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国家公務員1年目で適応障害になった話

「霞が関はブラック」「もう優秀な人は官僚になりたがらない」

そういう言葉をしっかりと聞きつつ、「自分は大丈夫だろう」などと考えながら、僕はこの春から霞が関で働くことなりました。そしてタイトル通り、1年目にして適応障害と診断され、しばらく休職することになりました。

適応障害とは、簡単にいうと鬱になる初期段階で、明確なストレス源に対して「適応できない」(過剰に反応してしまう)ことで心身に明らかな問題が生じ、日常生活を送るのが困難になる病気を指します。

なぜ適応障害になったのか

僕の場合は「労働時間 × 上司との関係 × 同期との関係 + α」の結果として大きなストレスを感じてしまったのだろうと思います。それぞれのストレスは耐えられる程度でも、全てが同時に発生してしまうと対処しきれず、それまで大丈夫だと思っていたのに急激に精神状態が悪化して爆発するように全てが嫌になってしまいました。

残業時間は5日出勤した場合週に20時間弱〜30時間(月100時間程)という具合で、帰る時間は比較的遅かったです。それでも同期と比べるとまだ残業が多いとは言えず、ほぼ定時(定時後2時間以内)に帰れることもあったので、むしろ働きやすい方でした。

他方で、独特のルールがあってお昼休みに席を立ちずらかったり、朝は1時間ほど早く出勤するのが暗黙の了解となっていました。さらには土日もメール対応をするのは当たり前で、友達とご飯を食べていてもスマホが光ればその場で中身を確認して必要な業務を行いました。休みも休みではなく、いつでもどこでも働くという雰囲気に気が休まる時間がほぼなかったのは、大きなストレスでした。

他省庁合同の研修で自分たちの職場について話したとき、普通の職場は上司と雑談ができると聞いて驚きました。僕の職場は雑談をする雰囲気はほとんどなく、したとて上司同士が談笑するくらいで、1年目の僕が仕事に関係ない話をすることなどあり得ませんでした。それどころか、業務上必要な相談であっても冷たい反応をされたり、反語ベースの話し方をされていて、働き心地はすこぶる悪かったです。

同期も同じ環境で働いていますから、程度は違えどストレスは感じているはずです。お互いが疲れた深夜にやりとりをするときも、ちょっとしたことで腹が立ったり、言葉のチョイスを間違えたりして、徐々に関係が悪くなったと感じました。帰れないので飲み会などもなく、本音で話せる機会が持てないため、「相手が自分のことを悪く思っているのでは」と考えてしまい、同期同士でも萎縮することが増えました

お昼ご飯を食べられずテンションが下がり、午後に上司に嫌な顔をされてテンションが下がり、そして夜には同期とうまく行かずテンションが下がり、そんな日は終電間際の電車で泣くことしかできませんでした。成人男性が週に何回も泣きながら帰る。それからコンビニでご飯を買って、さっと食べてシャワーに入り、2時前に寝る。想像していた辛さとは違いました

辛さには波がありますが、こう言う生活を2〜3ヶ月続けていると、「1週間後も無事に働けるだろうか」という不安に襲われます。1年後どう、3年後どう、10年後どうと言われる度に、1ヶ月後すらままならないと思う自分を情けなく感じました。そんな中でいくつか事件が起きて出社ができなくなったことで、この状態が「適応障害」であると判明しました。

やりがいが迷子

以上のようなストレスの連鎖の中にも、幾ばくかのやりがいがあればどうにかなったかもしれません。しかし、(これは個人の感じ方に大きく左右されるという前提で)僕は自分のしている仕事が、こんな心身のダメージに見合うほど意義のあることだとは思えませんでした

よく霞が関の若手の仕事は雑巾掛けのようなものだと言われます。入省前からそのくらいは知っていました。辛くてもたった数年頑張れば、社会に大きな影響を与える仕事ができると思い、きついことも明るい将来のために耐えようと意気込んでいました。

しかし、霞が関学校の雑巾掛けはなかなかハードです。隣の学校ではクイックルワイパーを使い、その隣ではダイソンやルンバを使っていることを知りながら、一生懸命いつからあるか分からない雑巾で床を拭くイメージです。そして綺麗になったら先生を呼びますが、そうすると先生が開口一番「天井はちゃんと拭いたのか」と言って来ます。先生は忙しいので、なぜ天井を雑巾で拭くのかと聞いたら怒られます。天井も拭きましょう。その後途中で教頭先生が来て「なぜ天井を拭いているんだ」と言われたら、その場で手を止めて謝ります。

若干の例えの悪さは自覚しつつ、少なくとも自分の中ではこれに近い感覚でした。なぜそうする必要があるのか、最終的にどんな状態が正解なのかが分からなくて、とても窮屈な思いをしていました。「自分で考えて」と頻繁に言われるけど、疑問に思ったことを一個ずつ考えていたら日が上るし、何よりどれも上司がよしとする答えを「考える」にすぎないので、無理なときはもう割り切って前に進むしかありません。

期待を胸に明るい気持ちで入省したのも束の間、誰からもありがとうと言われず、普段の仕事の結果誰の利益を生んだのか触れる機会もないため、どんどんやる気を失っていきました。一方で睡眠時間の3倍くらい同じ部屋で働いている状況下では、自分の職場こそが社会であり、そこのルールが法であり、そこに馴染めない自分を駄目な人間だと責めては、周りに見捨てられたくない、落ちこぼれだと思われたくないと感じて、目の前にあることをうまくやろうと精一杯でした

適応障害の症状

何となく大変そうなのは伝わったと思いますが、適応障害と言われても、「クヨクヨして甘えてるだけで実際そんなに大変じゃない」と思われるかもしれませんので、具体的にどんな風に体に出てくるのか紹介します。

  • 霞が関駅が近づくと動悸がする

  • 職場では空気が薄くなったように息苦しくなる

  • 名前を呼ばれると全身から汗が出て緊張し始める

  • 嫌な言い方をされるとその言葉がずっと頭を駆け回り、仕事が極端に遅くなる

  • 心臓の音が聞こえるほど動悸がして夜眠れなくなる

  • 通勤、退勤時や休日にメールが来ると、自分が指名されて人前に立たされたような緊張感が生じる

  • 意味もなく涙が出ることがある

  • これらの症状に対し、自分の能力が低いことが根本的な原因で起こっていると考えてしまう

これら以外にも同期の話を聞くと色んな症状が出ており、適応障害の診断の有無に関係なくみんな強いストレスを感じているのは間違いありません。

僕の場合は特にそれが出やすかったのかもしれません。もっと辛い環境にいる同期と自分を比べては、まだ自分は楽な方だと言い聞かせて気を落ち着かせていました

休職について

そしてある日、朝起きて猛烈に出社するのが嫌になり、当日の朝に休みを取らせてもらいました。すぐに上司も状況を察したようで、しばらくお休みするという選択肢を提示してくれました

休みをもらったその日にメンタルクリニックに行き、適応障害との診断を受けました。それから省内の関係者と連絡を取り、期限をもうけず病休という形で休暇をもらうことになりました。

休みを貰いたいとお願いしてからの上司や人事課の動きはとても迅速で、その点は非常に感謝しています。人事の方は僕が働きやすい環境を作るために努力してくれているのを感じ、とても心強いです。(その後約束だった部署の異動をなかったことにされて心理的苦痛を受けています。。)(その後また異動が可能となりました。歓喜。)

今後について

これだけボロクソに書いておいてなんですが、現状もう少し今の職場で頑張りたいと考えています

色々ある選択肢の中で国家公務員になるという道を選択し、簡単ではない試験や面接を乗り越えて優秀な同期に恵まれているのに、ただネガティブな感情を抱く以外何も得ることなく辞めてしまうのはちょっと勿体無いように感じます。

休職してからは、心理的安全性について勉強したり、自分の認知を変えるための勉強をするなど、案外前向きに過ごすことができました。これまで読んだことない本を読んでみて、自分についての理解を深め、改善すべき思考的習慣を見つけたり、理想的組織のイメージを持てたりと、少なくとも変わった感覚はあります。

退職ビンゴにリーチをかけて職場復帰をした上で、年功序列という最強の行動原理のもと動く組織をシタッパの目線で観察して、自分の振る舞いを変えたらどんな気持ちで働けるか試してみたいです。楽観的かもしれませんが、今なら「最強の人」の感覚で気楽にできるんじゃないかなと期待したりしています。

そういう若手の努力のせいで無理な体制が続いていることは重々承知しつつも、復帰してそれでもこの組織で働くのは厳しい、また泣いて帰ることしかできないと感じたら、その時は潔く合わなかったと認めて退職するでも遅くはないかな、と思っています。

(やっぱり無理かもしれない)

終わりに

ここに書いたこと以外にも、たった数ヶ月の社会人生活で経験した苦しい出来事はまだまだたくさんあります。いろんな制約で書けませんが、罰を受けないなら全部書いて霞が関がどれだけやばい場所だか伝えたいくらいです。

この文章を読んで、同じく霞が関で頑張っている人たちが「下には下がいる」と感じて前向きになれたらそれでいいし、今から入省する人がありうべき未来を見据え心の準備をするのに役立つならこれ以上嬉しいことはないです。

色んなところから集めた100の「霞が関ディスり」も、一回の経験には遠く及ばないと実感しました。無邪気に公務員を目指した自分は馬鹿だったかもしれませんが、いずれにせよいい形でこの経験を落とし込めたらいいなと思います。

以上、1年生の戯言でした。

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