【短編小説】サファイアに薔薇
「植物って、確か太陽と水と空気と養分で育つんだよね!」
彼女は中学二年生の女子で、名前はサファイア。本名は石崎桜なのだが、本当の名前はサファイアだと言うのでそう呼んでいる。
僕は大木岳。年齢は、サファイアと一つ違いで、僕が年下。学年も一個下。
「バラって棘が生えてるんだっけ? やっぱりチクチクするのかな?」
僕らは放課後、通学路にあるファストフード店に来るのが日課になっていて、今日も懲りずに来ている。食べ物もいつも同じで、サファイアは、辛く味付けされたチキン。僕はポテトの小さいサイズだ。なるべく安いものを頼んで、席を確保したらあとは三、四時間、駄弁り続ける。そんな毎日だ。しかし今日は1時間くらいで
「もう帰ろっか。ちょっと考え事がしたい」
とサファイアが言うから、解散になった。
僕らが学校帰りに集まるのは、月曜日だけになった。理由はわからない。ただ、サファイアがそう決まったと僕に言った。集まる場所も変わり、近くの公園のベンチになった。夏らしいぬるい風が吹いたりしている。
「ねぇ、なんで学校に来ないの?」
サファイアは最近、不登校だ。ちょうど、ファストフード店を少し早く帰った日の翌日から。僕はサファイアの力になりたくて、単刀直入に理由を聞いた。
「それは秘密。それよりさ、この前読んだ本なんだけど……」
と、はぐらかされてしまい、そのままいつも通りの話をして、解散になった。
サファイアは昔から周囲から浮いた子だった。僕は同じマンションに住んでいて学校も同じだったから、よく遊んでいたんだけど、僕以外の友達と遊んでいるのは見たことがない。
日が暮れてからサファイアがやってきて、いつものベンチに2人で座る。今日の風は暖かい。サファイアは季節感のずれた長袖だ。そして、いつも通りなんでもない話が始まる。
サファイアの趣味は大体が、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれるジャンルの物だ。媒体は文芸、美術、音楽、舞台、映画、ファッションから漫画、アニメとあげたらキリがない。いつもの話も大体ここら辺の話だ。しかし、最近は少し趣向が変わって、人体や思考実験の話が多い。刺激的で映像的な話から、内面的で空想的な話に変わっている。
今日はさらに珍しく、珍しい病気の話。
「その子は生まれた時から痛みを感じないんだって。それってすごいじゃん良いじゃんって思ったんだけどさ、どうやら全然良くないみたいで、なんでかって言うと、その子は痛みを感じないせいで怪我ばっかしちゃうんだって。それってつまりね、私は痛みを感じるから、痛いって感情がセンサーの代わりに私に危険を教えてくれていて、そのおかげで怪我とか事故を回避できるんだけど、そのセンサーがないと危険に気がつかないで事故や怪我をしちゃうって事みたいなの」
痛みを感じない世界を想像してみたが、どうしても良い事しかない気がして、自分の想像力の無さを実感した。
「でね、この話を聞いた時、心の場合はどうなのかなって思ったんだよね。例えばね、心の痛みを感じない人。こう言う人は心の怪我ばかりするのかな」
「うーん、どうだろ。心の痛みを感じない人って聞いた僕のイメージは、サイコパスとかそんなイメージかな」
「確かにね。私もそう思った。もしくは、頑張りすぎて鬱になっちゃう人とか。まぁ、心の痛みを感じない人は想像しやすいの。問題は、心の痛みを感じる人。これは厄介じゃない?」
「心の痛みって、悩み事とか悲しい出来事のこと?」
「違う。もっと確かな痛み」
「心臓病とかの痛みじゃなくて?」
「違うよ」
遠くで犬が吠える。掠れた鳴き声だ。犬はこのベンチから見える一戸建ての家で飼われている。犬小屋はなく、庭の柱と首輪をロープで繋いでいるようだった。
「あの犬の鳴き声は、心の痛みね」
とサファイアが言う。風はいつの間にか冷たくなっている。
次の月曜日は、いつまで待っていてもサファイアは来なかった。家に帰ると、母から石崎桜が入院したことを聞かされた。手首を切ったらしい。そのまま心療内科に行き入院となったそうだ。他にも摂食障害と幻覚症状があると言う
「サファイアからの手紙」
この前、心の痛みの話をしたでしょ。心の痛みを感じる人がいたら、それは厄介だって。実はね、それって私のことなの。私は心の痛みを感じる。だからってね、心臓が痛くなるわけじゃないの。ほら、心って別に心臓にあるわけじゃないから。実はね、体の中いっぱいに詰まってるの。心の痛みを感じるようになってから私も知ったから、普通はみんな知らないことだけどね。どんな痛みかと言うとね、私の場合は、チクチクした痛みと破裂しそうな痛み。それが体の中にぎゅうぎゅうに詰まってる。それが苦しくて仕方ないんだよね。でさ、その痛みをなんとか消したいんだけど、そのためには原因を突き止めなくちゃいけないでしょ。それで色々調べてたら分かったの。どうやら心の痛みが薔薇の蕾になって私の体を蝕んでいるらしい。それでね、その薔薇が成長すればするほど私の痛みは増すの。植物って、太陽と水と空気と養分で育つでしょ。私の体の中にある薔薇の蕾も一緒でね、私が太陽の光を浴びて、水を飲んで、空気を吸って、ご飯を食べると、どんどん薔薇の蕾が体の中で育つの。それでどんどん苦しくなる。あと、学校のみんなが、根暗だの、電波だの言ってるのが聞こえると、薔薇の茎はより太くなって、私の体を圧迫するの。私それが嫌で、仕方なく学校に行くのを辞めた。あと昼間に外に出るのも辞めて、水も食べ物もほとんど食べなかった。息もなるべく吸わずにいた。そのおかげで、薔薇の蕾の成長は遅くなったの。痛みも軽くなった。だけど、それでも完全に成長が止まるわけじゃなくてね、どんどん薔薇の蕾は成長した。私はもう痛くて苦しくて、体いっぱいに詰まったその薔薇の蕾を取り出すために、しょうがなく手首を切った。そしたらね、蕾だった薔薇たちが体から飛び出して、真っ赤な花を咲かせたの。それはとても綺麗な真紅の色だ。その後すぐに痛みが引いた。だからね、他の場所に詰まってる薔薇の蕾も咲かせようと思って、いろんなところを切ったの。おかげで痛みがすっきりと消えた。だけどね、また私の中で薔薇の蕾が育ってる。やっぱり痛くて苦しいの。