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悲しみが深すぎる

(当ブログでは、スピリチュアルの真理探究→非二元へ辿り着いた意識の変容を綴っています。非二元の「なんだ全て完璧だったんだ・私っていないのか…」に至り、「スピリチュアルはツール」だったことに気づいたので、スピリチュアル商戦に幸せ探しを依存するのではなく、願望実現に躍起になるのではなく、ストーリーを適切に理解し、スピリチュアル性を利用しトリックを見抜きそのもっと先へ案内するものです。
記事内容は全て著者の体験による意識変容と気づきによるものです)


こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは

3/23気晴らしにYouTubeを覗いたら、ぴょこんとおすすめに上がってきた動画が、、おいおいやめてくれよΣ(-᷅_-᷄๑)という内容なのに再生回数多いから、皆んな相も変わらず3次元スピリチュアルが好きだだね……、と思い、ちがう私がそれを出したのか…の、くだりを繰り返していました。

ちなみにその内容は、髪の毛長いと邪気がついて運が悪くなるとか?、ロングを巻く時は外巻きだと運が出てっちゃうから(笑)、内巻きがいいんだよとか笑笑笑。そんなわけあるか!とツッコミ入れながら眺めてるうちに、

こういうのを頼りにしないとわからないくらい、「自分自身が何者かを思い出せずうろうろしてる人が多い」ことも感じました。きっと多くの人は、もう思い出せそうなんですが、そもそも自分の軸のない感覚停止状態で、物事の本質を見抜けなくなっているところに、情報過多とSNSに組まれているサブリミナルに操られて思い出せないの…を自作自演中なんだな、ということです。

だけど、やっぱり3次元の代名詞である「お金」の話しや、上っ面の見せかけの「愛」のお話をちらつかされると、それは彷徨い人のえさになり、それが「とっても大事なものに思える」ように操作され、(というか自分自身で操作してるんですが)何者かを思い出すのをやめてしまいたくなるほど、二元性のコントラストというのは、たえがたいほどの美しさでもあると思います。

本当はさっさと思い出したいけど、もしも「誰かによって思い出す」というプログラムだとしたら? 先に思い出した私たちは、存在するだけで周りに影響を与えるとか、川の流れのように後世に遺していけるようにだとか、、、そんな目標はあってもいいのかなと思います。
言わなくても語らなくてもいい。
ただ自分が変われば周りは勝手に変わりますからね。

もちろん二元性の先には「無」である「空〜くう」であるには変わりないけど、そこに行くまでにはなんらかの割と適切な、そして一般的ではない方が刺激があっていいのかなという誘導が必要だ、と経験上胸が熱くなるほどおもいます。


さて、筆舌に尽くしがたいほど、二日間泣き通しで、力がなくなりました。
私はどれほどのことを経験してきたのか、、、(そう思ってる人がいる、を見てる)と、悲しみが深すぎるあまり、自分の身体は破裂するんじゃないか?というほど泣いている間じゅうピキピキと音がしてました。


それは、今から39年前咄嗟にしまいこんだその時の記憶は、きっちり鍵をかけて、重石をしてみたいに厳重にしてあったのでしょう。全く予期せぬ思い出しの行為、自分でもびっくりです。
本当に【起きることしか起きないんです】。


39年、やがて鍵は壊れたんじゃないだろうか?。壊れて錆びて朽ちてバラバラになって、散らばって、、、そうして、しまいこんだ記憶が、それぞれの記憶はパズルのピース一片です。一片一片が独立して復活したのかもしれません。

無論それは、私がこしらえたストーリーに過ぎません。
だけど、今、こうして書いているだけで
まだドキドキと心臓が鳴り、泣きが襲ってきます。

まだもう少し、
二元性の私に向き合って、その深い情動を解かしてあげたいと思います。

どうして、苦しかったのか、、、悲しかったのか、
こじつけや意味付けをすると、俄然スピリチュアル色キラキラしますが、


苦しみや悲しみの抽出の、私のやり方としては
一旦相対的な意味づけをして、思考が納得した、その後に、
意味付けした文章を分解します。すると信念が見つかります。

信念というものは言葉の集積ですから、言葉の寄せ集めには膨大な概念が散らばっています。この概念が思考を作り、割と簡単に、ストーリーを次から次へとと量産します。量産した思考の整理を行うためには、

まず書き出します。
すると目は、その文字を追いかけますから、時間差ができます。
その時間差は本質の自分が気づいてほしいことへの誘導に最適なんです。

これにより思考の癖や、誤って記憶した信念や、無駄な抵抗の大元になる思い込みが見つかります。そしてそれはパターン化した思考なので、分解することは簡単です。

その時に必要なパワーというものが、
自分への尊敬という暖かい視点の理解と、

無条件の愛でありそして本来の私たちのあり方である、
②無償の無条件の受容という許しです。

この①②の繰り返しで、深い呪いの効いた劣等感も罪悪感も、うっすらしていき消えてなくなります。しかしそのようなネガティブな感情が完全に消えるかどうかは、どうでもいいことです。むしろ消えることはありません。消えること、消すことが目的なのではなくて、それを持っていた、演じていた、二元性の中にハマっていた、と気づくことが始めの目的と思っています。

どこかの怪しいスピリチュアルはネガティブを消そうとします。ネガティブを愛で包んでとも言います。間違いではありませんが、ネガティブを消すことはできません。ポジティブだけではここで存在することができないルールですからね。ネガティブは消そうとするのではなく、ネガティブを忌み嫌ったりしない、ネガティブなそれは持ってないと嘘をついたりしない、そのままの欠損しているその存在のままでいることを受け容れることで、二元性から脱却する、と思っています。

(現在も私が自身を研究中ですから、その人生=ライフの集大成を記す事は念頭にしています。)


こんなに、酷く悲しいストーリーを自分で作ったなんて、自分でも胸が締め付けられます。このストーリーは、あなたにもぴったりだと思います。喉が詰まってる感じや肺が時々痛むならなおのこと、そのストーリーを読んで、自身を解放することができたら良いならと思います。
それは、あなたが認めたくなくても本質は手招きするでしょう。
抱えきれないほどの悲しみを小さいハートに隠し持っているんですから、あるシーンではひどく怯えたり、でも何もなかったかのように振る舞い、他人を安心させることに頑張るあなた、またある時は、無自覚に頑なに拒んだりして自己防衛に躍起になり、それが原因で背中や腰が非常に固かったり(スピっぽい語りだ…(笑))近くの音はさほど気にならないか聞こえないけど、世界から遠くの音をキャッチしてそれを探求することに気を使ってみたり、、、と鋭敏に研ぎ澄まされた五感を持つものの宿命というのでしょうか。催眠術でもかけられたかのような、冷たい深き悲しみは、まるで

アイスランドの青い氷の洞窟のように美しいのかもしれません。


今日も読んでいただきありがとうございました😊

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