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「あの日」は、溶けるかと思うほど暑い熱帯では珍しく、しとしとと一日中雨が降っていた。空はどんよりしていて、田舎道の舗装されていない道路はぬかるみ、泥が足にまとわりつく。出歩くのも鬱陶しいような午後だった。

当時、私は娘と夫の3人でハワイに住んでいた。夫の仕事の関係で、3年ほどの期限付きの長期滞在をしていた。借りていたコンドミニアムは手狭で、喧嘩が絶えない私たちは近場にそれぞれ部屋を借り、まだ幼い娘を交代で見ていた。娘の前で怒鳴りあってしまうのは、誰にとってもマイナスでしかなく、不健全だと判断してのことだった。私も裕太も、喧嘩を止めることはできなかった。

価値観の全く違う夫とはハワイに行く前から言い争いが絶えず、離婚の話は何度も出ていた。ただ、どちらが子どもを育てるか、という話になるとお互い一歩も譲らず、話は平行線を辿った。何を言っても噛み合わないし、一緒にいるだけで消耗する、不毛な日々に終止符を打ったのは私からだった。
私たちが喧嘩をすると、いつも娘の可奈は泣いた。それを見るのが辛かったのだ。


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