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【長編小説】配信、ヤめる。第9話「方向性」

 公式配信と個人配信は、似て非なる。その理由の主なところは企業だ。
 大きな金が動く分、様々な制約が生まれる。
 今回のポプアップ公式配信では、まずコメントの統制があった。
 元々ポップアップは暴力的だったり性的だったり不快なコメントは非表示になるシステムだ。それはやはりスポンサーをつけるために行われている。
 それには大きな問題がある。配信者は視聴者のリアルな声を聞けなくなることだ。
 その場の空気感。配信とはその場に実際に集まっているわけではないが、それでも独特な空気感が生まれる。
 むしろ、実際に顔を合わせていないからこその新しい空気がある。
 それは普段は抑圧された憎悪、もしくは直接的な愛情の言葉。とにかくそのカオスに新しい人間の関わり方があるのだと感じていた。
「だからその放送には出ない」
 蛍太さんはパソコンの画面に向かいながら言った。配信終わりの打ち上げで結局始発で帰ってきた蛍太さんは帰ってきてそのままFPSを始めた。スタッフの一部とやっているらしい。
 バン、バン、ババババ……。
 ゲームの試合が終わってから、興津さんも配信には出ないと連絡が来た。
「そっか、了解っす」
 なるべく平然を装いながら返事をする。それでも、俺の緊張はバレてしまっている気もした。蛍太さんが何も言わないから俺も何も聞けない。
 俺自身も出演を手放しで喜べなくなっていた。それは、ネットでの感想を見てしまったからだ。
 エゴサーチ。
 自分自身のことを検索すること。
 今回の意見は辛辣なものが多かった。
[公式に魂を売った][結局いつもの良さがなくなってる][なんか普通って感じだったわ]
 しかも、それは配信前から危惧されていたことがそのままという感じだった。
 少しだけポップアップのスタッフを恨む。きっとかなりのコメントを削除していたんだろう。あの時には批判的なコメントはなかった。
 批判的なコメントがあの時に見れていればと考えてみる。しかし、結局何もできなかっただろう。公式配信という制約は大きい。

 夜になる。思い出すのは伊崎さんと歩いたあの暑さだ。
 寝る前にまたエゴサーチをすると、だいぶ意見が出揃ってきた。賛成意見も増えきたが、やはり批判的な意見が多い。
 けど、圧倒的に母数が多い。いままでの視聴者数の倍近くの反応がある。天秤にかけた時、どちらが良いのかはわからない。
 インターネットの海を彷徨っている。明け方四時。アルハレブログが更新された。
 やっときた。このタイミングで。
 テオティワカンの記事を期待してサイトを開く。最新の記事を見た。
[当ブログの今後の方針につきまして]
 一体なんだろうか。あまり良い予感はしない。いや、全く良い予感はない。
 俺は記事を開いた。

「堅苦しいタイトルになっていますが、文章は砕けた形にします。そっちの方が気持ちが伝わるのではないかと思うので。
 まず、簡潔に。当ブログはこの記事を最後に一度、停止させていただきます。理由は一つです。自分がこのブログを運営するのが楽しくないと思い始めたからです。
 なぜ、そう思ったのか。それは皆様もご覧になられたと思いますポップアップ公式配信が今のところ一番の理由になります。
 あの配信でバブル氏の良さは完全に消えていました。公式になるということはそういうことなのかもしれませんが、応援することはできないと感じました。
 最後のカルボナーラを作った時、あの時、エナジードリンクを持ってきていました。その場面に違和感を感じて何度も見直しました。
 本当は、エナジードリンクを料理にぶちまけるつもりだったんじゃないかと、そういう風に見えました。でも、していません。公式配信故の様々な制約がそうさせたんだと思います。
 ですから、もし、このような配信が増えるのだとしたら、それを記事にするのは辛い。だから、この、アルハレブログは一時的に閉鎖させていただきます。
 いつか、この記事をみたバブル氏、積木氏、gas6氏が心を入れ替えてくれた時、また皆様とお会いできればと思います」

 絶句。
 見ているサイト、間違えたのか? けど、見直してもやはりアルハレブログで、ある晴れた日がこの文章を書いている。
 一体、この感情をなんと言えば良いのだろうか。苛立ちがある。悲しみがある。恥ずかしさがある。
 簡単に言い表せない。思い出すのはアルハレが初めて配信外で連絡をしてきた時の気持ちだ。
 裏切ったのか裏切られたのか。
 とにかく混乱していた。もう一度読み直して、アルハレの意図をもっと汲み取らなくてはいけない。
 段々と、明確な怒りが吹き上がるのがわかる。アルハレはまるで俺たちの命運を自分が握っていると考えている。そうとしか思えなかった。
「いつか、この記事をみたバブル氏、積木氏、gas6氏が心を入れ替えてくれた時、また皆様とお会いできればと思います」
 なんで俺が心を入れ替えるんだよ。
 そんなことを考えていると、いつの間にか日は昇り切っていた。そこでようやく眠りについた。

 その日の夕方、蛍太さんは部屋からいなくなっていた。どこかに出かけたのだ。
 足立さんに蛍太さんと興津さんが次の公式配信に出ないことを伝えると、また機会があればといった内容の返信が届いた。
 その後すぐにスマホが鳴る。
「もしもし。大島さんの携帯でお間違えないですか?」
 足立さんからだった。
「はい。大島です。どうかしました?」
「突然なんだけど、明後日って空いてるかい?」
「明後日ですか?」
 予定なんてないのに、一応驚いた感じで返事をした。
「そう。明後日」
「空いてますけど、なにか予定があるんですか?」
「配信、できる? 公式配信なんだけど」
「ずいぶん急ですね」
「数を撃ちたいんだ」
「誰に当てるつもりですか?」
「ある晴れた日」
 まさか。でもそうか。足立さんはあるハレブログを見ている。
 俺は返事をしてるけど、自分がなにを言ってるのか分からない。
「やっぱ大島くんも見ていたんだね。あの声明は僕に対する挑戦と受け取ったよ。うん」
 声色に好戦的な雰囲気が帯びる。
「自分には挑戦なんて風には思えませんでした」
「そうかい? 僕にはアルハレ君が、大島くんをうまく扱いきれなかったってことを言いたいんだと思ったけど?」 
「それは……」
 俺に言われても。と思う。ただ、足立さんの意見には同意出来るところがあった。
 アルハレが番組制作者を意図的に批判したのかは分からないが、心の奥底でそういう風に思っていたんだろう。
 けど、足立さんの口からそのことを聞くと不安になる。これは俺とアルハレの話なのに、部外者が立ち入ってくる感じ。後から来た人がルールを塗り替えていく。

 俺は一人で事務所に来た。今日は配信の打ち合わせ。明日が本番だ。
「あんま派手なことしようとするなよ」
 俺が家を出る時、蛍太さんが言った。もちろん、アルハレのブログを読んだ上での発言だ。
 蛍太さんはアルハレのブログをなんとも思っていない。興津さんはもともとアルハレに大していい印象を持っていなかったみたいで、蛍太さんから話を聞くだけでその怒りが伝わってきた。
 直接、アルハレに話を訊こうと思ったが、辞めておいた。きっとインターネットでの別れとはこういうものなんだろう。

 休憩室で打ち合わせを行う。足立さんと伊崎さんと俺の三人。
「前回はお疲れ様でした。結構反響あったね」
 あだたいさんが笑顔で言う、アルハレブログについては何も言わない。ここで話す内容でもないだろう。
「うれしいです」
 伊崎さんが笑う。知っているのだろうか。伊崎さんはアルハレブログのことを。頭の中をかすめるその雑念を払って配信のことを聞く。
「どんなことをするんですか?」
「うん。今回のは、これからの企画を考えるって企画」
「それはまた、難しそうですね。なんと言いますか、盛り上げづらいと言うか」
 足立さんは俺の答えを聞くと、すこし悩んでから答える。
「エピソードゼロっていうのかな。これから始まる二人の配信。それをファンが一緒に作り上げているって一体感。それを作り出したいんだよね。いや、作り出したいというよりも、大島くん。君はそうやって人と関わるのが向いていると思うんだよ」
 俺に向いている。その言葉はアルハレを意識しから出た言葉だろうか。
「大島さんばっか気にかけられててズルイです」
 と伊崎さんがいってあははと笑った。
「いや、伊崎ちゃんも絶対に必要だよ。きっと大島くんは配信中にやりすぎてしまうんだ。だから、その時には君のバランス感覚を働かせてうまく処理してあげて欲しい。この前の公式配信の時のようにね」
「確かに、大島さんって危なっかしいところありますもんね」
 伊崎さんの目が輝いている。オレンジ色のアイシャドウ。一緒に配信の番組を持てて嬉しいと、しみじみと感じた。
「配信時間は無制限。とはいかないけど、五時間はとってある。場所は近くの音楽スタジオだよ。ちゃんと許可は取ってるから心配しないで」
 許可の心配よりも、音楽スタジオが一体どんな所なのか。そっちの方が心配だ。
 隣の伊崎さんは平気なご様子。
「あー、あと重要なことがあった。今回の放送は事前告知を絶対にしないでね。突発で放送を始めるから」
 つまり、俺たちの放送に辿り着けるのは、ポップアップのアカウントを登録している人だけが見に来るということなのだろう。
 でも、それは見てくれる人に対して少し失礼な気がする。
「告知しといた方が視聴者は稼げると思うんですけど、違うんですかね?」
 伊崎さんが質問を投げる。
「これは難しい所だと私も思っているんだけどね、まあ、アカウントに登録しておく価値をつけたいし、それに、最悪これで不満が出てもいいと思ってるんだ」
 悪い反響があってもいい。それが意味するのはきっと、炎上だ。
「大島くんはなんとなく勘づいてるみたいだね。そう。炎上商法。けどまあ、そんなに燃えないと思うけどね。ただ、仮に批判の声が大きくなったとしても、商法として受け止めることができるくらいの逃げ道はあるってこと」
 まあ、気楽にやればいいか。と、配信中じゃない俺が思った。

 それから、足立さんは次の打ち合わせがあると言って出て行った。
「大島さんはこのあと予定あります?」
 伊崎さんはカバンにスマホをしまっている最中だ。
「何もないかな。ニートだから」
「ニートでも予定が詰まってる人っていっぱい居ますよ」
 確かに伊崎さんのいう通りだ。
「暇ならご飯食べに行きましょうよ」
「え、俺?」
「そんなボケ、配信じゃ拾いませんよ。ほら行きましょ」
 急かされながら休憩室を出る。何かを忘れて行ってしまったような、不安な感じがする。けど、忘れている物はなかった。
 伊崎さんと食事を取ったあと、連絡先を交換してから別れた。このあとは友人がやっている居酒屋の一日店長をするのだそうだ。
 俺も誘われたが、伊崎さんの客として行くのがなんとなく嫌で断った。
「じゃあ、今度は普通に飲みに行きましょーね」
 そうだねと、俺は返事をしたと思うが、そんなことよりも。普通の意味の曖昧さに頭を悩ませていた。
 その悩ましさは家に着くまで消えることはなかった。

 蛍太さんは居なかった。出かけているようだ。久々に一人になった気がする。
 また、俺は公式放送に出る。言いたいけど、言えない。まあ、蛍太さんには言っても問題ないか。元々誘われてたし。
 ふと、なにかを忘れていることに気が付く。思えばこういう時、アルハレに連絡することも多かったな。
 今、この気持ちを話すことができる人がいない。もしくは、誰にも共感されないという思い自体がこの気持ちなのかもしれない。
 伊崎さんに連絡をすることにした。返信はすぐに来た。居酒屋は盛り上がっているらしい。
 自分はどこに向かうのだろうか。
 今年の夏が始まってから、蛍太さんや興津さん、視聴者、伊崎さん、いろんな初めて合うような人たちと一緒にいた。仕事を辞めてからまだ一ヶ月しか経っていない。蛍太さんと出会ってからはまだ一ヶ月も経っていない。だけど俺は動画サイトの公式放送に出演している。
 そして今は一人だ。思い出すのは、石鹸屋に勤めていた時のことだ。暗雲とした気持ちに包まれていた。人とのつながりが感じられず、ひたすら工場の中で決められた業務をこなす。
 今、あの工場の中で働いている部長は、一体どうして働いているのだろうか。
 俺は今、やりがいを感じてますと、小さく呟いてみた。気持ちが軽くなった気がした。
 次の日、いつの間にか帰ってきていた蛍太さんはまたパソコンに向かってfpsをしている。
「蛍太さん、行ってくる」
「ほーい」
 用件は聞かれなかった。

 都内某所、音楽スタジオにやってきた。
 金髪の男性店員がスタジオまで案内してくれる。中にはドラムセットと、いかにも音楽をやるときに使うっぽい機材が置いてある。それと、ピアノ。
「暑いですね」
 伊崎さんが手で顔を仰いでいる。
「エアコンつけます」
 そう言ったのは今日の放送でカメラを回してくれるスタッフの女性だ。太い黒縁メガネをかけている。伊崎さんとは交友があるらしいが、もともと無口なタイプなのか、会話はしていない。けど、確かにリラックスしている感じはする。
 スタッフがエアコンを入れると、その後には放送の準備を始めた。部屋を一度ぐるりを回ってから、カメラを位置取っている。
 伊崎さんはふらふらと歩きながら、ピアノの方に近づいて行った。グランドピアノじゃなくて、小学校の教室に置いてあるようなタイプだ。
「アップライトピアノですね。私の家にもあるんですよ」
 伊崎さんがそう話しながら、椅子に座った。そしてピアノを弾き始めた。
 ネットでは人気のゲーム音楽だ。聴いた記憶がある。
 演奏は中途半端なところで終わった。
「伊崎さんピアノ弾けるんだ」
「合唱祭とかで弾いてるタイプでしたよ」
 制服姿で演奏する姿がすぐに目に浮かんだ。女性スタッフが拍手して頷いている。なんか、わかってる人の雰囲気がしっかり出ていた。
 どうやら、放送の準備が整っていたようで、演奏が終わるのを待っていたらしい。
「こちらの椅子に座ってください。放送開始五分前です」
 そしてすぐに放送の時間がやってくる。

[これなに?][通知で来たけどなんかあったっけ?][平日のこの時間で急に始まる放送に来れる視聴者]
 コメントが流れる。今はまだカメラは映さないようにしているので画面は黒い。
「あー。あー。マイクテスト」
 俺が声を出す。
[誰だ?][知らん][バブル][この前公式にででた人だ]
 案外わかるんだと感心する。
「マイクテストです」
 今度は伊崎さんだ。
[ポップちゃん!][ポップ!!]「!!!!!」[親の声より聞いた声]
 明らかに俺の時よりコメントが多い。それにほとんどが正解のコメントだ。
 平日の昼間。この時間に集まってくる人間は、本物だ。
「聞こえてますね」
 そう言いながらも、カメラがつき、配信画面には俺と伊崎さんが映る。後ろには壁。すこしアンプが見切れている。
 困惑のコメントが多い。けど、これはみんなでそういう雰囲気を作ろうとしているのだろう。視聴者は二百人ほど。
「どうも、バブルです」
「はい。ポップちゃんでーす」
[これ何?][何が始まるんですか?]
「えー、今日が一体何なのかというとね、うーん。表現が難しいな」
 俺が上手い言葉を見つけられずにいると伊崎さんが代わりに話し出してくれた。
「今日はですね、皆さんと一緒に考えたいことがあって放送を始めたんです」
 ちらりと伊崎さんがこっちを向いて不意に目があった。思わず微笑む。
「これはですね、ここで初めての発表になるんですけど、私たち二人で公式の放送を始めることになりまして……」
 驚きのコメントが増える。幸い、悪いコメントは少ない。
 それから雑談を交えどんな番組にしたいのかの構想を語った。
 伊崎さんはピアノの演奏をしたり、美味しい食べ物を食べに行きたいとか、最近ハマっていることを話したり。
 女性スタッフも少し会話に加わっていた。
 そうしてグダグダと一時間が過ぎた。なんとも心地よい時間だった。視聴者が少ないことと、コメントの暖かさ。これから始まる番組への期待感も見てとれる。
「あはは。それいいかもね」
 新種の虫を探しに行けというコメントで笑っていると、スマホが鳴った。カメラに映らないように確認してみる。蛍太さんからだった。なぜか、いやな予感がした。
[放送中にすまん。もし確認できるならエゴサしてくれ。炎上してるぞ]
 アルハレのことが頭に浮かんだ。俺は配信画面を見て自分の顔が引き攣ってないかを確認する。大丈夫そうだ。
「ごめん、ちょっと席外すね」
 伊崎さんはちょうどスタッフを交えて話していた。一瞬目が合う。何かを察してくれたのか、快く俺を送ってくれた。
「はーい。でさ……」
 伊崎さんとスタッフの会話を聞きながら部屋を出た。

 蛍太さんから続けて連絡が来る。
[とりあえずここ確認してみてくれ]
 サイトが送られてきていた。掲示板だった。どうやら出てきたばかりの配信者全般の話をする場所らしい。
 エゴサは何度かしているが、このページはみたことがなかった。この掲示板は一年ほど前から出来ていたようだ。書き込みの頻度を見る限り頻繁に使われた形跡はなかった。
 この前のアルハレのブログでの表明以降で俺たちのことに言及するコメントが増えている。アルハレのブログのコメント欄は俺の信者とアンチが戦う場所だったのに対して、この場所はアンチの巣窟といえるだろう。
[バブルが逃げたな]
 まさに今書き込みがあった。今回の放送が始まってからのコメントを見てみると、俺の全ての動きと言葉に悪意を込めた書き込みがされている。こいつら、匿名だからって言いたい放題だな。怒りが湧いてくる。
 アルハレブログの方を見に行く。激しい戦いが繰り広げられていた。
 信者、アンチ、中立、野次馬。入り乱れてバトルをしている。一つのコメントにはいくつもの返事がついていて、全てを把握するのは不可能だ。
 このコメントたちは、全て俺が公式配信に出ていることについて話しているのに、とても他人事のように思えた。
 ざっと全てを見て、俺は蛍太さんに返事をした。
[これくらいなら大丈夫です。教えてくれてありがとう]
[そっか。ならよかった。頑張れよ]
 返事を確認して伊崎さんのところに戻ろうと扉に手をかけると、また通知が入った。蛍太さんからだ。
[おい、今これがでた。やばいかもしれない]
 リンクはあるハレブログの新しい記事だった。今上がったばかりだ。
[※警告※ 即刻、バブル氏は配信を中断せよ]
「なにこれ」
 思わず声が出た。それ以上なにも書かれていない。コメント欄も閉鎖されている。
 俺は扉から手を離した。
[見たか? まあ、何もないとは思うけどな]
 そうだ。別にこんな記事を書いてきたって何もできないはずだ。
 また扉に手をかけて配信に戻った。
 ふわふわとした気分のまま配信が終わった。そして、悪夢のような記事が上がった。
「これ、やばくないですか?」
 待合室で俺も伊崎さんもアルハレブログを見ていた。
[配信者の闇 期待の新星バ○ル氏も参加?
 八月某日 都内であるパーティーが開かれた。有名ミュージシャンの別荘を借りて行われたそのパーティーで、今をときめく若手配信者の公式放送出演の縁になったと言われている。しかし、そんな華やかな話と裏腹に、曰く付きのイキヌキをしていたのだった。この会に参加した〇〇氏の証言を我々は極秘に手に入れた。「ブチ上げのヤツをやりに行くって言ってた配信者がちらほらいましたね。俺は怖くて逃げましたけど」どうやら、そのパーティーの後、場所を変えて曰く付きの二次会が行われていたのだという。もちろん、その中には今をときめく若手配信者もいたという]
 いつもと違う文体。週刊誌のような内容。アルハレが書いていると信じられなかった。
「あのー、大丈夫ですか? これ足立さんに報告しといたほうがいいですよね」
「そう、だよね」
 足立さんもこの記事を見ている。それは確実だ。だけど、連絡するのは気が引けた。この記事はきっと、アルハレの警告を無視したから出したのだろうし、その責任を感じてたからだ。
 とは思いつつ、足立さんに連絡をする。すぐに出た。
「大島くん、お疲れ様」
「はい。あ、あの……」
「アルハレブログのことだよね」
「そうです。あの……」
 一体何を言えばいいのか。特に言うことなんてない。ただ、足立さんはそうじゃないみたいだった。
「あの記事、大島くんは関わってないよね?」
 その意味を理解するのに少し時間がかかった。
「えっと、俺がアルハレにそう言う情報を流したんじゃないかって、思ってるってことですか?」
「そうじゃないんだ。けど、すまない。気分を害するようなことを言って悪かった」
「いや、大丈夫です。もちろん関わってないです」
「そうか。わかった。ちょっと、またあとで連絡する」
 通話は切れた。
「大丈夫でしたか?」
 伊崎さんは俺のことを本当に心配していた。それはわかっていた。
「大丈夫なはず、ないでしょ」
 なんてことを言ってしまって、悔しくて、けどどうすることもできずにスタジオを出た。振り向くことは出来なかった。

 家に帰ると、カレーの匂いがした。料理をしているなんて珍しい。
「穣介、おかえり」
「料理なんて珍しいですね」
「俺は作らないよ。積木ちゃんが来てるんだ」
 玄関にはでっかい厚底の靴が置いてある。
 靴を脱ぎ中に入ると、興津さんが見えた。
「お疲れ様です。私、料理作るのあんま得意じゃないんですよね」
 しっかりとゴシックロリータの服装に身を包んでいる。今日はオレンジ色な感じだ。
「今日はどうしたの?」
「まあ、なんだかんだ私、心配性なんで。大島さんが心配で来ました」
「そっか。それなら大丈夫だよ」
「ふーん。あ、やばいやばい」
 興津さんは慌ただしく料理に戻った。
 とりあえずいつもの場所に座り、とりあえず置いてあるエナジードリンクを飲んだ。とりあえず横になってみて、とりあえず今日のできごとを思い出してみた。
 これ、普通にヤバくないか?
 とうてい普段の生活の感じに戻れるはずがない。冷静になればなるほど、起きた出来事のヤバさを感じる。
 暑いのに、冷や汗が伝う。
「穣介。アルハレのあの記事についてなにか知ってることはあるか?」
 足立さんと同じ質問なのだろう。二度目だ。慣れた。
「それって、俺を疑ってるってことっすか?」
「は? ていうか、アルハレと連絡を取ってたのって穣介だけだろ」
「そうだけど……」
「興津っち! ご飯できた? 穣介は見た目より凹んでるぞ」
 そのストレートな言葉は素直に俺の心に入り込んできた。
「俺、凹んでるんですかね」
「まあ、少なくとも尖ってはいないぜ」
 カレーがやってきた。野菜多め。豚肉入り。
 小さい机に三つ並べた。皿は全部バラバラだ。いただきますと声を揃えて、特に会話をすることもなく食べ終えた。
 食器を洗う音を聞きながら、今回のアルハレの件について蛍太さんが話している。
「アルハレのこと、穣介はあのパーティーに誘ってたんだよな?」
「うん」
「でもこなかった。そのあとは? 何か連絡した?」
「全くです」
「やっぱりあの記事はデタラメなんじゃないかな。アルハレはそのパーティーがあることだけを知っていて、だからあんな風な記事を書いたんだ。穣介が公式放送に出るのが嫌だから」
 アルハレは俺のなにを知ったつもりになっているんだろうか。
 食器を洗い終わった興津さんがやってくる。
「アルハレって人、私は変だってずっと思ってました。変な人、多いですよ。配信の世界は」
「穣介、ああ言う奴は気にしててもしょうがないぜ。もしこれ以上問題を起こされるならちゃんとした対応をしていかないと」
 二人はこれからの対応についていろいろ話していた。けど、なんとなく、その話に違和感を感じていた。
 何より俺は、アルハレと一緒に配信を考えたり、アルハレブログを読んだりして、それが楽しかったんじゃないか。
 アルハレが変な記事を書いたりしても、蛍太さんや興津さんがそれに対して言うことに少しだけ抵抗があった。
 モヤモヤとした気持ちを抱えたままする会話は重労働だ。しかも、ここにいる三人は思い思いのモヤモヤとした感情を抱えているように思う。一体それがなんなのかわからないが。
 お互いに対する不信感なのだろうか。
 今まで、同じ配信者としての繋がりを感じていたのに。俺たちの接点が薄くなり始めているのかもしれない。
 進むべき方向、これからの目的、避けたい問題。それがお互いにバラバラになっていく。
 もしくは、バラバラになっているのをまとめ上げようとしているのかもしれない。
 会話は途方もなく長く、何もなかった。

 蛍太さんがスマホを見ていた。目が見開く。
「これ、やばいな」
 俺と興津さんも近づき、スマホを覗き込む。それは、配信者の引退ニュースだった。
「知ってる人ですか?」
 蛍太さんに訊くが返事がない。代わりに、興津さんが声を出した。
「あれ? この人、私見たことあります。どこだっけ?」
 そして俺も気がつく。
「あ! あのパーティーに居たような」
 蛍太さんが顔を上げる。
「さっき急に引退を宣言したらしい。無期限休止という見方もあるらしいけど。けど、これはヤバイな」
「それって、アルハレの記事が関係してるかもしれないってこと?」 
 その配信者のことを調べてみる。名前は「堕天メガネ」。名前の通り黒縁メガネをかけている。一見地味に見えるが、意外に整った顔立ちをしていた。生配信というよりは動画が多い人だ。配信を始めてなければ接点を持つことなんてなかったタイプ。
 投稿の動画を見ていくと、見たことがある顔があった。キャラメル大陸の二人とのコラボ動画もしているみたいだった。他にも、同じくらいの年齢のグループと一緒に動画を撮っている。
 主に実験系を扱っているようだ。ポップで元気な感じがする。
 蛍太さんが口を開く。
「まず、アルハレの記事が事実だったとして、なんでそのことをアルハレが知っていたのか」
「それ、俺がアルハレをパーティーに誘っちゃったから」
「でも、それは足立さんも望んでたことだろ。うーん、実は、あの場所にアルハレは来てたのかな」
「いや、場所は知らないはずです。少なくとも俺からは伝えてないですね」
 もう、何を話してもそれはただの空想でしかなかった。アルハレに訊ければいいのだけど。いや、もはや直接訊いたところで真実にたどり着くことなんてできないだろう。
 興津さんはサイダーに果物のアイスを砕いた飲み物を持ってきた。一口飲んでみる。冷たくて、甘くて、刺激があった。
「結局、バブルさんはどうするんですか?」
「えっと、どうするって、一体何?」
 嫌な沈黙があった。
「私、アルハレさんは嫌いですけど、実は公式配信の声明には少しだけ共感できるんです。別に、バブルさんのことを否定したいわけではないんですけど」
 頭の中にはてなが浮かんだ。そして興津さんの言っていることを理解してから、頭に血が上った。
「それって、嫉妬に近い感情じゃないの」
 冷たく言う。自分でも驚いた。別に、興津さんのことが嫌いなわけじゃないのに。
 思えば、こんなに自分の世界に人が踏み込んでくるのは初めての経験だった。俺がやりたいように配信をしているのに、それを身近な人が批判的に思う。いや、でも、公式放送は本当に俺がやりたいように出来ているのだろうか。アルハレの表明は正しかったのだろうか。
「バブルさんがやりたいなら、そうすればいいと思います。本当にそう思いますよ」
 興津さんが桃色のサイダーを飲み切ると、立ち上がった。
「じゃあ、今日はもうお邪魔しますね。じゃあ」
 玄関に歩いて行った。
「カレー、美味しかった。ありがとう」
 そう声をかけると、興津さんは微笑んでくれる。返事はなかった。

 伊崎さんと俺の公式配信の日が決まった。二週間後だった。足立さんからは今回のアルハレの件はむしろ視聴者を増やすチャンスだと意気込んでいた。伊崎さんも負けずに頑張ろうと連絡をくれ、俺もその気になっていた。
 告知を俺のアカウントから流す。翌日、アルハレが声明を出した。
 ブログには、言葉はなく全てが写真だった。
 俺の動画から画像を引き抜いたものが配信順に並んでいる。次に、配信以外の俺の姿が写されている写真。そして、その印刷されたその写真たちが燃やされている写真。

 俺は配信をやめた。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。