして女は仲間を探す。わたしだけがブスでバカじゃないと思いたくて必死で他の女を自分の「ブスでバカ」コミニュティに入れようとする。

他人に気を使わないサバサバ女子かっこいい!
マイペースに振る舞える女なわたしイケテル!
人のことブスっていうやつのほうがブス!
わたしたちって本当にブスだよねーまあ仕方ないよねー!

馬鹿馬鹿しい。

あなたがバカでブスなのは勝手だが、そのコミュニティに他者を巻き込んではいけない。
どれだけ勉強ができても顔がどれだけ顔が美しくてもブスでバカはこの世に確実に、たくさんいる。

今から美しくある

こんな文章を書き出したのは、わたしが現在バカでブスであるからだ。
忘れっぽいし他人への気遣いがまだまだなっていないと思うし、自分のメンテナンスも完璧ではない。
恐れずに放つ一言で評価は覆せるのに、女のコミュニティからはみ出すのが怖くて、(美醜の意味での)ブスだと思われていると思うと怖くてなにもできない。

ただそれも言い訳。
バカとブス、両方を即座に治すのはなかなか難しいものではあるがそれでも気にすることはできる。
気にした瞬間に人は変われるし、自分のバカさとブスさに気がつくことは第一関門を突破していると言える。
今日から。今から。この瞬間に美しくなる。
足を引っ張る女ども、美醜しかみえないくだらない人々のことは無視しよう。自分の世界にいれなくていい。いらない。

賢くて美人になって、世間の甘い汁だけを吸って生きる覚悟をするのである。

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