日本のお盆に隠れた聖母マリア ヒトは死んだらどこに行くのか?
読まれている方、お盆はいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、去年の12月に亡くなった(無宗教、でも形だけ真言宗)の母の新盆の最中。
死んで魂になると全員が仏になるというSTEREOタイプのお盆に
疑問を持っています。そんなハズはないと。
一部の極稀な聖人のような生き方をした方や、小さな子供以外は
1発で、天国(or 極楽浄土)になどあがれるハズはないと思っています。
もし、それを望むならば、浄化(=カタルシス)が必要だと。
この記事は、天国の入る前のカタルシスの話です。
サンドロ・ボッティチェリ(Italia)というルネッサンス期に
「書物の聖母」=「Madonna del Libro」という絵を描いた彼から
聖母とお盆と死の話をしたいと思います。
なぜ?ヨーロッパでは日本が聖母の国と言われて一目を置かれているのか?も理解できると思います。日本にいては気付かないことは沢山あります。
「書物の聖母」=「Madonna del Libro」8/15日という日は、
日本では「終戦記念日」ですが、
わたしはカトリックのクリスチャンですので、特別な日です。
聖母マリアさまの記念日です。「聖母の被昇天」の祝日の日。
日本は、聖母マリアとはとても縁が深いのです。日本がそう思っているのではなく特にローマ・カトリック圏の国々では、「日本=聖母マリアととても御縁のある極東の国」という認識があります。
日本のお盆のイメージはどんなものでしょうか?
地獄の釜すらも開いて、ご先祖さまが子孫たるあなた達のところで帰って来るというイメージでしょうか?
日本では、いえキリスト教でも、地獄と黄泉をちゃ混ぜにしているように
思います。今日は地獄と黄泉の違いを話したいと思います。
キリスト教者でも勘違いをしまくっている論点だからです。
初期のキリスト教では
ヒトは死んだら、天国と地獄の間に、もう一つ「黄泉(ヨミ)」もしくは
「煉獄(レンゴク)」があると教えていましたが、
一方、西洋キリスト教時代が進むにつれて・・その中間地点の「黄泉」を都合が悪いものとして省きました。
「黄泉」を生前の魂の穢れ(ケガレ)で浄化する死後の世界のステップを
を都合良く、省きました。
つまり、天国と地獄の2択のみだから、うちのキリスト教に入りなさいと
教えを説き始めました。大きな権力のピラミッドの中にはいり、自分達の
本来の教えよりも権力というパワーに反対できない葛藤がありました。
フランシスコ・サビエルがもたらしたスペインのキリスト教よりも
もっとずっと前に、日本にはキリスト教は入っておりました。
秀吉がバテレン追放令を出さざるを得なかったのは日本人を商品として
奴隷貿易をしたり、遠くはRomaカトリックの権力ピラミッドと政治に
迎合することで、自分達のやりたい西洋キリスト教の布教をやりやすくした
かったから。つまり、パトロン無しには布教は難しかったという現実。
キリスト教は大きく3つの流れがあります。
1)古代キリスト教:イエスの教えと聖書(旧約聖書とのちの新約聖書)
にPUREに準じたもの。
2)西洋キリスト教:パトロンであるRomaという政府に都合のよい
ものであるが、都合の悪いものは省かれた教え
3)東方キリスト教:Romaカトリック教とは対局にあるもので
西洋キリスト教の権威主義ではないもの。
つまり、Romaカトリックの政治がらみのピラミッド
の構造に飲み込まれずに自由に布教ができた。
[では解説をしますね]
(2)の西洋キリスト教は、カトリックとプロテスタントに分かれました。
それぞれ長所と短所があります。
今回は、聖母をどうみるか?をカギとします。
カトリックでは聖母を神の母と見るのに対して
プロテスタントではそうはみない。
人間イエスの生みの母としてだけみます。
聖母は神(=イエス)の母ではないとみます。
(3)の東方キリスト教の一部は、、
西Romaなら東の聖地イスタンブールから、更にインド、
シルクロードを経て、中国にわたり景教
(ネストリウス派キリスト教)して、
Roma教皇の権威主義的ピラミッドの外に
PUREに、中国そして古代日本に浸透していきました。
古事記や日本書紀が書かれ前の”古代神道”に浸透していきました。
イスタンブールに聖母信仰を置いて旅立ったので、
日本に到着する時には、当然
聖母マリアの信仰はいっさいありませんでした。
■聖母子像の話しをする前に・・伝えたいこと。
ビーナスの絵が頭に入っている方が多いとおもいます。
これは誰が描いたのでしょうか?ダビンチではないですよ。
あの有名な「ビーナス誕生」の絵を書いたのが、
サンドロ・ボッティチェリ(Italia)です。
ワタシが週2で通う大好きなサイゼリア銀座でも、
ボッティチェリの「プリマヴェーラ(=春)」という絵が掛かっています。
ど真ん中のセンターには美の女神ビーナスがドーンといます。
離婚さえた時に、この絵はどれほどワタシの心を慰めてくれたことか
数えきれません。幸運の女神は最初は、ドロドロの不幸の形をして
人生に登場すると後で学びました。幸運の女神が、最初から幸運の女神の姿をしているなんて、思い込みもいいところで、認知バイアスのメガネで世界を観ている「120%頭がお花畑野郎」です。
ボッティチェッリは、Italiaはルネッサンスのフィレンツェの画家です
(1445-1510)
今回紹介する絵は彼が描く「書物の聖母」=「Madonna del Libro」
彼が36歳の頃の油が乗りまくっていた頃の絵。
その歴史的な評価は、「並外れた美しさ」
私がこの絵を愛している理由は、2つあります。
1つ目
:マリアさまの服の色!マドンナブルーと呼ばれる色です。
「ルリジサ」というハーブから採られたその顔料は
聖母マリアのテーマカラーの青いドレスを描く為だけに
抽出れました。
さらに、青の最上層は、ラピスラズリです。
非常に貴重で非常に高価な成分。
2つ目
:聖母マリアの威厳が
両手に抱くイエスに対して、母の威厳(神の母であること)
が堂々として描かれている点
Q: 聖母を神の母と認めることになぜ、そんなツマヅイたのか?なぜか?
神の母(テオ・トコス)という断言は、本当に長いキリスト教の歴史の中でも揉めに揉めまくった論点なんです。
さまざまなキリスト教派が、マリアはイエスを産んだ人間であるが神の母ではない。というバッシングを、絵画のパワーとマリア威厳、そして母の威厳として・・読書をするイエスを教育しています。
理論よりも、1発でわかりやすいのが絵画です。 絵です。
■聖母が、煉獄の霊魂を天国へ連れてゆく聖母の被昇
なぜ、この絵がお盆で天国にいけず、煉獄(=黄泉)でこれから何十年も何百年も魂の浄化をしてからキレイになって天国にいきたい霊魂を
苦しい煉獄の火に焼かれているのを一時的にも
慰めているのが聖母であること。
そして、長い長いその煉獄の暮らしから抜け出させて、天国に連れていくのがこの8/15の聖母の被昇天の祝日であること。
■ 天国にいく前に煉獄があるという有名な実話
こんなストーリーがあります。
クリスチャンの女性が、8/15の聖母の被昇天の日のミサに夜いった時、
自分の洗礼の時に、代母として洗礼の承認となってくれたおばあちゃんをみました。1年前に死んでいるそのおばあちゃんを。
そのおばあちゃんは、こう言いました。
「ここ(教会)には今、あなたには見えてはいないけど物凄い数の煉獄の
霊魂が、この日 聖母の被昇天とともに長い地獄のようなところから
魂を清められて許されて、今日という日に聖母と一緒に天に昇ることをゆすされました。
もし私がいま、話していることが嘘だと思うならば・・私はあなたに
あなたは1年後の今日8/15に死ぬことを教えてあげましょう。
もし、そうでなかったら私が今、嘘を言っていると1年後のその日に思ってください。」
そして そのおばあちゃんは、1年後の8/15のその日に亡くなりました。
それを事前に信じていたおばあちゃんは、死ぬまでの1年間・・
できる限りの精進をクリスチャンの人生の最後の1年間やり終えてました。
眠るよう満足した顔で亡くなりました。
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