【アオジ】羨ましさの下に眠っていたもの
生まれも育ちも福岡で、ほぼ29年間ずっとお世話になっているこの場所へ。
前回に引き続きアオジ(野鳥)の力をお借りして、今思っていることを書き留めておきます。
小さい頃からずっと自分の出身地を自慢できる人たちを羨ましく思っていました。大自然に囲まれ、言葉では表現しきれないほどの絶景が見られる場所に生まれていたら良かったのに。家から出ればすぐそこにリスやキツネがいたり、海沿いの道を歩けば波間からイルカの背鰭が見えたりするところに。でも、アオジと近所の公園で出会ってから、その羨ましさがだんだん薄まってきました。私の住んでいる場所は大自然とは言い難いけれど、それでも自然は残っていて、野生動物は私たちが思うよりもずっと近くにいます。ただ、私がそのことに気づいていなかっただけでした。
最近は、特に河川への愛着が年々強くなっていて、「手放したくない」と思うくらい地元が好きです。
「こんなところ、つまんない」
大人になるまでは、まーーーったく自分が住んでいる場所に関心がありませんでした。もっと自然が身近にあって、もっともっと美しい風景を日常的に見られる場所に生まれていたら良かったのにと思っていました。
例えば、北海道。広大な土地に広がる山林、地元では見たことがない大きな畑、朝霧に包まれた町、紺碧の海、海に沈んでゆく大きな夕陽。そこに住むのはエゾシカ、キタキツネ、ナキウサギなどの北海道でしか会えない動物たち。海にはアザラシ、キタオットセイやトドもいるし、シャチなどのクジラの仲間にも会うことができます。もしくは、オーストラリア。野生動物と共にある暮らし、透明度の高い海、裸眼でも充分見える満天の星。私の理想がたくさん詰まった場所だと思いました。
「将来は地元である福岡を離れて、私もそんな自然が溢れている素敵な場所で暮らせたらいいな」
と漠然と考えていました。
転機は「挫折」
「動物たちの尊厳が守られる世の中にしたい。そのために、野生動物の魅力を語り伝えていこう」
身の丈に合わない大きな目標を抱えて、それでもそれを達成するために勉強して、それが叶えられる就職先へ向かったはずでした。それなのに、たった3ヶ月で仕事を辞めて福岡に戻りました。あの目標を掲げてから5年間、ずっと動物のことしか考えてこなかったのに。まぶしいほど明るくて、ずっとこのまま続いていくと思っていたのに。その道は一瞬で真っ暗になり、やりたいことが分からなくなりました。
「せめて動物との接点は消したくない」
そのためにできることが、バードウォッチングでした。県外に遠征しなくても近場でできそうだし、母の双眼鏡を借りればお金もかからないし。なんとなくの思いつきで始めました。最初は、そこそこ鳥好きな母から聞いていた情報を頼りに、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラなど身近な野鳥を探すことからスタート。そして、野鳥の会が主催している探鳥会に参加したり、仕事の昼休憩に職場の近くの緑道でコゲラやジョウビタキなどを観察するようになりました。
アオジと初めて出会ったのは、その年の冬です。冬の分厚い雲とアスファルトの地面が広がる灰色だけの世界。空気は冷たく、じわじわと指先から感覚が消えていきました。
「やっぱり、何もないのかな。福岡って」
下を向いて歩いていたら、視線の先の茂みが小さく揺れていました。揺らしていたのは、1羽の小鳥。頭は灰色、腹面は黄色、スズメほどの大きさの鳥。それまで図鑑でしか見たことがなかったアオジでした。
道端の茂みの下から上半身を出して、小さな身体に見合わない鋭い目つきで右、左、右。念入りな安全確認の後、茂みの外へ出てきました。歩くたびにぴょこぴょこと弾むアオジの小さな身体は、目の前にあるものを肯定的に捉えているように見えました。その背中を追いかけたら、何か見つけられそうで。でも、そのまま近づいたら逃げてしまいそうで……。
「さすがに同じ目線は無理だけれど、近い目線で見てみよう」
私は膝と腰を折って小さく屈み、視線をできるだけ地面に近づけ、アオジの背中を目で追いかけました。すると、アオジが歩いている場所から優しい色合いが視界に飛び込んできました。
アオジが歩くアスファルトは、くすんだ青。その上には、茶色くなったサクラの枯葉。道の脇には、濃い緑のアオキの葉。そして、分厚い雲の隙間から差し込む、柔らかな黄色の光。
「なんだか落ち着くなぁ。小さい頃からずっと見てきたはずの場所なのに、どうして今まで気づかなかったんだろう」
長い長い夜が明けて、朝日の明るさで自然と目が覚めたときのような心地よさ。暗くてモヤモヤした気持ちがスーッと消えて、澄み切った「好き」という気持ちだけが胸に残りました。
憧れの下には
アオジと出会った後も、タヌキ、ササゴイなど、いきものたちとのご縁がどんどん広がっていきました。
「自分の周りにだって、美しい景色はある。いきものもいる」
そう思えるようになって、行き先を見失っていた頃の寂しさや羨ましさは少しずつ薄れていきました。
今思えば、あの羨ましさの根底にあったのは「単に良い景色が見たい」という願望ではなかったのだと思います。
「自分の家族、友人、住んでいる家や土地、近くに住むいきもののことを、心から大切にしたい」
自分の住む場所、周りにいる人々やいきものを、好きになりたくて。時間はかかったけれど、好きになれました。
これからは、住む場所が変わるかもしれないし、仕事や生き方も変わるかもしれません。
それでも、「愛着」は持ち続けられるし、深めたり広げたりもできると思っています。
だからどうか。これからもずっと、好きでいさせてください。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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