1人余さず愛したい
昨日のライブで、こんな話をした。
『世界中の人間を愛したい』
でも、これは最近思ったとかでは無く確か、小学生のスクールバスの中でふと考えていた事だった気がする。
小学生の時
女の子達の間では悪口を言うというのがスクールバスの中や5分休憩の暇つぶしみたいになっていた。同じクラスにいる女の子と絆を深める為には
悪口を言うのが1番効率がよくて即効性があるような気がしていたからだ。
その時の私はそういう理由でみんなが悪口を言っていると言う結論を出した。だって、ただその子が嫌いでその子が悪口を集団で言われていると知ってどんな顔をするか、その時どんなことを考えるかを想像できない人達だと思いたくなかったから。
私はその風習が本当に嫌いで、と言うかその場に何も言わずになんとなく愛想笑いを浮かべてそれとなくやり過ごしたりしている自分がとっても気持ち悪くて仕方無かったからそういう子達から離れてスクールバスで座るようになった。
男の子たちと話している方がよっぽど世界に必要な馬鹿が出来て、本気でムカつくこと言われたらその場で一体一で喧嘩できたからその方がまだ良かった。げんこつで頭殴られて殴り返してホームで2人とも泣いた事もあった。(今は手を出すのは『物理的攻撃をしないと自分の正しさを納得させられない人』になってしまうと思っているから暴力はしないよ)
女の子達の暇つぶしが悪口、仲良くなる手段が悪口と言う絶望的状況を信じたくなくて
それこそ私がいつも言っている信じたいものをズタズタに否定された気持ちになってひたすらに
自分の中に出てくる『嫌』とか『苦手』という感情と向き合い、殺し続けた。
それが、私の中で1人も余さずに愛したいと言う文章が生まれたきっかけだ。