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【アオジ】8年分のサクラの花びら

サクラが散ってゴールデンウィークが近づいてくると、そわそわした気分になる。
木々の枝や地面に緑が増えていくのは、アオジたちとの別れが近づいている証拠だから。
足元の枯葉とサクラの花びらが風に押されて、サーッと地面を滑る音が聞こえる。それを聞いて思い出した。
「この冬に会った子たちとは、もう会えなくなるのかな」
頭の中は彼らのことでいっぱい。
スズメくらいの大きさの小鳥で、喉から腹はレモンやイチョウを思わせる黄色。
「ジッ」とか「チッ」とか短くて小さい彼らの鳴き声が聞こえれば、耳や指先からじわじわ凍っていくような寒さでも一瞬で忘れることができた。

繁殖地へ飛び立つアオジを見送るのは、今年で8回目。
冬から春へ。公園から見える景色、いきものの姿や行動は、だんだんと変わっていく。
そして、季節が巡ってくる順番は毎年同じでも、同じ冬、同じ春は二度と来なかった。
今年はオスよりもメスの方が見かける回数が多いとか、昨年よりも顔が濃いオスが増えているとか、小さな変化を見つけると帰り道は疲れていても弾むような足取りだった。
その一方で、昨年の春まであった大きなサクラの木が今年の秋にはなくなっているとか、学校の教室1部屋分くらいの雑木林が駐車場になったとか、大きな変化を目の当たりにしてぐったり肩を落として帰ったことも覚えている。
8回とも全部違う冬と春。それは、私自身も例外ではなかった。
「私の“変わってほしくないところ”はどんどん変わっていくのに、“こうなりたいと思う姿”へは変われていない」
これ以上はないと精一杯やったつもりでも「手が届かない」と確信した時。あの時、どうしたらよかったんだろう。
理想、夢、欲しかった物。手に入ったときより、手に入らなかったときの方が、忘れたくても忘れられない。
それは、砕けて地面に散らばったガラスみたいなもの。眩しくて綺麗だけれど、前に進もうとする足を傷つけて、もう一度拾い上げようとする手を傷だらけにしてしまう。
手放せばいいのに、手放せない。そこから離れてしまえばいいのに、立ちすくむだけ。

「変わっていくことも、変われなかったことも、手放さなくてよかったのかもしれないよ」
という一言が、半歩だけ私に近づいてきた。
灰色の寒空の下で初めてアオジと出会った日から、今日までの長い長い時間をかけて。
あの日、うつむいて歩いていなければ、地面にいる黄色い小鳥の存在に気づくことはきっとなかった。
身を焼くような悔しさと、自分の弱さを呪い続けたこと。それが「下ばかり見ていた理由」で、それで彼らと出会うことができたとしたら。
「後悔や挫折の苦しさを手放さなかったことに意味があった」
そう思ってもいいんじゃないかと。

2015年11月27日、初めて出会ったアオジ


サクラの枝に緑が増えてゴールデンウィークが近づいてくると、そわそわした気分になる。
サクラの匂いからツツジの匂いへと変わっていくのも、アオジたちが旅立つ日が近づいている証拠だから。
歩道の隅に溜まったサクラの花びらが風に乗って、私を追い抜いていく。それを見て、8回目の冬と春に出会った彼らのことを思い出す。
冬には、道端に植えられたツツジの木の下から1羽のオスが慎重に外の様子を伺う姿。1歩進んで、左、右。もう1歩進んで、右、左。さらにもう1歩進んで、左右の安全を再々確認。そして上も見る。人間も彼のような慎重さを身につけられたら、事故も事件もない平和な世の中になるかもしれない。尊敬のまなざしで見送った。

用心深いアオジ

春には、3羽が草の穂先に実った種を食べている姿。双眼鏡を覗いてみると、彼らよりも草の方が頭1つ分ほど高いことが分かった。みんな首を極限まで伸ばして、足の指先に力を入れて少しでも体を持ち上げようとしている。その様子に思わず「ふふふっ」と笑い声が溢れそうになって、声が漏れないよう口元を両手で隠した。彼らを驚かせないように。

一生懸命背伸びするアオジ

その思い出の一つ一つは小さくて地味かもしれないけれど、終わりかけの春の道を細やかに彩るサクラの花びらたちのように優しい。ひび割れた過去の上にそれらはふわりふわりと積もって、ギザギザした表面の溝を埋めた。
そして、私はいまその上を歩いている。どこに向かうのかは分からなくても。
止まっていた足は地面を蹴り、前に踏み出して。それを繰り返していく。8年分の彼らの思い出に守られて。
「一歩でも多く」
時につまずきながら、新しい思い出を積み重ねながら。彼らにまた会える9回目の冬に辿り着こう。

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