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映画パンフレット感想#44 『HOW TO HAVE SEX』

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感想

ティーンの少女タラが、将来を見据えた進学や性体験などのことで親友たちに遅れをとったと焦燥感に苛まれたり、周囲から受けるプレッシャーや思い描いたように事が運ばない現実にじわじわと精神が追い詰められていく様子が、観ている自分も心が痛くなるほどに伝わった。

それと同時に、時に差し伸べられる救いの手や眼差しもまた自分のことのように嬉しく感じ目頭が熱くなった。映像や音楽、脚本など作品を構成するひとつひとつの要素にそれだけの引力と力強さがある。また、タラが受けた心身の傷を思うと手放しで呑気なことはいえないが、映画は観客を過剰に煽るようにはタラを追い詰めず、辛い痛みを和らげるように救いが温かく注がれているのも絶妙なバランスだ。

パーティについても、同調圧力や性的加害が起こりやすい有害性と同時に、ポジティブな出会いや楽しさなど良い面も描かれ、あくまでも過度に露悪的にはせずフラットに扱っている。タラの物語もだが、相反する視点を98分という時間の中で両立させて不協和音を感じさせないとは、相当高度なことをやっているのではないか。極端に偏って虚構化せず、現実と地続きである印象をもたらす。

うっかり本題のパンフレットに一切触れず、映画の感想ばかり書いてしまったが、それほど魅入られたのでパンフレットを買ったんですよ、ということがいいたかった。また、パンフ掲載のモリー・マニング・ウォーカー監督のインタビュー記事やプロダクションノートを読むと、前述した本作の魅力が意図的に構築されたものであるとよくわかる(よかった、わたしの感想が無駄にならなかった)。

例えば、プロダクションノートには、撮影監督のニコラス・カニッチオーニとウォーカー監督がどのような思想とねらいをもって撮影の方向性を決めたかが明かされており、前述した感想と深く結びつく内容となっていた。

監督のインタビュー記事も、「この映画で描きたかったこと/伝えたかったこと」がいくつも明確に語られており、ひとつひとつのシーンや描写の意図を知る楽しみがある。また、監督によると本作を撮った重要な目的のうちのひとつは、「会話をうながすこと」だそうだ。もちろんメインターゲットはティーンの当事者ではあるだろうが、性的同意についてはあらゆる世代が真剣に思考し、会話をする必要があるとも考えられているだろう。とすれば、このインタビュー記事やパンフレットを読むこと自体が、ひとつの会話となり意義深いのではないか。

実際、インタビュー記事内の監督の言葉によって、劇中でパディがとった態度に対する自分の見方が甘かったと気付かされた。パディのタリーやバジャーに対する距離の取り方が絶妙であると好意的に見ていたが、監督によるとパディの一部の態度には「おかしいことにおかしい」と指摘しない無責任さがあるという。確かにその通りだと己の判断基準の不十分さを自覚したのだった。この気づきにより、映画を観て、パンフレットを読む、という行為の意義を再確認できたのは今の自分にとって大きな収穫にもなった。また、インタビュー記事にあった劇中のあらゆるシーンに忍ばせたと“ある小物”の話も面白かった。

一方、映画で強く印象に残っていた「タラが傷を負ったあとに向かったクラブで出会った、性的な関係性に囚われず自由に楽しむグループと、そのなかでタラの異変を察して気に掛ける女性」について、言及を期待していたがパンフレットでは触れられていなかった。また、タラのメイクが意味することについても思案を巡らせていたが、こちらも見当たらず。タラがメイクするときは、本心を隠したり感情に蓋をするなど、仮面をかぶり武装をしているようにみえる。また逆に、ラストでタラがエムに心の奥底にある違和感を告白したとき、空港の化粧品売り場のリップが陳列された棚の前で、テスターを手にしつつも唇には塗らず、素顔のままだった。そんな話がどこかに書いていたら……とは思っていたが、これらについては、いつか誰かと本作について“会話”するときに共有してみたい。

寄稿記事は2本。映画ライターの月永理絵氏による「少女が最後に見いだすもの」と題された寄稿では、劇中のシーンを丁寧に拾いつつつぶさに解説されている。コラムニストの山崎まどか氏による「男性が作り上げた神話を解体した、若い女性たちの真実」と題された寄稿では、同じく作品解説をしつつ映画史の観点から本作の画期的な偉業を明らかにしている。ともに改めて映画を振り返り、彼女たち(彼らも)が負った心の痛みに思いを馳せたり、性的同意について思考したりするのに大いに役立つよい記事だった。

パンフレットを読み、この映画がデリケートな年代の、あらゆるジェンダーの人々に届き、考えるきっかけ、あるいはすでに心に傷を負った人にとってはそれを癒すきっかけになってほしいと感じた。また、私のような30代後半の男性、この映画の主人公たちとは無縁のような世代の人々にも、性的同意について考えるきっかけとして届いてほしいと思う。

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