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調停は、家裁への申し立てと同時に「意見書」を提出する。それが裕太の元に家裁からの呼出状と共に郵送される。申し立てから数週間後に「反論書」が裕太の代理人(弁護士)から浜田先生のもとに届いた。

反論書は必須ではない。中には書類も書かず調停にも出席しない人もいるらしい。つまり、反論書が届いたということは、裕太は戦うつもり、という事だ。

私が意見書に書いた内容は、簡単にまとめるとこんな内容だった。

「娘が母親と2か月に渡り断絶されている状態が心配であり、娘の心身の健康にとっても良くないので、心配だ。一刻も早く引き取り、育てたい。
娘が夫の実家で養育される事には同意しておらず、騙されて娘を連れ去られ、無理矢理始まったものだ。娘のためにも、まずは頻繁かつ継続的な面会交流を求める。」

本当は「私が引き取る」ではなく「今まで通り、共同で養育したい」と提案したかったけど、「日本は単独親権なので、調停を起こすなら親権を取りにいかないと。」という浜田先生の意見により、無下なく却下された。

だけど、私はあくまで平和的解決を望んでいたのと浜田先生のポリシーにより、書面は『起こったことのみを淡々と書く。人格否定はしない』を常に念頭に入れて書く事になった。

それに反して、ある程度の覚悟はしていたけど、裕太側の「反論書」は想像以上に酷い内容だった。
10数ページに渡り、『いかに妻が駄目な人間で、母親として不適切か』を書き連ねてあった。

読み進めるうちに気分が悪くなった。実際に殴られているような感覚に陥り、机をバン!と叩くような音が聞こえるような錯覚を覚えた。
文章によって痛みを感じる、そんな体験は初めてだった。
容赦ない人格否定の嵐、嵐、嵐。

これは裕太の文章だ。私といる時、こんなことを考えていたんだ・・。
悲しいやら腹立たしいやら、色んな感情が湧いては消えた。

調停ってこんなに汚く罵るものなのか?解決を探る場ではなかったのか?

これではとてもじゃないけど解決するとは思えなかったし、応戦してしまったら修復できないくらいに関係が悪化するだろう。

二人が仲の良かった頃や、裕太と出会う前の事までが否定の対象となり、私は「だったらなんで、結婚したんだろう?」と不思議でならなかった。
可奈の監護権を争うのに、幸せだった時の思い出まで塗り潰す必要はあるのだろうか。

終いに批判は私の両親にまで及んだ。数えるほどしか会ったことがなく、よく知りもしないのに、私の両親は『監護者には不適切な人間』だと、ハッキリ書いてあった。

いつも、実家に行けば豪華な食事を食べきれないほど振舞い、私たちを歓迎してくれたお父さんとお母さん。
直接揉め事には関係ないのに、親まで攻撃されるなんて、手段を選ばないにも程がある。あんまりじゃないか。
攻撃するなら私だけにして欲しかった。

浜田先生は「人格否定しようが、判定には響かないので気にしなくていい。裁判官は起こった事実だけを見るから。」と言ってくれたけど、裕太からの書面は私の心を沈ませるには充分すぎる程だった。

こっちはただでさえ可奈と会えなくって弱っているのに。あんたは実家でぬくぬくと可奈と過ごしているんだし、そもそも有利なんだからそこまでしなくってもいいじゃんか・・。

裕太の心ない文章に、私の心は何度も殴られたように傷を受けた。

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