映画パンフレット感想#40 『Shirley シャーリイ』
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感想
『Shirley シャーリイ』は、重層的、さらにイメージに近しい表現でいうならば、“多面的”な映画だった。切り口によって異なる様々な表情を見せる。ある面では「男性中心社会で抑圧されたシャーリイとローズの女性同士の連帯と、押し付けられた役割からの解放を描いた、女性をエンパワメントする映画」であるし、別の角度から見れば「シャーリイがひとつの作品を生み出すまでの創作活動とその苦悩にローズが巻き込まれる映画」でもあるし、はたまた「シャーリイと夫スタンリーの奇妙な関係とその協働/共犯を描いた夫婦の映画」でも「シャーリイの物語世界に観客が翻弄される幻惑的な映画」でもある。
きっとそのどれもが間違いではないだろうし、明快な“答え”として結論を導き出す必要もないのだろうが、混線した思考回路を整理し作品の実像を少しでもクリアに捉えるため、パンフレットに頼らせてもらうことにした。鑑賞前に、装丁の美しさや中身のボリュームについての評判を目にしていたので、パンフレットそのものへの興味もあった。
実際に手に取ると、書籍のような手応えがあるし、使用されている紙の種類も多彩で作り手のこだわりをひしひしと感じる。また特殊なデザインのパンフレットは往々にして「読みづらい」(開きにくい、可読性が低い、など)ことがあるが、その点も心配不要でストレスなく読むことができた。サイズ、ページ数、掲載記事等の詳細な情報は、上記に引用した公式の紹介と、ポスト内にあるリンクの先に掲載されているので参考にしてほしい。
結果として、スタッフ、キャストのインタビュー記事や、多くの寄稿記事から、多面的な映画『Shirley シャーリイ』という作品を、さらに多角的に深掘りすることができた。その中でも注目したのは「魔女」というワードだ。劇中でも「魔女」と語るセリフがあり、魔女を連想させるモチーフも登場しているが、黒のローブを身にまとい魔術を操るような単純明快な魔女表象はない。その言葉が引っ掛かりながら、魔女的な概念を微かに感じ取りながらも、本作における「魔女」とはなにか、その核心を掴みきれずにいた。
まず、「魔女映画としての『Shirley シャーリイ』」と題された記事が、その疑問に答えてくれた。医学史・文学研究者の小川公代氏による寄稿で、シャーリイがもつ魔女性について詳しく解説されている。そこからページを遡り、ジョセフィン・デッカー監督へのインタビュー記事に目を移すと、監督は魔女が大好きであり、次のプロジェクトも魔女キャラクターが登場する作品であると明かされ、監督にとって「魔女」がいかに特別な存在であるかがよくわかる。さらに重要なのが、このインタビュー記事で語られる監督の「魔女」への解釈だ。ここでは直接の引用を避けるが、小川公代氏の魔女論と照らし合わせることで新たな解釈が浮かび上がるような体験が得られた。
改めてこの映画を解釈すると、こんな見方ができるかもしれない。冒頭でシャーリイの作品世界に魅入られたローズは、魔女の魔術たる創作の世界に取り込まれ、最終的にその魔術によって家父長制的な抑圧から解き放たれる。そしてローズは現実でシャーリイの作品によって勇気づけられた読者の象徴と捉えることもできる。そして、そんなシャーリイの力、創作の力を信じているのがジョセフィン・デッカー監督なのではないか、と。
他にも、シャーリイ・ジャクスンの作品の特徴が垣間見える記事や、実在の人物を描きつつもフィクションとして仕立てられた本作へのキャストやスタッフのアプローチの方法など、制作の過程がわかるインタビュー記事も多数ある。また、映画文筆家の児玉美月氏による『燃ゆる女の肖像』を中心に取り上げつつ本作を論じた寄稿も映画好きにはたまらない内容となっているのでおすすめしたい。
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