【長編小説】配信、ヤめる。第11話「碓氷冬吾の楽園」
翌日のテレビで修爺さんが映った。朝の情報番組で熊に襲われた配信を特集したのだ。
インタビューをしているのは透き通る肌の男。碓水冬吾(ウスイトウゴ)今、波に乗り始めているアイドル。
中学に入学してすぐにスカウトされ芸能界入り。事務所はすぐさま売り出そうとしたけど、碓氷の両親は高校卒業までは学業に専念して欲しいということで、土日にモデル業をするような生活だった。
高校卒業後、活動を本格化させたのが去年でそこからは目まぐるしくテレビの露出が増えていった。今まさに増えてる最中で、朝の情報番組にも不定期レギュラーとして駆り出されている。
そんな忙しいはずの碓氷は、インタビューが終わったあともこの家に残り、なぜか隣で一緒にテレビを見ていた。
俺は碓氷に聞く。
「碓氷くんは、お家に帰らないの?」
「まだ帰りません」
小振りなスーツケースを叩いて言う。
「なんで?」
「普通にバブルさんのファンなんで、このチャンスを逃すわけにはいかないかなって」
一体、なんのチャンスなのか。修爺さんも一緒にテレビを見ている。
「碓氷くんは、今は忙しい時期なんじゃないの?」
「仕事、減らしてるんです」
「なんで?」
「普通にバブルさんのファンなんで、引退のショックがデカかったんですよね」
そんなに衝撃があるわけじゃないだろう。笑ってしまう。
「嘘でしょ」
「まじですよ」
碓氷が振り向いて俺を見た。全く笑っていない。
「でも、ここで会えた。凄い嬉しいんですよ。伝わってますか!」
だんだんと笑顔になる碓氷をみて、つられて俺も笑顔になっていた。
修爺さんが田んぼに車を走らせると、この家は俺の時間になる。けど今日は碓氷も一緒だ。
「いつも一人の時って何してるんですか?」
碓氷は爪を弄りながら俺に聞いた。
「特に。なんか何もする気が起きないって感じがするんだよね。あ。一昨日は喫茶店に行ったけど」
「へー。僕もその喫茶店行きたいな」
たしか、自転車は二台以上ある。
きれいな方の自転車を碓氷に譲ってバス停まで行った。汗だくでバスを待った。
「誰にも会わないことってあるんですね」
碓氷が水を飲みながらいう。トタンの屋根がついたバス停。ここのバス停を使う他の利用者は見ていない。
バスに乗り込む。目的地に行くにつれてだんだんと人が増えていく。
隣の碓氷は場違いなほどに綺麗で驚く。これがテレビに出る本物か。
喫茶店に入ると、店員の夫婦が明らかに驚いている。視線は碓氷に。その後に、碓氷をつれている俺に。
とりあえずのアイスコーヒー二つが届く。その時奥さんが小声で聞いてきた。
「隣の子、すっごい綺麗な子ね」
碓氷にも聞こえていたようで、俺の代わりに返事をした。
「ありがとうございます」
微笑んでいる。
「芸能のお仕事とかしてるんですか?」
「ええ、まあ。でも今は少し休んでるんです」
「まあ、それは、色々大変でしょうからね。ゆっくりして行ってくださいね」
そして帰っていく。
「ゆっくりして行ってくださいね」
ハートが飛んできそうな口調で碓氷が言う。
「分かったよ」
「本当に思ってるんですよ。僕、バブルさんのマジでファンですから」
「あの、バブルって呼ぶのやめて欲しいかな」
現実でインターネットの名で呼ばれるのはやはり慣れない。
「わかりました」
大きな窓から強い日差しが差し込む。店内はクーラーが効いていて心地よい。
「大島さん」
「なに?」
「お腹空きました」
なにか食べ物を頼みたいんだろう。
「なにか頼む?」
「これがいいです」
イチゴパフェだった。次に指差すのが抹茶小豆パフェ。
「二つ?」
「半分ずつ食べたいです」
賛成だった。
銀のスプーンが碓氷の口に運ばれる度に、キラキラとした何かが降るような感じだ。
やはり現役のアイドル。指先まで目を離せない。
じっと見てるのがバレて、こっちを見てきた。笑っている。人に見られる仕事をしてるんだ。慣れている。
俺だったらどうするんだろうか。多分、目をそらして終わり。
けど、もしそれが配信中だったら? きっと、なにかアクションを起こすだろう。でも、俺を見てくる人のことは考えない。きっと、画面の向こうの人が面白がれるような、そんな何かをすると思う。
配信者とアイドル。同じように画面越しに自分を売り込んでいる。けど、こんなにも違う。なんとなく、碓氷の方が本物という感じがした。
「アイドルって、大変?」
碓氷はキョトンとした。
「なんか、すごい普通なことを聞くんですね」
「そりゃ、普通だよ」
小豆抹茶パフェを口に入れる。緑色の食べ物はなんとなく好ましい。
「千差万別だと思います。なんでもそうかもしれせん。ただ、僕は楽しんでます。業務と言う点では」
回りくどい言い方だと思った。
「じゃあ、業務以外は大変なんだ?」
「うーん」
碓氷は曖昧にそう言って、小豆抹茶パフェに手を伸ばした。
「大島さんもイチゴパフェの方も食べてくださいね」
と話を逸らされた。
頑なに温泉は拒否され、家に帰った。バスの本数が少なくて夕方にやっとだった。
「いつまでいるの?」
熊に破壊された縁側に二人で座って居た。
「なんにも考えてないんですよ。それより、大島さんはいつまでここにいるんですか?」
「ずっと居るかもしれない」
「それは、寂しいですね」
静かになる。すると家の中で音が鳴っているのに気がついた。
「電話だ」
少し気まずい空気を紛らわすように俺は受話器をとりにいく。
修爺さんからだった。今日は地元の仲間と飲みがあって明日帰ってくるらしい。そのことを碓氷に伝える。
「そうなんだ」
と呟いて家の中に入っていく。
一人になって空を見上げた。夕暮れは一瞬で過ぎ去り空は暗くなった。気温は昼間より涼しい。山の中だからか、心地が良い。
空には月が浮かんでいる。テオティワランドのことを思い出した。俺は、いつまでここにいるんだろうか。
体温と同じくらいの気温がぼーっとさせる。どれくらい時間が経っていたんだろうか、うとうととしていた。急にスイカを差し出されて目が覚める。
「あ、ありがとう」
差し出された指にはネイルが施してある。誰だ?
「そんなに驚かないでくださいよ」
碓氷の声がする。振り返ると、そこにいるの碓氷のような女性だった。
「どうですか?」
やはり、碓氷だ。声は目の前の女性から出ている。
「あれ、変ですかね。自分では結構いけてると思ってたんですけど」
なんと言えばいいのか悩む。繊細な問題だ。
「とにかく似合ってるのは確かだよ」
結局、本音を言うことにした。碓氷は笑った。瞳はメイクによってよりくっきりとした輪郭になっている。
「よかったー。じゃ、食べましょうか。勝手に切っちゃいましたけど」
隣にやってくる。ワンピースを着ている。黒いパーカーとハーフパンツ。足の毛は処理してるのか、もともとないのか、妙なところが気になった。
「そのさ、そういうの、隠してるの?」
碓氷は微笑む。よく笑うのだが、いつもニュアンスが違っていた。今見せたのは少し恥ずかしそうな感じだ。
「まあ、そうですね。隠してるというか、大島さんだから見せたんですけど」
「俺だから?」
「はい。その、僕は大島さんの配信でこういう自分を肯定できたんです。バブルさんの配信って、やりたいようにやるじゃないですか。えっと、僕みたいにプロデューサーとかそういう誰かがお金のために考えたことじゃなくて、やりたいこと」
碓氷が話してるのはバブルのことだ。俺のことのはずだけど、なんだか他人事のように思える。配信を始めた時の気持ちが冷め切っているのを理解してしまった。あの時の俺はもういないのだろう。
虚しい気持ちになる。碓氷に対しては悲しさを感じた。もう、バブルは帰ってこない。俺は、ここから帰れない。
「でも、バブルはもう配信したいことなんてないよ」
ボソリと呟いた。碓氷の顔は見れない。空気が冷めきった感じがした。
何も言わずに、家の中に入っていく。俺はもう少しだけ夜風に当たっていた。
眩しくて目が覚めた。汗だくだった。縁側でそのまま寝てしまっていたらしい。
庭では修爺さんが土いじりをしている。俺のことを全然気にしていない。
碓氷のことが気になって家の中に入る。玄関に行くと靴がまだあった。次に碓氷がいるであろう部屋に向かう。と、ちょうど部屋から出てくるところと鉢合わせした。
姿をみて、声が出ない。
碓氷は昨日の夜のように、メイクと可愛らしい服装をしていた。
「バブルさん、どうですか?」
「それは、似合ってるけど……」
「バブルさんが言うなら、オッケーです」
その格好で台所に立った。修爺さんが戻ってくる。そして碓氷の後ろ姿を見てから俺を見た。今まで見たことがないほど目を見開いている。
「あれだな、穣介はな、誰を連れ込んだんだ?」
「いや、碓氷くんなんですよ」
「ほー。んまあ、綺麗な顔してるもんな」
修爺さんは独自の納得をしたらしく、また自分の仕事に戻って行った。一人の時間が長い人特有の他人への無関心だ。
俺が見ている限り、女性の格好をしている碓氷は今まで以上に魅力的に感じた。本当の自分を解放している感じ。その感じは、見ている人にここまでわかりやすく伝わるのかと驚くほどだ。
この家は碓氷の精神を解放できる楽園になっている。けど、なんで急に隠さないようになったんだろうか。
夕方、修爺さんからご飯を食べに行かないかと誘われた。どうやら今日は地元の祭りが行われるらしい。そこに行ってみないかと。
「行きます行きます!」
そう言ったのは碓氷だった。もちろん、行くことになった。
すぐに車に乗り込む。
「そのまま行って大丈夫?」
俺は碓氷に聞く。服装はさっきのままだ。メイクもしたまま。
「似合ってるんですよね?」
「そうだけどさ」
今の碓氷には、さっきまでの解放の感じが薄れ、今度は意地を張っているような緊張感があった。
「着替えるくらいの時間はあるよ?」
「違うます。このまま行きたいんです」
「それなら、いいんだけど」
静かに発信した。修爺さんは発信前に言った。
「大っきい祭りじゃないから、あんま期待すんなな」
走り出す。
もし、配信するとしたら祭りなんて最高だな。
ぼんやりと考えていた。祭りなんて変な人がいっぱい居るだろうし、俺も変なことをした所で甘くみてくれる。だから、やりやすい。
ぼんやりとしながら、もしも配信をしていたらどんなことをするのか、勝手に脳内で趣味レーションしていた。その中では、碓氷は今のままの姿でいて、ネットの反応はいい感じだ。
碓氷もおどけながら視聴者をあしらい、俺は碓氷に可愛いと言いまくる。視聴者はどんどん増えていく。そんな楽しい配信。
妄想でニヤつきそうになり、我に返る。
「爺ちゃん、あとどれくらい?」
「おー、えっとな、二十分くらいか」
なんとなく道も近代的な感じになっている。碓氷に声をかけようとして、異変に気がついた。
震えている。目に見えるほどに。
「碓氷くん? 大丈夫?」
頷いてるけど、全然大丈夫には見えない。ただでさえ白い顔が青っぽさを持っている。
心配だけど、その碓氷の姿は美しかった。今にも壊れそうな姿。叩けば砕けて散ってしまいそうだ。そんな、破壊の衝動を揺さぶる美しさだ。
「爺ちゃん、碓氷くん体調悪いみたいで……」
言い切る前に遮られる。
「大丈夫です。大丈夫」
自分に言い聞かせているように見える。心配で見ていると、仕切りにスマホで自分の顔を確認しているのに気がついた。
きっと、碓氷はこの格好で外に出るのが初めてなんだ。大きな拒絶をされる可能性もあって、それを心配している。
「別に、祭りに行く必要はないんだけど」
「いや、行きます」
なにが碓氷をここまでさせるのだろうか。
外が騒がしくなる。そこで祭りが行われていた。けど、本当に小さな祭りだ。
「なあに、みんな顔見知りだ」
修爺さんが言う。駐車場は少し先でそこまで車を走らせる。
みんな顔見知り。だとしても、碓氷の緊張は解けない。
車を停め出る。外は暗いが向こう側に賑やかな光が見える。その光は人の暖かさを映し出しているみたいだ。
碓氷はその方角を見ている。けど、なかなか動き出せない。俺は待った。修爺さんは一人で歩いて行ってしまう。一度振り返ったけど、そのまま。そうするべきだと確信しているみたいに。
後ろ姿が見えなくなって、碓氷が話し出した。
「あの、バブルさん。誰が何を言っても、今の僕が本当の僕なんです」
それはもちろん分かっていた。今日の昼まで見ていた碓氷の様子を思い出す。それと同時にテレビに映っていた姿も思い出した。それと目の前の姿。楽園での碓氷は幻想のようだ。いつもは氷の城に篭っている。
「バブルさんが配信をヤめる。けど、だからって僕はもらった勇気をなくすってのは違うんですよね。昨日、それが分かったんです。僕が秘密にしている事実をバブルさんに明かして、それでまた配信を始める勇気を持って欲しかったんです」
けど、それは見当違いだ。そう思った。同じタイミングで碓氷が同じようなことを言う。
「けど、それは僕の自分勝手な願望です。それが分かって、だから、僕は自由な場所を自分で探さなくちゃ行けないって、そう思ったんです」
言い切ると、碓氷は歩き始めた。俺は、ただ着いて行くことしかできない。
明かりが近く。下手な太鼓の音がした。誰かが遊びで叩いているんだろう。この距離なら、まだ誰にも気づかれることなく引き返せる。
碓氷は振り返った。逆光で表情はよく見えない。
「また、僕は勇気をもらっただけになっちゃいましたね。行きましょう。バブルさん」
手を掴まれる。そして駆け出した。
光と音に包まれる。内側に入り込んだ。そこには明確に違う感じがある。
碓氷の顔が見えた。見えたはずなのに思い出すことは出来なかった。
祭りは朝まで続いた。残っているのは修爺さんとその取り巻きくらいなもので、それでも騒がしかった。
俺は最後までついていくことが出来ずに途中で眠った。目が覚めたときには随分と片付けがされていた。太陽は真上にいた。
「お、起きた起きた。手伝おうか」
碓氷が平気そうにして目覚めたばかりの俺に言う。
寝ぼけながら片付けを手伝う。碓氷は随分みんなと打ち解けていた。一方、俺はあまりその輪に入ることが出来ずにいた。
俺には、語るべきことがなかった。一体、何を話すことがあるのだろうか。
明らかに、配信から距離を置いたことが原因だ。積極的に話し出すことが出来なくなっていた。それは、働いていた時とおんなじだ。
配信者でいた時に俺はそれを武器にできたんだろう。碓氷が羨ましかった。アイドルという武器、そして今はいわゆる女装という武器も手にしている。
きっと、納まるべきところに納まったということなんだろう。碓氷のようなスカウトを受ける人、方や俺は仕事をやめたニート配信者。元が違うんだ。
ここに来て良かったと思った。身の丈を知れたってわけだ。夏が終わったら、実家に帰ろう。バイトでも見つけて身の丈に合った生活をするんだ。
短い幻想だったんだ。
「大島さーん。運ぶの手伝ってくださいー」
碓氷のところに向かう。二人で片付ける。
「バブルさん、ありがとうございます」
二人きりになると、碓氷は俺を配信者としての名前で呼んでくる。
「え、いや、片付けくらいでそんな」
「違いますよ。そうじゃなくて、とにかく、ありがとうございます。僕が僕らしくなれるのはやっぱり、大島さんがいるからなんですから」
きっと、俺のおかげなんて勘違いだ。笑ってごまかした。
片付けが終わり、家につく。一度寝ていたはずだけど、また眠った。ちゃんと布団に入ってから。
雑音で目覚めたのは、夜。時計は十二時を指している。
音の正体を探しにいくと、想像はついていたが碓氷だった。なにやら落ち着かない様子でお湯を沸かしている。
ピー。
沸騰した。蒸気が吹き出ている。
目が合う。
「バブルさん、大変なことになったかも知れません」
声が震えている。
「どうした?」
「これ、見てください」
スマホを出される。画面にはよく見ていたSNSの画面だ。
写真の載った投稿だ。結構拡散されている。今まさに、共有されているのが数値の上昇で分かる。
写真をよく見て血の気が引いた。さっきの祭りの景色。そこには俺と碓氷が映り込んでいる。
コメントには俺の名前が出ている。そして、碓氷の名前も。わかりやすく俺たち二人のことを解説する人もいる。
碓氷がテレビに写っている映像を切り抜いた画像や、俺の配信の画像を使って勝手なことを言いまくっている。過激な発言ばかりだ。
炎上していた。
「なんだよこれ」
怒りが湧いてくる。祭りに行っただけなのに。
碓氷がヤカンの火を止めに行く。音が止み静寂が訪れた。けど、頭の中で雑音が鳴っているような感じがする。さっき見たコメントの暴言が明確な発音の形を持たずに、鳴っている。
ムカついていた。あのコメントを打ってる奴らは、俺の配信を一度でも見たことがあるのだろうか。リアルタイムで俺にコメントをしたことがあるのだろうか。俺に、興味があるのだろうか。
そう、俺に興味がないんだろう。ただ、ゴシップが好きなんだ。碓氷のこともそうだ。どんな想いがあるのかなんて、興味がないんだ。
お茶を飲みながら、険悪な沈黙。何かを考えてるようで何も考えられていない。そんな時間が流れている。
「バブルさんら、積木ちゃんとか、gusさんとか、連絡しなくて大丈夫ですか?」
碓氷がキッパリと言った。
「連絡したって、しょうがないよ」
碓氷に負けないように、キッパリと言う。
返事はない。碓氷の持つお茶が波打っている。手が震えているみたいだ。
「じゃあ、どうするんですか?」
「こんな奴ら、相手にしててもしょうがないから」
「——」
「え?」
聞き取れなかった。もしくは聞かせる気のない言葉だったのかもしれない。とにかく、その言葉がなんなのかは分からなかった。
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。