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2回目の調停も、結局何も決まらないまま終わってしまった。初めての家裁に緊張して浜田先生に任せてしまった1回目を反省しなるべく自分の言葉で話すようにしたけど、2回目の調停でも裕太側の出すはずの「診断書」が出てこなかったので、結局『会うかどうかの判断は診断書が来てから』となってしまったのだ。

「1日も早く可奈に会いたいんです。会わせてください!」と調停員さんに訴えても、「旦那さんに聞いてみます。」なんて、機械的な答えが返ってきただけだった。彼らは決定権を持っていない。伝書鳩の様に、お互いの主張を伝えるだけなのだ。

浜田さんは「会わせてはいけない理由となる事実関係の判断を、裁判所側でもしてください。」と言ってくれたけど、それに対する明確な返事は無かった。
同意のない連れ去りによりスタートした監護状況でも、主導権を握っているのは、現状子どもを養育している夫側なのだ。

「せめて、写真が見たいです。」と調停員さんに伝えると「分かりました。旦那さんに伝えます。」と言われ、次回の調停でもらう事になった事ぐらいが今回の収穫だった。

写真なんて今まではいつでも撮れたのに、家裁を通してお願いしないともらえなくなってしまった。
プライドや尊厳をズタズタにされ悔しかったけど、可奈の今の姿を写真でも見れるのは嬉しかった。

当事者の友人に『調停ではプレゼントを渡せる』と聞いたので、可奈が元気になりますように、とハッピーエンドな絵本を選んで可愛くラッピングした物を用意していた。

可奈に渡して欲しい、と調停員さんに託して、その回は終了した。母親のことを忘れさせようとしている裕太は、きっと「ママから」とは言わないで渡すか、捨てるかもしれないけど。

子どもの写真をもらうことを『間接交流』と呼ぶそうだ。

すでに半年近く引き離されて、やっとできたのがこの写真による間接交流だけだった。
しかも、貰うのは次回調停の時だから、1ヶ月半後だ。母親なのに、まるで犯罪者みたいな扱いだ。

あんなに書面で訴えているのに、調停では事実確認すらしようとしないで、機械的に話して終わるだけだった。どんなに考えても納得がいかなかった。

全く進まない調停に反して、書面の内容は激化していった。前回出された嘘だらけの『意見書』に反論するための書面を作成するための証拠を揃えなくてはいけない。
どんなに友好的にやろうとしても、相手が攻撃的だと、言われっぱなしになってしまう。幾らかは相手を攻撃しなければいけないとの浜田さんの考え方の下、私も攻撃材料を探した。

怒りの連鎖は激しくなるばかりで、書面からは炎が見えるようだった。それでもなんとか人格攻撃はしないように気を付けていたが、そんな思いに反して裕太の人格否定は増すばかりだった。
書面を読むたび打ちのめされ、立ち直れなくなっていった。あんなに誰かに全人格を否定されたのは初めてだった。

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