見出し画像

ケンタくん

ケンタくんが忘れられない。

私はケンタくんのことがずっと大好きで
ケンタくんも私のことが大好きだったと思う。

ケンタくんは会えばいつも走って私のところに来て、甘えてきた。
私はケンタくんと手を繋ぐのが大好きだった。ハグもいっぱいした。

今日の主人公、ケンタくん。
昔むかし、近所のお宅で飼われていた柴犬である。

ケンタくんも赤毛だった。(フリー画像お借りしました)

私の家は祖父が犬嫌いで、父も幼少期に飼い犬に逃げられたことがあることから、犬を飼うことは我が家ではありえなかった。
猫も家が傷むからという理由でダメだった。

父が飼っていた犬は、家族にでも誰にでも牙を剥く、賢いとは言えない犬だったそうだ。特に郵便屋さんは毎回のように追われていたらしい。
そしてある日、誰かを追いかけて行ったまま帰ってこなかった。

ちなみに名前は「ポリ」
交番の前で「ポリ公!」と呼びたいという、いかにも小学生男子(父)らしいアホな思想から生まれた名前である。
賢くないのは、犬も飼い主も同じだったようだ。

犬猫が飼えない代わりに(?)金魚は飼っていて、どの金魚もやたら長生きして鮒のようなサイズになっていた。
今でも20年近く生きている金魚が実家にいる。
東日本大震災で、揺れの勢いで床に投げ出されたにも関わらず、今でも生きているめちゃくちゃタフな奴である。


幼少期の私はとにかく「犬を飼う」ということに猛烈な憧れを抱いていた。多分、当時大流行した「家なき子」の影響だと思う。

同情するなら金をくれ

誕生日に頼んでもだめ、クリスマスに頼んでもダメ。だから私は近所のお宅で飼われていた柴犬に興味の矛先を向けた。
それがケンタくんである。

小学校の通学路はケンタくんの家の前を通ったので、帰り道には毎日顔を出した。
門から覗くと尻尾を振りながらトコトコと歩いてくるあの姿。今でも目に焼きついている。そして思い出しただけでも萌える。

ケンタくんの飼い主は老夫婦だった。私の祖父母くらいだったろうか。おじさんは私が門の前にいることに気付くと庭に入れてくれた。

「手のひらを上にして、ケンタの顔より下から近づけるんだよ。手が逆さまで上からだと、犬は叩かれると思うからね。」
「鼻を近づけたり舐めたりするのは、匂いを覚えるためだよ。」

犬に慣れていない私が触れるようになるまで、おじさんはいつもそう言って仲良くなる方法を教えてくれた。
時々ジャーキーやほねっこを渡してくれて、ケンタくんにあげさせてくれた。肉球のよさも教えてもらった。


ある日、いつものようにケンタくんに会いに行ったら、ケンタくんが小さくなっていた。

この家でくつろいでるんだから、ケンタくんに決まってる。
いやでも明らかに小さいし、白い毛の面積は増えたし、前より顔がシュッとしている。
小学校低学年の私、頭の上に?が並びまくって大渋滞だったので、その日は遊ばずに帰った。

後日、おじさんに会った時に、前のケンタくんが亡くなったことを聞いた。そしてすぐに新しいケンタくんを迎えたそうだ。

私がいつも遊んでいたケンタくんは2代目だったらしい。初代は私が生まれる前のケンタくんなので知らない。
新しい犬を迎える時に同じ犬種、同じ色、同じ性別を選び、同じ名前を付けていた飼い主のご夫婦。きっと何か特別な思い入れがあったんだろうな。


3代目ケンタくんは、2代目より元気がよかった。私が遊びに行くと声をあげてダッシュで走ってきて、尻尾を振ってくれた。
そういえば2代目ケンタくん、ほとんど鳴かなかったし、そんなに早くは走らなかったな。もうおじいちゃんだったのかな。

門の中に入った途端、飛びかかってきて驚かされたこともある。じゃれるあまり、太ももが引っかき傷だらけになったこともある。
3代目ケンタくんはジャーキーの食べっぷりもよかった。やんちゃ坊主という言葉がお似合いの柴犬だった。


中学生になってからは明るい時間に帰ってくることも少なくて、ケンタくんにはほとんど会わなくなった。
思春期だったからだろうか。おじさんや近所の人に会うのをなんとなく疎ましく感じてしまって、あまり寄らなくなった。

高校生になってからは、ケンタくんの家の前を通らなくなったので、おじさんにもケンタくんにも、もっと会わなくなった。


大学生の頃におじさんが亡くなり、しばらくはおばさんが散歩をしていた。おばさんもご高齢になって、散歩は大変そうだった。

手伝います。そう言えばよかったかな。
ケンタくんのことを思い出す度に、そのことだけはちょっと後悔が残る。

それから少しして、3代目ケンタくんが亡くなり、おばさんも亡くなった。私がケンタくんに会いたくて張り付いていたあの門がある家には、今はおばさんの親戚が住んでいる。


ケンタくんとおじさんのおかげで、私は今でも柴犬がたまらなく好き。インスタの柴犬動画に癒される日々だし、柴犬を飼う妄想なんて何百回もしている。
ケンタくんの影響で、飼うなら絶対赤毛だと思っていたけれど、黒毛も可愛いと思い始めている。あと豆柴もよい。

大人と子ども、どっちがいい?なんて質問を、誰もが一度はしたりされたりしたことがあると思う。
私は断然、大人だ。大人には自由があって、子どもの時よりもたくさんの選択肢を持つことができる。

そう、今の私には柴犬を飼うことだってできるのだ。しかも今の家はペット可だ。
やろうと思えばいつでも「犬を飼う」という夢を叶えることができるのだ。

それでも飼うことに踏み切れないのは、仕事で家を空ける時間が長いから。朝7時に家を出て、20時頃に帰って来る生活。
私と一緒じゃその犬はかわいそうだ。

それからいつかやってくるお別れが怖い。絶対にペットロスになって、ボロボロになる自分が安易に想像できる。

だからもう少しだけ、柴犬との暮らしは妄想の中に留めておこうと思う。私にもっと時間ができて、お別れと向き合えるくらい強くなったら、その時は柴犬を迎えたい。

きっと赤毛の男の子を選んで、ケンタという名前を付けるんだろうな。
人生のやりたいことリストの中に、ちゃんとしまっておこう。

あと絶対に「ポリ」とは名付けないと誓おう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?