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第0回:ベッドの中の治外法権

何か新しいことをnoteで始めようと思い、性愛について、いや、快楽に書いていくマガジンを始めました。マガジンのタイトルは日本の性医学者=奈良林祥が記した『How To Sex』での「ベッドの中に法律はない」のもじりです。

「なぜこのテーマなのか」ということについては、この文章を書きながら考察していきたいと思います。つまり、なんとなく始めたということですね。

まず、エクスタシーは快楽の極限であり、死への漸近線であるということが挙げられます。これは、現代、ますます悪化していく病気であるところの<自我>に大きく関わる問題なのです。性愛というものは、そもそも<自我>を超えた快楽を味わうため、超自我的な存在と二人三脚で登山をするようなものだと考えています。言いかえれば、より大きな快楽と一体化することで、みみっちくてダサい<自我>を超越するところに醍醐味があると言えます。

そして、忘我の境地で快楽とともに極限まで接近する対象は死でしょう。死を<自我>という視座から眺めると、終焉を意味します。死という文字からは壮絶、絶望などのイメージも喚起されますが、反対に安寧や甘美という印象も拭えないでしょう。例えば、殉教というものがあります。これは自らの信仰のために死を選ぶことです。そして、今すぐ「殉教 絵画」で検索をしてみてください。自我を離れ、大いなる信仰と創造主のために自ら死を選び、恍惚の表情を浮かべる多くの宗教画をご覧になれます。

つまり、<自我>を離れ、大いなるものに接続し、<自我>を消し去るその恍惚、それこそが快楽の持つひとつの側面であるということを私は主張したい。

次に、快楽はアナーキーであるということもやはり触れねばならないでしょう。大いなるものへの接続は、地上の規則を全て無効化することができうるのです。例えば正常位という言葉がありますが、自然界を見渡して正常位を行っている生物はごくわずかです。これのどこが正常なのでしょうか? 本来であれば後背位こそが正常の名にふさわしいはずです。こんな些細なことからもわかるように、性において正常と異常の境界は曖昧となり、ささやかな個人の経験と友人との会話、そして作り物であるポルノ・ビデオのみがまことしやかに正常ないし、異常の判断基準となっていくわけです。そして、我々は風前の灯火とも言える心細い気持ちで、快楽の大海を渡って行くこととなります。我々は快楽の海を生き抜く海賊であるということもできるでしょう。海賊には船員同士のマナーはありますが、ルールなどは存在しない。ゆえに快楽は、根本的にはアナーキストであると思うのです。


さて、つらつらと書いてきましたが、本マガジンを記すにあたっての底本を示しておきましょう。

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「トンデモ超変態系」著:ブレンダ・ラヴ、訳:船津歩/二見書房

これです。

1992年に発行された「Encyclopedia of Unusual Sex Practice」の邦訳で、1998年に邦訳された本です。約400項目に渡って収められた変態的性行為についての百科事典的な1冊。

この中から選りすぐりのものをご紹介し、何かと制約の強く息苦しい現代に爽やかな快楽のひとしずくをご紹介できれば、と思っている次第です。

言い忘れていることを思い出しました。この本の中には、性器をすり合わせるだけという実に味気なく、そっけない性行為以外のものが収められています。つまり、快楽と接合するための人類の智慧と目まぐるしい文化のすべてが収められていると言っても過言ではありません。このたゆまぬ努力の結晶を読者の皆さまと一緒に眺めつつ、その幾何学的精神や無機的な冷たい輝き、あるいは有機的な結合の美しさを味わえれば私は本望です。

何回か書いてみて好評であれば、クラフト・エビングをはじめ、気の向くままに古今東西を訪れ、世界各国タイムスリップ旅行を楽しみたいですね。それでは第0回はこのへんで。

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