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【長編小説】配信、ヤめる。第10話「処女配信その2」

 夏の真っ只中。真っ白な太陽の光線が降り注ぐ。家の周りには木々がようようとしている。
 俺はトイレの水が流れないことをトイレをした後に知った。
「爺ちゃん、トイレの水流れないよ」
 木造建築の平家だ。トイレの窓からは外が見える。多分、修爺ちゃんにも聞こえるだろう。
「穣介か、バケツで流せな」
 やはり返事が返ってきた。近くにバケツに水が溜めてあった。

 部屋を与えてもらった。そこで横になっている。汗が溜まる。エナジードリンクは三日も飲んでいない。
 夜がやってくるといくらか涼しくなる。コンクリートに囲まれていないからだろうか。そんなことを考えた。
「おい穣介、飯できたぞ。食べなよ」
 素麺と天ぷらがある。薄暗い電球の下で食事が始まった。
 大島修。俺の母方の祖父だ。祖母は生きているが、俺の親と暮らしている。本当は修爺ちゃんも一緒に暮らす予定だったが、どうしてもこの家から離れたくないと言って、別々に暮らすことになった。
 この家に来て今日で三日目だった。修爺ちゃんはこの三日間、俺以外の誰とも会っていない。俺が来ていなかったら、誰とも会ってないんだろう。
 田んぼと家を往復する生活だ。もう、ほとんど趣味のレベルで農業をしている。家で食べている米はほとんどここで育てたものだった。
 修爺ちゃんが力強い咀嚼をやめた。
「穣介は、これからどうしたいんだろう」
 感情が読みづらい。表情も声色もあまり変わらないからだ。もしかして、本当に感情がないのかもしれない。
「どうしたいんだろう」
 俺にも分からなかった。ただ、逃げてきただけだ。

 アルハレのブログが更新されてすぐに俺は逃げた。配信やめますとだけSNSに報告して。その後は修爺ちゃんに連絡を入れてここにやってきた。
 丸一日かけて電車とバスを使い近くまで来て、そこから修爺ちゃんの迎えでここにきた。
 移動中は全く休まることはなかった。配信外での姿が写真に撮られていたことは、俺を緊張させた。
 スマホは電源を切っている。そうすると不思議と落ち着いた。
「俺が聞いてるんだよな」
 修爺ちゃんがだいぶ間をもって返事をした。
「どうしたらいいのかな」
「もし、なにもないならな、あのな、その……」
 修爺さんに表情らしいものが初めて見えた。
「どうしたの? なんか改まって」
「いやさ、実はな、俺の仲間に江藤ってのが居んだがよ、その、えっとな。インターネットで自分の米、売ってんのよ。んでな、穣介、配信しとったんだよな」
「配信はしないよ」
「分かってるんだよ。違うよ。穣介が配信をしないのは分かってるんだよ。すんのは俺。俺だよ」
 修爺さんが歯を見せて笑った。もちろん、初めて見る笑顔だ。
「でも、俺、配信とかそういうのに関わりたくないんだけど」
「なーに言ってるんだよ。穣介は居候だな。手伝うくらいすんべ」
 またにっこりと笑った。農家とは商売人でもある。

 丸一日かけて環境を整えた。その翌日に配信の仕方を教えた。
 爺さんが配信を覚えられるはずないと思っていたが、意外にもすんなりと覚えていく。思えば、スマホも活用していたし、農家的な生活が好きなだけで、機械には強いのかもしれない。
「江藤にいろいろ教わってたんだなよな」
 俺がここに来なくても配信を始めるつもりだったのだろう。
 アカウントを登録してしまえば、配信はすぐにできる。俺は身を潜めた。

 ど田舎の木造建築の一部屋で、小さなノートパソコンとマイクの前で定年の過ぎた老人が配信を始める。
 一番大手のサイトで、理由は江藤さんが使っているからだそうだ。
「あ、あ、聞こえてますかね?」
 俺は借りている自分の部屋に戻って配信を見ている。自分のスマホの電源をつける気には慣れな方ので、修爺さんのスマホを借りた。画面には修爺さんがしっかり写っていた。
 顔出しは心配だったが、農業の延長と考えているので、むしろ生産者として正々堂々とやりたいのだと言っていた。
[よろ!][おじいちゃんどうしたの?][聞こえてるよ]
 視聴者は俺含めて十人ほどだ。初めての配信の場合、視聴者ゼロ人なんてのもザラにあるから、好調な滑り出しと言える。
 ここまでの年配が顔出して配信しているのは珍しいし、興味をもって貰えるのだろう。
「あー、今日はテストの配信なのでね、すぐに切りますがね、一応自己紹介だけしておきましょうかね」
 コメントは結構ある。書き込んでいるのは四人だ。
「えーっと、私はもう七十ですかね」
 コメントに返事をしている。このコメントの数なら、視聴者は配信者がどのコメントに返事をしてるのか分かるが、増えてくるとそれは難しくなる。だから、コメントは読み上げた方がいいのだが、それは今後の課題だ。
「私は、農業をしております、修というものです。それでね、なんで配信をはじめたかと言いますとね、ええ、まあ、お恥ずかしながらね、私が作った作物をねもっといろんな人に伝えたいなと、そういうふうに思いましてね、こうして私たちと繋がる輪を広げたいのですね。ええ、すみません話がまとまってなくて。では。今回はここまでで」
 配信は切れた。コメントはまだ追加されている。登録者も既に六人になっていた。
 視聴者だが、久々の配信の空気に打ちのめされていた。いつの間にか修爺さんの配信のやり方に口を出したくなっていたり、このまま配信に乗り込んでみたらものすごい炎上してくれそうだとか、そういうことが駆け回っていた。
 エゴサしたいと思った。けど、なんとか止まった。もしかしたら、配信の視聴中になにか俺に関することが流れてこないかとも期待したけど、そんなことはなかった。
 インターネットの世界は、その集まりから外れると一気に情報が見つけられなくなるものだ。

 一番近くの喫茶店に行くまで三時間かかった。
 山の上に立つこの店は、窓から真っ青な空が見えた。少し見下ろすと家がポツポツと目に入る。
 客は多い。近くに温泉があるから、その客がついでに寄っているみたいだ。
 年配が多い。昼から酒を飲んでいる。サンドイッチとアイスコーヒーを頼んだ。サンドイッチは大盛りだ。
 店員は三十代後半か、それくらいに見える男女で、おそらく夫婦だろう。
 俺みたいな若い人間が来ても、他の客のように物珍しく見てきたりしない。
 コーヒーにミルクと砂糖を多めに入れた。コーヒーに砂糖を入れる時はいつもエナジードリンクに入っているであろう量を想像して、同じくらい入れる。
 カウンターにはコンセントが付いていた。あるなら充電器を持ってきておけば良かった。そう思いながらスマホを取り出す。
 修爺さんのスマホを借りていた。地図アプリを見たかったからだ。やはり自分のスマホは電源をつける気はない。絶対に、いくつもの通知が入っている。
 スマホが揺れ、音がなる。
 頭がくらりとして、目眩がした。それがスマホの通知によるものだと、少しして気がついた。
 通知恐怖症だ。そんな恐怖症あるのか知らないけど。
 けど、知り合いから通知があるはずがない。だってこのスマホは俺のじゃない。
 通知を確認する。
[農家の修さんが配信を開始しました]
 別の意味で目眩が起きそうだった。もう一人で配信を出来るのか。
 直ぐに配信を開く。たった一日だけなのに、登録者は十人になっていた。視聴者は二十人を超えたり超えなかったりしている。
 配信の画面は昨日のように修爺さんが映っている。口が動いた。しかし音が聞こえない。
[聞こえない][電波? 設定? 開けますか?]
 親切なコメントも虚しく、音は出なかった。修爺さんもコメントでそのことに気がついている。
 画面から消えた。そして、何かを持ってくる。紙とペンだ。
 筆談で配信をするつもりだ。文字が達筆でそれだけでも視聴者が楽しんでいる。内容は作物をどう育てているのかの説明だった。主にその安全性に関すること。
 配信は一時間が経とうとしていた。音がないのに視聴者は減らない。
 修爺さんが紙にまた文字を書いている時、不審な動きがあった。びくっと体を動かしている。
 直後、ゆっくりと顔をあげ髪とペンを置いたようだ。
 画面には映りきってない左側の向こうに何かがいる。その姿をじっと見ていた。その後、倒れるようにして画面に映らなくなった。
[ホラーじゃん][釣りか][大丈夫?]
 そのほとんどが修爺さんを心配している。もちろん俺も心配だ。けど、もしかしたら少しコメントがある通り、演出でやってるのかもしれない。
 緊張しながら続きを視聴する。間もなくして画面に黒い影が現れた。
 一体なんだ?
[お化け?][熊!?][熊だー]
 熊だ。
 右手で乱暴にパソコンを叩いたんだろう。画面は暗くなってしまった。

 バスを降りて自転車に乗り込む。
 全速力でこいだ。何台かある自転車の中で一番綺麗なのを選んだが、壊れそうにぎしぎしと音を立てる。心臓が止まりそうになった。木々の間から夏の光が漏れ出していた。
 修爺ちゃんがやばい。
 その気持ちだけが足を動かす。喉が乾ききっていた。きっと、止まったら死ぬかも。こぐことで呼吸が出来ている。泳ぎ続けなかれば死ぬマグロと一緒だ。
 家につく。自転車から降りるとしばらく動けない。汗が吹き出していた。
 なんとか体勢を整えて家の周りを確認する。玄関から入るのは無用心すぎるだろう。ないだろうが、熊が居座っている可能性だってある。
 裏山に面した庭に回った。縁側に破壊の跡がある。ゆっくりと中を伺った。すると、何かが動く感じがした。さっと身を引く。
「よお。穣介。帰ってきてたんか」
 が出てきたのは修爺さんだった。
「あれ、爺ちゃん大丈夫だったの?」
「あ? あぁ、これか」
 壊れた部分を触っている。
「熊で出よった。配信してたんだけどな」
「見てたよ」
「そっかそっか。それでそんな急いできたんか。じゃあ、直ぐに来なくて良かったな」
「なんで?」
「死んだフリしてたから助かったんだな。もし穣介が来てたら熊を刺激してたかも分からんから」
 修爺さんは声を出して笑っている。
 家の中に入ると、見るも無残に荒らされていた。
「せっかく買ったのにな。ついてないな」
 パソコンも壊れてしまっている。
「残念だね」
「いや、まあ、月並みだけども、死ななくて良かった」
 それから、いつもと同じようにご飯の準備を始めた。ご飯は缶詰くらいしか残っていない。他は熊に荒らされていた。

 翌日、熊は射殺された。山をさらに降った所の家の近くだ。
「味を覚えるといかんな」
 修爺さんの感想はそれくらいで、後は壁の修理をしている。木の板をドリルでくっつける簡単なやり方だ。そのせいでいつになく騒がしい。
 作業は一日で終わり、静かに眠りについた。
 翌日、また騒がしい音がして目が覚める。時間は午前七時。
「すみませーん」
 人の声。どうやら一人ではない。
「こっちにおるよー」
 修爺さんは既に庭に出て仕事をしている。
 ざわざわと音を立てながら来た人たちが修爺さんのところに行く。
 声が聞こえなくなった。俺はまた眠った。それからどれくらい眠っていたのか。暑い日差しで目が覚めて、目の前には透き通る肌をした男がいた。
 目が大きくて、まつ毛が長くて、細い線。女性だったらショートヘアと言われるくらいの髪の長さ。
 俺と目が合って彼は場違いなほど喜んでいた。
「え、うそ、マジ?」
 声が完全に男の声で、見た目が女性っぽいだけに違和感を覚える。
「なに驚いてるの」
「いや、すげー、バブルさんですよね?」
 寝ぼけていた頭が一気に冴えた。そして次にクラクラとしてくる。
 誰なんだ彼は。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。