41. 娘への手紙と陳情活動
可奈に会えなくなってから既に8ヶ月が経とうとしていた。この頃、私はいつか会えたときのためにと、送らない手紙を日々したためていた。
今どうしてるのか、元気なのか。
会いたいよ、愛しているよ、などと。
調停では調停員さんに手紙を託し、裕太に渡してもらっていたけど、本人に渡される保証はないので、自分で持っておく分と、渡す分、いつも2つ書くようにしていた。
当事者の集まりにはタイミングが合えば参加した。夏には山梨のバンガローに皆で泊まったりして、随分とリフレッシュさせてもらった。男女混合で40人はいたと思う。ナリちゃんが自宅まで車に迎えに来てくれて、スイカを抱えて山へ向かった。
久しぶりの山は空気が澄んでいて、ハワイ以来初めての満天の星空を見ることができ、気持ちが和らいだ。
みんな暖かい人たちで、笑いの絶えない楽しい1泊旅行だった。
ほかにも、当事者のみんなと永田町の議員会館に行き、議員さんや秘書の方に直接法整備を訴える『陳情活動』も、始めるようになった。
日本が『単独親権』制度をとっているから、離婚の際に親権を争うことになるのだ。つまり制度が両親を争わせている。
諸外国のように共同親権であれば争うこともなく、離婚後も協力して子育てが出来るはずだし、子どもは親を失うこともない。
祖父母を含めた多くの大人が子育てに関わり、愛情を分け合うことは子どもにとっても良い事しかない。
議員さん達には早急な法整備の必要性と、子どもに会いたくても会えない現状を皆んなで切々と訴えた。
議員さんには当たり前だがいろんな方がいた。熱心に話を聞いてくれる方や、「実は私の知り合いにも同じような境遇の方がいるんですよ。」なんて話を聞かせてくれる方もいた。
シングルファザーの議員さんもいたりして、私が杞憂するよりも政治家の方々は温かく、熱心に話を聞いてくれた。
その中には私たちの考えに深く賛同してくれ、後の議員連盟の主要メンバーとなる先生方もいた。
この年は日本が「海外からの連れ去り防止法」であるハーグ条約に加盟した年だった。私は海外からの連れ去り案件だったので、適用されるかと期待したが加盟前の連れ去りだったのでそもそも対象にならなかった。
だけど法務省に行きハーグ条約の担当の方たちにお話しさせていただく機会を設けていただいた。担当のお2人はとても熱心に耳を傾けてくれ、思わず泣いてしまったのを覚えている。
他にも、当事者の皆はマスコミのインタビューを受けたり、街宣活動やデモ活動をしたり、様々な活動をしていた。子どものためなら何でもする、その気持ちは皆同じで団結していた。
この活動はさらに大きくなり波紋を呼び、2021年にはついに共同親権が法制審議の諮問入りを果たすことになった。その日は150人余りの当事者が集まり、国会の前で「人の輪」を作った。ナリちゃんと私は隣に並び、遂にこの時がきた、といたく感動した。
やっと時代が動き出したのだ。
そしてまた、集まりに参加するたびに当事者が増えていることを感じる。増えてはいけないのに。
1日も早く、この悪の連鎖を断ち切り、次の世代に残さないようにしなくてはいけない。大人たちの使命は次世代に恥じない世の中にすることであり、そんな世界を子ども達に見せたいと強く願う。
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