【長編小説】配信、ヤめる。第8話「公式配信」
眠れない夜が誰にでもある。そんな時には遠くに行く空想をした。
目をしっかり瞑って、空飛ぶ布団に乗ってどこか遠くに行く空想だ。
たまに、体が揺れているように感じることがあった。プールに行った日とか、体が疲れてる日によくそうなった。そんな時には巨大なブランコに乗っている想像をした。
今の俺は、巨大なブランコに乗っている。
まわりの状況が分からないことを逆手にとって、俺はどこまでも行く。その終わりは分からない。すっかり寝てしまう。
が、今日は途中で遮られた。蛍太さんのマウスクリック音を遮断するための耳栓が不意に取られた。鼓膜に配慮してゆっくりと抜き取られる。
「穣介、寝たか?」
珍しい。蛍太さんがこんな時間に話しかけてくるとは。人の耳栓を外してまで。
目を開けると見慣れた天井がそこにあった。月明かりとパソコンの光で怪しく光っている。
「どうしたんですか」
自分でもわかるくらい声が出ていない。蛍太さんは返事の質には興味がないようだった。
「穣介はこれからどうして行きたいんだ?」
「うーん」
勘の悪い俺でも、これが配信の話だと分かった。それほど、この前の『テオティワカンの戦い』の反響が大きかった。
「いや、あんま考えてないっす」
「そうだよなー」
それだけいうと、蛍太さんはパソコンに戻っていった。カチカチとマウスをクリックする音が聞こえる。俺も耳栓をして目を閉じた。空想にふける間もなく眠った。
翌日、目を覚ます。まだ寝ぼけている俺に、興津さんから連絡があったと蛍太さんが言った。
「穣介、俺たちタダ飯食い放題らしい。もちろん参加は確定してるから安心して欲しい」
本人に関わることが本人の意思とは関係なく決定しているのに、安心なんてできるはずがない。
「蛍太さん、どんなやっかいごと何ですか?」
「やっかいごとってさ、感じ悪いぞ」
蛍太さんがそういい、スマホの画面を見せてくる。そこには興津さんからの連絡画面が表示されていた。
[タダ飯食べ放題だよ! 二人も来るって言ってあるから安心して]
うん。不安は大きくなるだけだった。
昼になるとインターホンが鳴る。興津さんがやってきた。
「うわ。意外に片付いてるの、少し引きますね〜。さすがは綺麗好き」
今日は薄いパープルのドレスを着ている。肩ががっつりと出ていて、食べ放題にいくための服装には見えない。
ここに来るまでに相当な視線を浴びただろうに、そんな気疲れみたいなものは感じない。いつも通りの興津さん。
「綺麗好きって俺のこと?」
「バブルさんって可能性はありませんでしたねー」
さらりと失礼だ。なんか、会うたびに舐められ度が高くなっている気がする。
けど興津さんはニコニコしていて、こっちまでつられてニコニコしてしまう。
「で、準備できてますか? 私、準備万端ですよ! 二人も早く着替えてください」
俺は蛍太さんと目を合わせる。着替えなら済んでるんだけど。
「なあ、積木ちゃん、俺たちどこに行くんだ?」
蛍太さんが興津さんに訊いた。蛍太さんもこれから行く場所を知らなかったのか。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? 配信者と業界人が集まるパーティーです。足立さんって人からのお誘いですよ」
足立遼(あだちりょう)。芸能事務所「meme(ミーム)」のマネージャーで、最近はインターネットで活躍しているちょっとした有名人に声をかけているようで、俺たちにも白羽の矢が立ったようだ。
きっかけは、[ある晴れた日]。
アルハレが立ち上げたブログが足立の目についたらしい。
このブログのおかげで俺たちのことを認知する人は増えた。
見やすく編集した動画のリンクを貼るだけでなく、アルハレ独自の目線で語る文章もまた人気の一つになっていた。
図鑑の説明文のような無機質な文章が評判らしい。俺たちのコミュニティは、馴れ合いを好まない。
俺も、視聴者たちと同じくアルハレの距離感が好ましい。俺たちは、光と影に例えるなら影だ。近づき過ぎれば形を失う。自分を保つために距離が必要だと思う。アルハレが持つ距離感は、それを知っている距離感だった。
ブログの記事は、最初の配信のものから順番に更新されている。初めて興津さんにあった『青姦配信』から順番に。
『テオティワカンの戦い』の記事はまだ出来ていない。アルハレのブログの更新は楽しみの一つになっていた。
時計の針は十八時を指していた。入社式ぶりのスーツはどうも馴染まない。そもそも買ったばかりで生地も硬い。
まだ外は明るいはずなのにここは薄暗い。都会の端に建っている大きな家だ。有名なミュージシャンの個人スタジオらしい。もっぱら今回みたいなパーティーに使うことが多いらしいが。
全て隣にいる足立さんからの情報だ。足立さんは一言で言えば、清潔感に溢れている。
顔の造形がいいわけじゃないのに、表情の作り方とさっぱりとした髪型でかっこいいと感じる人だ。頭のてっぺんから爪先まで手入れが行き届いていると分かる。
俺よりも四つ上の二十九歳。石鹸屋で働いてたら出会うことのなかった、生きる世界が違う人だ。
「私も楽しみにしてるんですよ。アルハレさんのブログ。でも残念ですね。来ていただきたかったのに」
もちろん、アルハレには声をかけたんだけど、用事があると参加しなかった。思えばアルハレがどこに住んでるのかも知らないな。
少し遠くで蛍太さんと興津さんが他の配信者に声をかけていた。こういう時に俺とあの二人は人間としての種類が違うと感じた。
中学生の時、不登校の生徒を二人知っていた。一人はほとんど引きこもりのような状態で、友人もいなくてどんな人なのかも分からない。
もう一人は、学校には来ないが放課後になるとみんなと遊んでいた。たまに登校してくれば歓迎される、人気者だ。
けど、その不登校の生徒はただ引きこもっていたわけではなかった。確かあれは夏休み明け、国語の宿題の読書感想文だった。その時の国語の先生は、文章は見せるために書かないと意味がないという考えを持っていた。
なので、俺たちの感想文は全て綴じられ、全教室に置かれることになった。誰でも読めるように。
その頃の俺は放課後、よく図書室に通っていた。気になってる人がよくいたからだったと思う。図書室には何冊か感想文の冊子が置いてあって俺はなんとなく読んでいた。もちろん、気になっていた人の感想文も読んだ。もちろん俺のことはどこにも載っていなかった。
人気者の不登校生徒の作品はもちろんない。宿題なんて提出してなかったんだろう。けど、引きこもりの不登校の彼の感想文は載っていた。
知らない言葉が多かった。カタカナのその言葉はとりあえず読み飛ばした。けど、それでもその感想文は面白かった。
皮肉っぽくて、最初は共感できないのに、いつの間にか言いくるめられてしまったような感じがする。その感覚が面白くて、会ってみたいと思ったし、なんでこんな面白いことを考えてる人が学校に来ないのか不思議に思った。
その感想文は少しずつ学校で話題になっていた。
その二人のことは、学校を卒業した後もよく思い出した。不良の人気者と、引きこもりの人気者。
俺は、二人に一つの共通点を見出した。それは客観性だ。自分が人にどう見られるのか。それをすごく気にしていたんだと思う。
決して正しく客観視が出来てるわけじゃない。けど、二人はその視線に翻弄され、一人は逃げ、一人は集めようとしたんだと思う。
そして、今俺は視線に翻弄されている。蛍太さんがいなければ、逃げ出していただろう。
けど、俺は少しずつ変わっている。そんな気がする。
「足立さん、この建物の持ち主って、今いらっしゃるんですか?」
俺も、ここで何かを手にする。つもりだ。
いつの間にか終電はなくなっていた。パーティーはとっくに終わっていて、俺たち以外は残っていない。
俺と蛍太さんと興津さんも残りたいわけじゃなかったけど、酔いが回りすぎていて動くことが出来なかった。
足立さんがそんな俺たちについて面倒を見ていてくれた。
「いやー、酒は呑んでも呑まれるな。なんてありきたりなことを言わなくちゃいけなくなるとわね」
何度か吐いたから意識が戻りつつある。
「足立さん、外の空気吸ってきて良いですか?」
「もちろん。車に気をつけてね」
ベランダに出る。外が明るくなっていた。
人通りは少ない。たまに車が走っていった。見える家は全部大きく、庭も広い。蛍太さんの実家のあたりの風景に似ている。
後ろから肩を叩かれた。
「よお、穣介。他の奴ら、やっぱ物凄かったな」
蛍太さんだ。珍しくやつれた顔をしている。
「ですね。なんか、記憶がないっすよ」
「俺もだ。そんで足立さんに迷惑かけちまったな。なんかお礼考えねーと」
窓から部屋の中を見ると、足立さんと目があった。笑顔で手を振ってくる。
中に戻ると興津さんがコーヒーを淹れていた。昨日はいつの間にかうウェイトレスのように動き回っていたので、場所を覚えていたらしい。
香ばしい匂いが脳の覚醒を促してくれる。
「私、昨日コーヒーの淹れ方教えてもらったんですよ」
腫れぼったくなった目で興津さんは言った。声もガラガラしているけど、気にしていないようだ。
これだけ広い空間に誰もいないのはなぜか不安になる。部屋の机に四人で固まってコーヒーを飲んだ。
蛍太さんが言う。
「足立さん、スミセンでした。こんな時間まで面倒かけてもらってしまって」
「本当に、さっきも言ったけど、酒は呑んでも呑まれるな。自分の器量はしっかりわきまえないとね。こういう、周りから力量以上の期待を懸けられることも増えてくるかもしれないし」
「どういうことですか?」
「早速なんだけどね。君たちに依頼が来ているんだ。俺は間に入ってとりあえずマネジメントをしようと思ってるんだけどね。契約とかじゃなくて、お試しでね」
俺たちに仕事が来ている? 俺は思わず口を開く。
「それって、お金をもらえるってことですか?」
「ずいぶんストレートに聞くんだね。そこがバブちゃんの良いところだと思うよ。もちろん給料が発生する。ちゃんとしたお仕事だよ」
俺は唖然とした。なんだが話が想像もつかない方向に向かっている気がする。だけど蛍太さんは気持ちの準備をしていたのだろう。二つ返事で足立さんに返事をした。
「はい。詳しく話を聞かせてください」
「わかりました。じゃ、後日連絡するんで、今日はまず身体を休めて置いてください」
家を出る時、足立さんは電話に出ながら笑顔で俺たちを送ってくれた。忙しい人なんだろう。
俺たちはここから一番近い蛍太さんの実家に行った。蛍太さんの親は仕事中で俺たちは勝手にゆっくりとさせてもらう。
翌日、仕事の詳細が送られてきた。収録は明後日。
早すぎる収録日の決定に多少の警戒心があったが、そのことについては足立さんが素直に教えてくれた。
「君たちの配信とほとんど一緒なんだよ。主催は動画サイト自体で、サイトの認知のために公式で放送をするんだ。むしろ明後日でも猶予があったと思えるくらいだよ。あそこの人たち、ネジがぶっ飛んでるからね」
その話を聞くだけで嫌な汗をかいた。けど、俺は自分に期待もしていた。そう。配信なんだ。いつものようにカメラを俺を撮す。その時の俺は今の俺とは違くて、きっと何かを掴んでくれる。
都内。そこに動画サイト[ポップアップ]の事務所がある。スタジオがあるわけじゃないから、事務所の一角を使って今日の配信が行われる。
出番はあと一時間に迫っていた。
緊張で吐きそうだった。二日前の今回の件が決まった時とは、俺を取り巻く状況が変わっていたからだ。今すぐにでも契約をやめて家に帰ってしまいたい。
俺たちの出演が決まり、そのあとすぐに公式から番組の告知がSNSに上がった。俺もその流れで告知をした。
評判が最悪だった。
[俺たちの世界を捨てた][変わっちまったんだな][こういうのいっぱい見てきたから慣れてる]
俺たちが公式の放送に出ることに批判的な視聴者は多かった。コメントでよく見かけていた人は特にそういっている。
こいつら何もわかってない。この放送に出ればどれだけ知名度が上がるか。それをちゃんと理解してないんだろう。
それに、公式の放送に出ようが出まいが、俺は俺の思う配信をするだけだ。
そのつもりだったのに、ここにきて全く気持ちが変わってしまった。
今回の番組をセッティングした花澤さんの話を聞いてからだ。
「急な依頼で申し訳ありませんでした。でも、あなたたちの配信を見て、ビビッと来たんですよ。あなた方に我々ポップアップの未来を託したいとね」
屈託のない笑顔でそう言われた。事務所には大勢の人が必死に準備を進めていて、椅子で寝ているような人もいた。
そんな人たちを見ていたら、期待を裏切るようなことはできないと感じて、そうして俺の状況は一転してしまった。
それに、今回の放送は公式ということで、スポンサーもついている。だから、その辺りの部分も少しは考慮しなくてはいけない。
「穣介、緊張しすぎじゃねえか?」
蛍太さんがエナジードリンクを手渡してくれる。
「蛍太さんは結構平気な感じですね」
「あんま気負いすぎない方がいいぞ。俺たちが呼ばれたのは俺たちだからだ。だからいつも通りにやってれば誰も裏切らずに済む」
蛍太さんはそれだけ言うと今度は興津さんの元に向かった。興津さんは鏡を見て自分の顔を髪型をチェックをしている。蛍太さんも一緒になって髪型をチェックしていた。
スタッフの方の控えめな声が響く。
「本番始まります! え、あぁ。もう始まってます」
公式放送が始また。俺たち三人は画面右側に仲良くならんで座り、画面の中央には若い女性が座っている。お天気お姉さんのような清楚な雰囲気があって、彼女が今回の司会進行だ。
ポップちゃんと呼ばれている彼女は、まだ二十歳になったばかりで、大学に行きながら、ポップアップ専属でニュースキャスターのようなことをしている。
彼女も元々は生配信者だったらしい。興津さんは知っているらしく、昔少しだけ関わったこともあるらしい。
彼女を挟んで画面左には、メガネをかけた細い男と、浅黒い中肉中背の男がいる。
浅黒いの男は俺たちと同じくらいの年齢に見える。
坂上という名前で活動している彼はゲームをプレイしながら実況をする動画と配信をしている。
縛りプレイやタイムアタックなど様々なジャンルをプレイしていて、その腕前はプロ級。らしい。何より、彼が有名な理由はその実況にあった。
よく喋るし、面白い。単純にそういう実況をしている。
メガネをかけた男の方は俺たちより幾分年上だろう。三十代後半くらいか。名前は笹崎。なのだが、みんなからは現代哲学の父、略して哲爺と呼ばれている。
料理動画を主力にした配信者なのだが、とにかく汚い場所で料理をしているのが特徴だ。
長年の油がコンロにこびりついている。置かれた醤油も油まみれ。使っている菜箸はいつ洗ってるのか気になる程汚い。
しかし、本人曰くその菜箸は新品だそうだ。その時に言った、「口に入れてない箸は常に新品」という言葉は、哲爺の代表的な名言になっている。ちなみに、食事用の箸も毎日使ってれば洗わないらしい。曰く「十二時間ルール」が適応されるらしい。
哲爺のファン、通称、哲孫たちは哲爺の名言は現代の哲学だと言っていて、笹崎さんは現代哲学の父と呼ばれている。
参加メンバーを知ったポップアップのユーザー達、通称ポッパーは、影のスターが揃ったと口を揃えて言った。
もちろん、俺たちもその影の一つだ
ポッパーは他の配信にも精通していることが多いらしく、ポップアップを使ったことがない俺たちのことも知っていた。
「皆さんの生活をポップアップ!」
ポップちゃんはハニカミながら、カンペに書かれたセリフを言った。
番組が始まった。
「よー!」
先陣を切って声を張り上げるのは坂上氏。
俺たちの前には大きいディスプレイとカメラがパソコンと繋がっている。ディスプレイにはみんなのコメントと、カメラで撮っている自分達の姿が映っている。
[待ってたよ〜][今日のポップちゃん最高じゃん][ポップアップ最大の汚点が公式放送って、本当だったんだ……。控えめに言って最高]
意外にも温かい言葉が多い。元々、ポップアップの視聴者は民度が高いと評価されている。これは動画サイト側の努力が大きいようで、悪質なコメントやアカウントには直ぐ処置をとっているようだ。
「うぉーわわー!!」
取り敢えず俺も声を出してみた。タイミングを間違えたらしく一瞬静まり返る。
そのことを察して興津さんと蛍太さんが同じように声を出した。取り敢えずでかい声を出す状態になり、ポップちゃんが困惑している。
「え、何なんですかねこれ。無視しますよー。では、仕切り直して。みなさーん、本日はポップアップの三周年記念番組を見に来てくれてありがとうございます!」
初耳だった。いや、なんかそんなこと誰かが言ってた気もする。
ポップちゃんは笑顔を保ったまま喋り続ける。器用だ。
「はーい。では、早速ですが、本日番組を盛り上げていただく豪華な出演者の方々です! では、自己紹介をお願いします!」
哲爺から順番に簡単な自己紹介が始まる。
「どうも。笹崎です」
敬語の哲爺に驚くコメントが流れる。次は坂上さんだ。
「主にゲームのやり込みプレイなどをしてます! 坂上です」
「司会を務めさせて頂きます! ポップちゃんです!」
[セルフちゃん付け][ポップちゃーん]
そして俺たちの番。ほとんどまとめて自己紹介を済ませる。俺はバブル、蛍太さんはgus6、興津さんは積木ちゃん。
コメントを見てみると、案外好意的に受け入れられていて安心する。まあ、運営の人が攻撃的なコメントは削除してるのかもしれないけど、それでも大いに俺の気持ちは落ち着いた。
全員の自己紹介が終わるとポップちゃんが進行を始める。
「はい。ということで、自己紹介も終わりまして、改めて、本日はお集まりいただいてありがとうございまーす!」
とりあえず拍手をしてみる。
「本日はですね、ポップアップの記念すべき第一回公式配信ということで、皆さんにはとあることをしてもらおうと思ってます。題して、第一回! 目指せ!ポップアップレギュラー!」
コメント欄がざわつく。
[これ、レギュラーでやるの?][毎週見れるんだ][絶対にネタ切れするぞ]
「[毎週見れるんだ]ってコメントがありますけど、毎週は見れません。隔週の予定ですよー」
と、言い切ってからポップちゃんは笑う。髪を耳にかけると、白いピアスが見えた。
「ポップアップのレギュラー出演権をかけて皆さんには勝負をしてもらいます。チーム対抗で勝負をしていただいて、買った方がレギュラー権を手に入れます。それだけじゃありません! エナジードリンク三ヶ月分をプレゼント!」
スタッフがキャスターの付いた机を押してくる。賞品のエナジードリンクが堂々とした姿で載っている。
「これ、めっちゃ飲んでますよ」
愛飲しているエナジードリンクだった。俺が言うと、笹崎さんが返事をした。
「ワッフルくん、よく分かってるじゃないか」
かなりハスキーな声だ。名前を間違えているけど、特に訂正しない。が、俺が言わなくても視聴者がそのことを指摘していた。
「ん? ワッフルじゃない? ああ。ダブル。ダブルくん。いいセンスしてるよ」
へっへっへと、笑っている。名前はダブルと間違えられたままだったが、俺は訂正しない。コメントももう訂正してなかった。
一度目の戦いは、ゲームの対戦だ。
[pure]というタイトルの古いゲームで、TPSと呼ばれるジャンルのものだ。三人称視点のシューティングゲーム。
スタッフがゲーム機を持ってくる
「はー、スケルトンのタイプだ」
坂上さんは嬉しそうに言う。
コントローラーが四つ、本体と同じ色の水色のスケルトン、赤、黄、緑だ。
ポップちゃんがプレイヤーを発表する。
まずは坂上さん。
「はいはい。このゲームもやったことありますよ」
ディスプレイに流れるコメントを見ると、坂上さんはこのゲームの動画は上げてないらしい。一応、フェアな戦いになるようにしてくれたんだろう。
坂上さんはディプレイの近くに行き、スケルトンのコントローラーを手に取った。
他は、蛍太さんと興津さん、そして最後に一人。
「それと、私を入れた四人で戦いますよ!」
四人がそれぞれコントローラーを手に持った。戦いが始まる。
ポップちゃんは坂上、哲爺チーム側に入るらしい。
ゲーム用のディスプレイの画面がつく。配信用のカメラは一台のみでゲーム画面を映していた。
[ワイプは?][ワイプない?][これが低予算]
視聴者は皆、その予算のなさを楽しんでいる。
[pure]と呼ばれるこのゲームは、主人公の少女の見る夢の世界を旅する設定のものだ。今回は対戦のみなのでそのストーリーに触れることはない。
対戦のステージは、一番人気の高い「巨人手術室」だ。スタッフが調べて決めたらしい。
「えっと、ガスくんはこのゲーム遊んだことある?」
「名前を聞いたことがありますね」
「二人は?」
ポップちゃんも興津さんも首を横にふる。
「よし、じゃあ一回練習してみようか」
ルールは「ハックスラッシュ」。お互いに倒しまくって、そのポイントを競う。
対戦画面は四分割されていて、それぞれの操作画面が映っている。自分だけじゃなく、相手の画面を見るのも戦いのポイントになるだろう。
フィールドには「現のカケラ」と呼ばれるアイテムがランダムで落ちていて、三色存在する。そのうちの二つを組み合わせることで戦いの武器になる。
蛍太さんがキャラクターを動かしながら頷く。
「なるほど。分かってきた」
ローポリゴンの画面が派手に動いている。四つの画面を比較して見ていると、蛍太さん、坂上さんの画面は頻繁に動いていて、時点でポップちゃんがよく動いている。興津さんはダントツで停止していた。表情を見る限りはかなり必死のようで、口がアングリと空いている。
坂上さんが言う。
「そろそろ操作は大丈夫そう?」
一応全員が頷く。
戦いが始まった。
試合が始まる。全員がそれぞれの武器を取るためにステージを駆け回る。
ゲームの音楽はアニソンのように軽快なポップだ。
画面左上、坂上さんはお目当ての武器を手に入れたようだ。
「よし、あとは高みの見物としますか」
画面では二秒毎に左右の道を監視している。ステージの一番端の場所で手術を受ける巨人の足のあたりだ。どうやらこの位置は、ステージの全体を見渡せる。
坂上さんが攻撃をした。画面がガクンと揺れる。
「えー! どこから撃ったんですか?」
興津さんが嘆く。
坂上さんは遠距離攻撃に適した武器を選んだようだ。そこで身を潜めている。もちろん、ただ待ってるだけじゃ負けてしまうが、そこは坂上さんのテクニックによって上手くいっていた。
「芋ってんじゃねえよ」
蛍太さんが声を荒げる。芋るとは動かずにじっとして敵が来るのを待つ人に言う罵倒だ。
「ガス君、これは戦いなんだよ」
お互い、画面だけを見つめている。
蛍太さんは中、近距離の武器で、ポップちゃんも同じような武器を選んでいる。二人はたまにであっては打ち合い、でも最終目的として坂上さんを狙いにいく状況だ。
坂上さんはかなり上手で、倒されていながらもトップになっている。
バンッ、バンッ、バン。
皆、無言。
やばい。これ、番組名だよね? こんなに集中してしまうってある?
横目でスタッフの顔を見てみる。渋い表情をしていたように思えるのは気のせいだろうか。
[静かすぎじゃね]
コメントが目に入る。やっぱりそうだよな。
なんだか、空気が重く感じる。けど、その空気を感じてるのは、出演者の中では俺だけのようだった。
「ところで坂上さんの初恋の話を聞きたいですね」
と、坂上さんに話を振る。
「大した話なんてないよ。はは」
画面から視線を逸らさない。俺はさらに質問を投げかける。
「ところで坂上さん、初キスの話を聞きたいですね」
「ん? なんでだよ。バブル君のこと誰か黙らせといてー」
「なかなか答えてくれないですね」
次に何を聞こうか考えていると哲爺が話し出す。
「ダブルくん、俺の話で良ければ……」
「笹崎さんはいいです」
強めの口調で反対した。面白くするためにはしょうがないと思いつつ顔色を伺うと、満足そうに笑っている。俺も笑い返した。
そうしているうちにも戦いは進んでいる。着実に坂上さんは戦いに勝っていた。
「ところで坂上さん、初エッチ……」
「うぉい! 言っちゃダメ! あ!」
やっと坂上さんを逸らした。蛍太さんが坂上さんを打ち倒した。
「よっしゃ! よくやったバブっち!」
蛍太さんが坂上さんの代わりにその場所をのっとる。武器は近距離用だが、それでも上手くやれば強い立ち位置だ。
が、あまりポイントを稼ぐことができず、またも坂上さんに場所を取られてしまう。
[あー」[坂上さんのゲームセンスが良すぎる][ポップちゃんも意外に動きいいな]
そして、話題に上がらないほど何をしているかよくわからない興津さん。攻撃力は高いが動きが鈍くなる武器を使っているようだ。やられっぱなしでもないが、着実に負けていた。
「ところで坂上さん……」
「無視するからね大島君。悪く思わないでくれ。私は勝ちに行くよ」
どうやら妨害作戦もダメなようだ。
残り時間もわずかになり、興津さんが武器を変えた。狙っていたわけではなく、偶然だ。
「わ! 私、すごい早くないですか?」
その武器を使うと、キャラクターの動きが素早くなるようだ。そのおかげで、坂上さんに興津さんが狙い撃ちされることもなくなった。
「私、生き残ってますね。ってあれ? 撃たれちゃった」
興津さんが武器を変えてから、順位が変わってきた。明らかに、興津さんが蛍太さんにやられ続けていた。
「審判! ガス君と積木ちゃんがズルしてます!」
坂上さんが講義を始めた。
「坂上さん、これが勝負ですよ」
蛍太さんはニヤリと笑った。
興津さんは蛍太さんにやられるために素早く移動し、蛍太さんが一発で仕留める。そんな流れを繰り返し、蛍太さんの順位は上がってきてた。坂上さんは必死に遠距離で狙っていたが、流石に速度に追いつくことができていない。
「ガスさん、勝てますよこれ!」
俺はとりあえず声を出し応援する。本当に勝てそうだ。
しかし、徐々にポップちゃんが興津さんを倒すようになってきた。かなり集中した様子だ。
視線を確認すると、興津さんの画面と自分の画面を高速で交互に見ていた。
興津さんがやられた後に出てくる場所を確認して、その後どこに行くのかをある程度予想して先回りしている。
全員が緊張していた。俺は空間が静かすぎると思い、コメントを確認する。が、さっきまでの様子とは違い、視聴者全員がこの戦いに引き込まれている。スタッフもそうだ。
その空気を感じ、俺も静かに戦いを見守る。そして、ゲームが終了した。
「ありがとうございますー」
勝者、ポップちゃん。二位は蛍太さん。もちろん最下位は興津さんだ。
「いや、ポップちゃん強すぎるでしょ」
蛍太さんが純粋に驚いている。坂上さんはズルだとスタッフに言っていたが、あれは配信者として盛り上げたい思いでやっているパフォーマンスだ。言いながらもコメントばかり見ているから、分かる。
「でも、ポップちゃんは俺たちチームだから、いいけどな」
そうだ。つまり、レギュラー権は相手チームが一歩リードということになる。
一試合目はこれで終わりだ。
「ありがとうございました。今回は私の勝利で終わりましたこのゲームpureですが、なんと、リメイクが決定しております!」
初耳だ。なるほど。つまりこれは、タイアップも兼ねていたということだ。
[清々しいほどの契約感][これは応援したい][ちゃんと案件で笑う]
「明後日から遊べるみたいですので、こちらも是非楽しんでみてくださいね」
スタッフがゲームを片付けていく。カメラはまた俺たちを映し出した。
ポップちゃんが二回戦目を声高々に言う。
「次は、お料理対決です! 戦うのは、笹崎さんとバブルさんの二人になります」
ルールは至って簡単。コンビニで料理を買ってきて、ポップアップの社長に喜んでもらう料理を作るだけだ。
笹崎さんは早速立ち上がってコンビニに行こうとする。酒は飲んでいないはずなのに、フラフラしている。いつものことらしい。
「ダブルくん、行くよ。十分だって」
「短いっすね。行きますよ」
事務所の一階にあるコンビニに向かう。カメラはついてこない。買い物をしている間には、リメイクされるpureの先行映像が流れる。
移動時間も含めると、材料を帰る時間は五分ほどしかない。必死に頭を回転させ、どうすれば配信を盛り上げる料理を作れるかを考えた。当然のように、料理の美味しさなんで考えていない。
哲爺さんが何を買うかをみたかったが、五分と言う時間は何かを考えるにはあまりにも短く、自分が何を作るかを考えるので精一杯だ。
目に入ったパスタを手にとる。それと、牛乳とチーズとバター。それに調味料を買った。なんの面白味もなく、カルボナーラもどきを作る。
哲爺さんとエレベーターに乗って事務所に戻る。
「ダブルくんは結構買ったんだね」
「笹崎さんも結構買ってそうですよね」
お互い、白いビニール袋で中身は見えていない。エレベーターが嫌な重力を感じさせながら止まる。
事務所の端っこのスタジオに向かった。ポップちゃんがいち早く戻って来た俺たちに気がつき声をかけてくれる。
「今コンロとかを準備してるんで待っててくださいね」
どうやら、pureの先行映像がまだ流れているようだ。スタッフが慌ただしく調理場の準備をしている。
「ダブル君、楽しみだな」
「はい……」
哲爺さんが俺の名前をどんどん変えてくる。放送明けが怖い。
調理道具の準備が整う。鍋やコンロの大体のものは置いてある。調味料もいくつか準備してあった。
「放送開始しまーす。3、2、え? もう放送はじまってる? 始まってます」
そんなスタッフのゆるさにまたコメントは盛り上がっている。スタッフは狙ってやってるのだろうか。みてる感じは真面目に見えるのだが。
相変わらずポップちゃんのスマートな司会進行が始まる。
「はーい! ワクワクする映像でしたね。そして、お二方の買い出しが終わったみたいですよ」
机の位置も変わり、カメラにはポップちゃんと俺と哲爺さんの二人だけが映る。他のメンバーはカメラの向こう側で俺たちを見ていた。興津さんはエナジードリンクを貰って飲んでいる。それ、景品じゃないのか?
なんて思っていると、急に事務所の空気が張り詰めた感じになる。そして事務所にスーツを着た年配の男が入って来た。
スタッフや事務仕事をしている人たちが全員声を出さずに挨拶をしている。
カンペが出る。その人はお偉いさんだった。ポプアップの社長だ。
カメラの向こうのメンバーたちも異様な空気を察していた。偉い人が来ていることは気がついている。
ポップちゃんと俺は目を見合わせる。ずいぶん肝が座っているように見えたポップちゃんの表情が一瞬だけ強張った。しかし、すぐに調子を戻す。
「おお! 視聴者の皆さん、今、このスタジオになんと、ポップアップの社長様がお見えになってます! しかも、ええ、なんと、今回の料理対決の審査員は社長のようです」
社長が審査員。なんでもっと早くに教えてくれないんだろう。いや、それで驚く姿が見たいのか。
「えー! まじっすか。俺、今日初めて人に料理振舞うんすよ?」
コメントが沸いた。手応えを感じる。社長出現に対する俺の反応のターンは終わる。さて、哲爺さんはどんな行動を起こすのか。
静かに、ビニール袋に手を入れた。そして、中から缶ビールを取り出すと、一気にそれを飲み干した。
「ぐえ」
それは、世にも汚いゲップだ。この部屋の中の誰もが緊張する。が、コメントの盛り上がりは最高潮に達していた。
[これこれ][哲爺は哲学を行動で示す][哲学は語る時代から鳴らす時代になった。哲爺の功績]
哲爺さんはコメントを見ることすらしない。配信者としての風格を見せつけられた気がした。俺はなんとなく負けた気持ちになった。
そんな敗北感になんてだれも気が付く事はなく、放送は進む。
「では、早速ですが調理開始をお願いします! 時間は十五分。スタートです」
ついに始まってしまった。この料理対決。しかし、ただ料理を作るだけではいけない。これは公式配信なんだ。なにか爪痕を残さなくては。
そんな不安を解決する答えは何も思い浮かばないまま、とりあえずパスタを茹で、その隣で牛乳を煮込む。
「おっと、バブルさん、早いですね」
ポップちゃんが実況だ。本当になんでも器用にこなす人だ。顔もかわいい。
「ポップさん、パスタはなるたけ早く茹で始めないといけません。なぜなら、絶対に茹で切りたいからです。いいですか。アルデンテなんて邪道です」
「へぇー。興味ないですけども」
さすが。しっかり突き放してくれる。こうしてくれた方が俺みたいな人種はやりやすい。人と違うことを強調してもらえると変なことを続けられる。
俺はもうあとは牛乳が焦げないように混ぜながら味を整えるだけだ。なんと配信栄えのしない料理を選んでしまったんだ。
哲爺さんの様子を伺ってみる。なんと、もう一本ビールを取り出して飲んでいる。
「会社の金で飲む酒は旨い」
俺を見てニヤリと笑い呟いた。黄色い歯が覗く。一瞬見ただけて数が足りないのがわかる。
哲爺さんの言葉一つ一つは俺に強烈な印象を与えてくる。きっと、強烈な事実だからだろう。俺の事実ではなく、哲爺さんの生き様から滲み出る哲爺さんの事実。それは、見る人によっては嫌悪してしまうかもしれない。俺みたいに何かを感じ取るかもしれない。とにかく、哲爺さんの全てが強烈な事実だけで出来上がっていた。
負けてられない。配信者として。
あるいは、勝ち負けにこだわる考え自体が、哲爺さんに勝てない理由なのかもしれないと思うが、他のやり方なんて知らない。衝動に身を任せる。それだけだ。
俺は集中してカルボナーラもどきを作った。ほとんど無言だ。
「あんなに集中してるバブさんって、私見たことないです」
興津さんが言う。
「あの人、酒ばっか飲ん出るけど、成立するのか?」
蛍太さんは哲爺さんの行動に不安を覚えている。
調理している二人が静かなせいで、他のメンバーたちがしきりに口を開いている。
そんな風景の声を聞きながら、俺は牛乳を混ぜ続けた。
「いい香りがして来ましたねー」
ポップちゃんが近くで覗き込んでくる。甘い香水の匂いがした。
俺のカルボナーラは完成に近づいている。残り時間は五分。パスタもちょうど良く茹でられている。牛乳とバターとチーズをを混ぜたソースも出来上がりつつある。
一方、哲爺さんは本当に何もしていない。二缶目のプルトップを開ける音が聞こえる。
プシュ。
みんなは最近買って良かったものの話をして、絶妙に盛り上がりに欠けていた。コメント数も減って来ている。
なぜか俺はイラついていた。それは、誰もが配信者として何かを起こそうとしていないからだ。坂上さんも、自分の出番が終わってからは大した発言をしていない。蛍太さんも興津さんも普通の話題を普通に話している。
俺のイラつきは、目の前のカメラのせいなのかもしれない。いや、カメラの向こうにいる何人もの人だ。
面白いことをしたいのに何もない。それが俺をイラつかせる。
無言ではないが、なにか空回りをしたような空気のなか、料理終了三分前のベルが鳴る。
焦りはピークに達する。もう、ちゃんと美味しく料理を完成させる方向に持っていくしかない。面白味に欠けるが。脇の下に冷たい汗が流れていた。その時、哲爺さんが動く。
「あ、皆さん、笹崎さんが動きを見せました。あれは一体なんなんでしょうか」
ポップちゃんが向かう。哲爺さんは様々なお菓子をボウルに出して棒で潰している。
「細え方が旨いんだよ」
バリバリと音がする。途中、素早くレンジでチンするだけの米を温めた。昆虫のような忙しない動きだ。
[哲爺が動いている][何してるんだ?][もっと早く動き出すべきだろ]
残り一分。俺はカルボナーラをフライパンの中で混ぜ合わせてるところだ。哲爺さんの方は、丹念に粉々にしたお菓子の粉を温めた米に振りかけているところだった。
「ポイントはな、食べる直前に完成させることなんだよ。サックサクさ」
哲爺さんは自信を持って言った。
[サックサクさ][さが多いな][さが多くないか?]
視聴者が沸いている。ポップちゃんが怪訝な表情を見せる。
「ちょっと、こんな貧乏な食べ物を社長に食べさせられませんよ」
社長が即座に返事をした。
「意外とこういうのが美味しいんですよね」
スタジオに笑いが起きる。俺はうまく笑うことができなかったが、それに気がついた人はいない。哲爺さんの作り上げたお菓子ふりかけご飯が全ての注目を浴びていたからだ。
哲爺さんはルールを無視してそのお椀を社長の元に持って歩いていく。固定カメラは歩き出す哲爺さんを捉えることが出来ていない。配信には二人のやりとりだけが聞こえているはずだ。
「出来立てで食わないなら作らない方がマシなんだ。どうぞ」
社長相手にも一切態度を変えない。ちゃんとした社会不適合者で、カリスマだ。
「ありがとうございます。いただきます」
一方社長は真摯な態度だ。スタッフが急いで割り箸を持ってくる。
一瞬の静寂。パックのご飯を社長が口に入れる。
かなり几帳面に咀嚼した後、何も言わずに二口目に。なんて思わせぶりな食べ方だ。
「うん。旨い。嫁にも食べさせてみようかな」
くだらないギャグ。しかし、場の雰囲気はとてもよくなった。張り詰めた糸が緩まる。
「社長ー私にもください」
興津さんももらい美味しいと騒ぐ。
このまま配信終了してくれ。この盛り上がりで俺の料理のことを忘れてくれ。そう願わずにはいられない。
しかし、ポップちゃんは俺のほうにやって来て見事に司会進行をする。
「ではでは、バブルさんもお料理を持って来てください」
足が震える。どうすればいいんだ。このまま何もしなければ悔しさだけが残るだろう。それでも、とりあえず料理を持っていくしかない。
「あ、バブルさん、その場で大丈夫ですよ。一応、社長が審査をする場所がありますので」
スタッフが少しだけ豪華な椅子を運び入れる。
「バブルさんの料理はちゃんとしてて美味しそうですね」
社長の笑顔でカメラの前に入ってくる。
[けっこうイケメン][想像より全然若い][髪フッサフサ]
楽しそうな視聴者たち。
社長が椅子にかける。俺は料理を置く直前に蛍太さんの方を見た。
景品のエナジードリンクを飲んでいる。気がつくと駆け出していた。
そして、景品のエナジードリンクを手に取って、開ける。プルトップが音を立て、中身が少しだけ溢れ出た。
そして、社長とカルボナーラの前に立つ。
俺はカルボナーラの上でエナジードリンクの缶を傾けた。
「景品は、買った人が飲むんですよ!」
そう言ったのはポップちゃんだった。その瞬間、俺は我に帰ったことを認識した。
俺はカルボナーラにエナジードリンクを掛けて、それを社長に食べさせようとしていた。もちろん、エナジードリンクの会社が提供していることを知っていながら。
「これと一緒に食べるとさらに旨いんです」
俺は言う。もし、あのイメージを行動に移していたら、どうなっていたのか。考えるだけで身震いする。
社長は俺の行動に不信感は持たずにカルボナーラを食べた。蛍太さんや興津さん、坂上さんも特に変わった様子はない。俺がしようとした行動に気がついていないようだ。
ポップちゃんだけは気がついていたのかもしれない。が、見てみてもいつもと同じような笑顔のままだった。
「旨い」
社長が笑いながらカルボナーラをエナジードリンクで流して言った。
調理台はそのままに、社長がどこかに去って公式放送は終了間近となった。
「では、本日の勝者は……」
ポップちゃんのタメが入る。
「同点です! なので、ジャンケンで決めてもらいます」
[結局?][何となく予想ついてた][このゆるさ]
投げやりな決め方だが、視聴者は喜んでいる。やっぱり、この適当な感じが親近感を湧かすのだろう。
ジャンケンは坂上さんと興津さんがして、俺たちは負けた。
こうして公式放送は終わった。
公式配信の緩さと同じくらいに、配信終了後も緩い。軽い挨拶を済ませて後は自由だ。
とはいえ、記念すべき一回目の公式配信。その後打ち上げも行われた。
[居酒屋オオムラ]
木造仕立ての入り口には提灯が下がっている。
足立さんの行きつけのお店で、二十人ほどの規模の時によく使うそうだ。
「みんなお疲れ様。いい配信だったよ」
その店の奥の座敷に、足立さんがいた。打ち上げに参加しているのは、坂上さんを除いた出演メンバーと、予定が空いているスタッフたちだ。
坂上さんは次の仕事の予定があり参加できなかった。本当に残念そうな表情をしていた。
興津さんと蛍太さんはいつの間にかスタッフの人たちと盛り上がっていて、俺は鉄爺さん、足立さん、ポップちゃんが囲む机に座っていた。蛍太さんたちが祝福を祝う机に対して、こちらは、これからの配信をどうするかと言うどちらかといえば理論的な話をする机だった。
鉄爺さんは、食べたいものだけさっさと食べるとそそくさと帰っていった。さすが。ぶれない。
机はポップちゃんと足立さんと俺の三人になった。
帰っていく笹崎さんを足立さんはうれしそうに見ている。
「笹崎氏、さすがですよね。配信者っていうのは欠点が強みになる」
社会不適合者。鉄爺さんは圧倒的な不適合者だ。俺も仕事をやめている。蛍太さんもだ。
ポップちゃんこと、伊崎紗奈は司会の時と同様の手際の良さで、お酒、おつまみ、空いた皿を管理していた。
「伊崎さん、めちゃくちゃしっかりしてますよね」
俺のお酒を頼もうとしてくれる伊崎さんに言う。
「いえいえー。そんなことないですよ。生でよかったですか?」
「いや。もうお茶で。自分で頼むから大丈夫」
伊崎さんが笑っている。その笑顔はとても綺麗だ。二十歳とは思えないほど落ち着きもある。
「大島くん、伊崎さんのこと見過ぎじゃない?」
足立さんがおちょくってくる。
「はは。そんな。いやいや」
うまく返せないと思いつつ、しょうがないと諦める。
「ところで大島くんは、今日の配信、どうだった?」
「どう、えっと、楽しかったですね」
「それは良かった」
俺は足立さんと向かい合っている。隣には伊崎さんが座って静かに話を聞いていた。
「大島くんは、働いてるんだっけ?」
「いや、ニートです」
「これからどうして行きたいかとか、考えてる?」
目が、じっと俺のことを捉えている。ただの質問ではなさそうだ。
「配信が楽しいです。だから、とりあえずは、行けるとこまで行きたいと思ってます」
伊崎さんにいいところを見せたくて、大袈裟になってしまったけど、本当にそう思っていた。
「だったら、いい話があるんだ。次の公式配信を大島くん達にお願いしたい」
俺は、二つ返事をしていた。
「やらせてください」
足立さんが目を丸く開いて驚いた。俺だって、こんなすぐに返事をするとは思っていなかった。
伊崎さんが小さく拍手をした。足立さんの表情も和らぐ。
「いやー、良かった。でも、ここで全てを決めるわけじゃないからね。佐藤くんと興津ちゃんの話も聞いて置いてよ。それでまた今度連絡しよう。ごめん、ちょっと席を外すね」
トイレの方に歩いていった。
伊崎さんの二人になった。何を聞こうか考えていると、向こうから話しかけてくる。
「大島さん凄いですね。うらやましいです」
「え、なにが?」
「番組に決まってるじゃないですか」
とそこまで言い切って、極まり悪そうにあははと笑った。
「伊崎さんも番組出たいんだ」
「当然です」
伊崎さんが野心家なのは意外だった。
「なんていうか、意外だな」
「まあ、あんまりガツガツするのってイメージ悪く見えますもん」
「確かにそうかも」
多分、彼女は俺とまったく違う理由で配信をしている。彼女からは、配信者として面白くありたいという思いは見当たらなかった。なにか、ミスがでいないような雰囲気を感じる。
「ねえ大島さん。大島さんが番組を依頼されるのって、なんか分かる気がするんですよね」
伊崎さんにじっと見つめられる。
「教えて欲しいな。俺は全然わからないから」
「目を離せないんです。多分、その危うさのせいで」
「危うさ?」
「実は、笹崎さんも同じですけど、破滅とか、崩壊の片鱗が見えるというか。えっと、言葉にしてみると意外と難しいですね。とにかくそんな感じなんです」
言葉で表現しきれないその感じ。何となく分かる気もした。配信になると、自分の行動に対して制御が効かない。俺を突き動かす衝動には破滅的な意味が含まれているかもしれなかった。
「例えば今日、大島さん出来上がった料理にエナジードリンクをかけようとしてましたよね?」
どきりとする。それと同時に、嬉しいと感じた。やはり伊崎さんは分かってくれていた。
「伊崎さん、止めてくれたよね」
「まあ。さすがに。エナジードリンクはかなり大きなスポンサーですから」
「うん」
「でも、やろうとした。確かに視聴者は盛り上がると思います。けど、普通しません。あの先にあるのは、きっと破滅なんです」
「確かにそうかも。けど、何ていうか、コントロールできないんだ」
伊崎さんは俺の話を聞いて、顔を傾けていた。なにを言おうか考えている。そして口を開いた。
「だから、目を離せない」
配信中にだけ、俺は破滅に向かうことが出来る。確かにそうだ。その先が死だとしても俺は配信中で、大勢に人間を沸かしたいと思った時には向かっていけるのかもしれない。
急に黙った俺を見て伊崎さんが慌てて言う。
「もちろん、いい意味でですよ」
破滅に向かうのに、良い意味なんてあるわけない。そう思うと笑ってしまった。
足立さんが戻ってくる。
「二人とも楽しそうじゃない」
照れる。伊崎さんはあしらい慣れているのか、軽く笑顔で流していた。
「どう? 大島くん。伊崎さんと仕事してみて」
「いやー。すごいしっかりしてるなって。びっくりしました」
「でしょ」
足立さんは酔いが回り始め砕けた口調だ。
「足立さん飲みすぎてません? いつもそんな風に褒めてくれないのに」
伊崎さんはこういうやり取りをしながらも、着実に歩みを進めようとしている。そう思うと胸が熱くなった。俺も酒を飲みすぎていたのかもしれない。
だから、こんなことも口走れたんだと思う。
「さっき配信の話、伊崎さんも一緒に出来ないでしょうか?」
言ってしまった後で、あ、と思う。
隣で伊崎さんは目を見開き、一瞬固まる。そして俺を揺すってきた。
「なに言ってるんですかー。そういうのはちゃんと考える人が考えてくれてるんですし……」
と、ゴニョゴニョと喋る伊崎さんを遮るようにして足立さんが口を挟む。
「確かに、今の二人の漢字を見てると、それもアリな気がしてきたな」
「え、ほ、本当ですか? お酒、やっぱ飲みすぎてるんじゃないですか?」
「かもしれないね」
足立さんが笑う。
ひと段落して、伊崎さんは改めて話した。
「足立さん。私、チャンスがあるならやりたいです」
その表情は真剣。足立さんも答えるように引き締まった表情になった。
「たとえ酔っていたって、嘘は言わないよ。ましてや番組のことなら尚更。本当に今の二人をみて、ありだと考えたんだ。いや、なんだか浮かんできたよ。二人のやりとりが」
足立さんが一人でヒートアップしていく。今回の企画はほとんど足立さん一人の決定権で動くようで、しかもまだこれからという所らしく、出演はほぼ決定した。
飲み会が一応お開きになる。足立さんはすぐに帰った。というより、職場に行ったらしい。
「企画を考えるのが楽しみだ」
そう言って消えて行った。
蛍太さんと興津さんはそのまま二次会に向かったらしい。俺も誘われたが、なんとなく飲みのグループが分かれてしまっていたので帰ることにした。
帰るメンバーは駅に向かう。俺は伊崎さんと隣どうして歩いた。暖かい夜。
「大島さんって、やっぱ凄いですね」
「なにが?」
「やっぱり、破滅に向かってますよ。あの、もちろん感謝してるんですけど」
どうやら、さっきの番組出演の話のことらしかった。
「違う違う。本当に伊崎さんとできたらいいって思ったんだって。変に気を使わないでよ」
「うーん。分かりました」
二人で歩く。心地の良い酔いだった。これから伊崎さんと配信をできると考えると、胸が踊った。ワクワクする。
伊崎さんはどう思っているのだろうか。表情はいつも通りで読み取れない。きっと、野心が燃えているはずだ。
面白い。
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。