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2021神戸大学/国語/第一問/解答解説

【21神大国語/第一問/解答解説】

〈本文理解〉
青山拓央『心にとって時間とは何か』。
①段落。責任とは何かという問題は、哲学者にとって古くからの、そして近年は科学者にとっても重要性を増してきた問題だ。とりわけ脳研究の進歩は、人間の行為が脳活動の産物であることを次第に明らかにし、責任概念の見直しを私たちに迫りつつある。犯罪行為を含めた人間のあらゆる行為が脳によってひき起こされているなら、行為の責任を行為者その人に負わせて非難や処罰をすることは疑問があるのではないか、というかたちで。
②段落。神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンは、悪事をなした人物が「非難に値する(blameworthy)」かどうかは重要な問題ではないと述べた。…
③段落。(具体例)。
④段落。イーグルマンはこのほかにも複数の知見を挙げたうえで、次のような自説を提出する。ただし、これは現在の科学から直接的に導かれたものというより、そこに彼の哲学的思考を加えて得られたものだと言ってよい。
「非難に値するかどうかは後ろ向きの概念であり、人生の軌跡となっている遺伝と環境のがんじがらめのもつれを解きほぐすという、不可能な作業を必要とする。…「非難に値する」の代わりに用いるべきなのが「修正可能である」という概念である。この前向きの言葉は問いかける。私たちはこれから何ができるのか?…」
⑤段落。イーグルマン自身が述べているように、彼は決して犯罪者を放免するべきだとは考えていない。ただ、遺伝と環境、その結果としての脳の状態をふまえて、「どんな場合も犯罪者は、ほかの行動をとることができなかったものとして扱われるべきである」と主張する。
⑥段落。「後ろ向き(backward-looking)」、「前向き(forward-looking)」との表現について、補足しておいたほうがよいだろう。…以下では「後ろ向き」、「前向き」の代わりに、「過去志向的」、「未来志向的」との表現を用いることにする。
⑦段落。イーグルマンの提言は明らかに未来志向的である。これから社会をどうするかに目を向け、犯罪に関して言うのなら、なされた犯罪への非難ではなく、再犯等の予防に力を注ぐからだ。過去のある犯罪について、それが脳の疾患や遺伝的・環境的要因によるものであるか否かは線引き困難であり、科学がこのまま発展すれば、線引きの基準はどんどん変化する(おそらくは、遺伝的・環境的要因をより重視する方向に)。これはつまり、ある犯罪者が非難に値するか否かは不確定だということであり、それならば、過去ではなく未来を考慮しようとイーグルマンは述べているわけだ。
⑧段落。そのため、この提言への批判は二つの観点からなされうる。未来志向的な観点から内在的に批判するか、あるいは、過去志向的な観点から外在的に批判するか、だ。とはいえ、あとで見るように、この二つの観点を完全に切り離すことはできない。
⑨段落。非難から修正へと私たちの関心を移した際に、「それが本当に未来を良くするのかどうかは、議論の余地がある」(傍線部(ア))だろう。とりわけ、ある特定の犯罪者がより良い人物になるかどうかではなく、その犯罪者の扱われ方を周囲で見ていた人々が、どのようなふるまいをするかに関して。
⑩段落。ざっくばらんに言ってしまえば、論点は見せしめの効果にある。犯罪者を非難し、処罰して、その人物が過去に犯した罪を鎖のように当人に巻き付けておくことは、他の人々による未来の犯罪を抑止する効果があるのではないか?言い換えるなら、非難から修正への移行が全面的になされた場合には、後者が「ぬるく」見えることで、犯罪傾向のある人々の自制心が損なわれてしまうのではないか?もし、この問いへの答えが「イエス」なら、未来志向的に考えた場合にも、非難は効果的であることになる。
⑪段落。このことに加えて、私たちの倫理が、たんなる因習としては破棄しがたい深さで過去志向性をもっていることも無視できない。重要なのは、過去志向性が犯罪のトークンに関わっている点だ。ここで言う「トークン」とは、特定の時間・空間的な領域を占める個別のものを指し、「タイプ(種)」と対になる概念である。
⑫段落。イーグルマンの提言は、ある犯罪をなした人物が、同じタイプの犯罪をふたたびなすことの予防に繋がる。未来志向的であることは、未来のトークンはまだ不在である以上、タイプ志向的であることを促す。そして、その一方で、トークンとしての犯罪は、それを避けることができなかったもの、すなわち、他の可能性をもたなかったものと見なされることになる(決定論、あるいはそれを包摂する運命論の世界において、いかなる行為もそうであるように)。
⑬段落。いま注目したいのは、ここでとられている過去への見方が事実であるかどうかではなく、私たちの倫理の実践と調和できるかどうかだ。身勝手な殺人をなした人物が、二度と殺人を行わない人物に更生したとして、同時にその人物は、まったく斜に構えるところなく、過去のその殺人のトークンを「仕方がなかった」と考えるかもしれない。後悔や反省のような心情を、「後ろ向き」として退けるかもしれない。たしかにその殺人はタイプとして凶悪なものであるが、トークンとして「それをすべきではなかった」というのは(その可能性がなかった以上)意味がよくわからない、という理由でーー。殺人犯のこのような態度は多くの反発を招くだろうが、「その態度とイーグルマンのあの提言とのあいだに明確な矛盾を見出すことは難しい」(傍線部(イ))。
⑭段落。私は以前、幼児の倫理的教育(しつけ)に関して、こんなふうに書いたことがある。
「われわれは幼児に、その行為は悪い行為であること、より良い行為がほかにあったこと、そうしたことを教え込む。だが、このときわれわれは、幼児に次のこともまた、教え込んでいるのである。その行為はしないこともできたということ。代わりにほかの行為をすることもできたということ。…」
⑮段落。友人を殴って怪我をさせた幼児は、これから同様のことをしないよう、大人にしつけられるだろう。だが、その幼児はそれだけでなく、「殴らないこともできた」のに殴ったことを反省しなくてはならない。殴らないこともできたかどうかを、だれも証明できないのだとしてもーー。…
⑯段落。イーグルマンの提言に私は必ずしも反対ではない。とりわけ、処罰への私たちの理解が非難の側に傾きすぎているなら、彼の提言から学んで修正の側にバランスを取ることは有益であろう。だが、彼の提言の背景にある科学的根拠を直視したとき、適度なバランス調整のもとで「非難の領域を残すのは、欺瞞や恣意性の入り込みやすい困難な作業である」(傍線部(ウ))。そして、その一方で、非難と修正のバランスをそれなりに取ることではなく、非難から修正へと完全に移行することがイーグルマンの真意なら、その移行の効果について私は疑念をもっている。
⑰段落。人間の行為が結局のところ環境と遺伝の産物なのであれば、それは悪行・善行問わず、すべての行為について言えることだ。…そして、過去の行為については、それがいかなるものであれ…そのようでしかありえなかったと見なされるべきであり、そのことが倫理に与える全面的な影響をイーグルマンは十分に考慮してはいない。
⑱段落。非難を基盤にした倫理がもし科学的認識と相容れなくても、その倫理が形作られるまでには進化論的な歴史があり、その歴史の因果関係は科学的事実と整合しうる。「現状の倫理を支えている過去志向的な認識は、たとえそれ自体としては虚偽を含んでいたとしても、人間集団の存続・拡大にとって未来志向的な効果をもちうる」(傍線部(エ))からだ。
⑲段落。認識における未来志向性を、効果における未来志向性と混同しないことが重要である。私たちが皆、認識において完全に未来志向的になることは、未来を薔薇色にするかもしれないし、しないかもしれない。このいずれであるのかは、認識の正しさだけでなく、ヒトがどのような生物であるかーー、つまり、イーグルマンの言う「血に飢えた」倫理なしに集団を存続できるような生物であるかに、強く依存して決まることである。


〈設問解説〉
問一「それが本当に未来を良くするのかどうかは、議論の余地がある」(傍線部(ア))とあるが、ここで筆者はどのような「議論」を提示しているか。80字以内で説明しなさい。

内容説明問題。問い方を吟味するところから始まる。「それ」の指す内容は直前部「非難から修正へと私たちの関心を移した際」を承け、これは前⑧段落、イーグルマンの議論を批判する2つの立場のうち「未来志向的な観点から内在的に批判する」立場に相当する(もう一つは「過去志向的な観点から外在的に批判する」立場で⑪段落以降に説明される)。以上より「それ」を「未来志向的な観点から非難よりも修正を重視する立場」(A)とする。そのAが未来を良くするかどうか「議論の余地がある」と言うとき、少なくとも単純には「良くする」とは言い切れないということだろう。そして、そのことについての「議論」が⑩段落「ざっくばらんに言ってしまえば、論点(→議論の急所)は、見せしめの効果にある」以下に続くのである。設問では「どのような「議論」を提示しているか」とあるので、「議論」の概要を説明する必要がある。
以下は⑩段落の4文による。まず「論点」としての「見せしめの効果」を具体化すると、1・2文目より「過去に犯した罪で当人を非難し処罰することは/周囲への見せしめとなり/犯罪抑止に効果がある」(B)となる。逆に非難から修正への全面的な移行(イーグルマンの立場)では犯罪傾向にある人々の自制心が損なわれるのである(3文目)。そしてBを肯定すると、「未来志向的に考えた場合にも(A)/非難は効果的である(C)」という帰結になる(4文目)。以上より「Aの場合も/Bであるので/Cとする議論」とまとめた。

〈GV解答例〉
未来志向的な観点から修正を重視する場合も、過去に犯した罪で当人を非難し処罰することは周囲への見せしめとなり犯罪抑止に寄与するので、非難は依然効果的だとする議論。(80)

〈参考 S台解答例〉
社会を良くする点で犯罪者は非難されるのではなく更生可能な存在だと主張するイーグルマンの未来志向的な議論に対して、同じく未来志向的な観点から内在的に批判する議論。(80)

〈参考 K塾解答例〉
犯罪者個人を非難するよりも一般的な犯罪予防を重視すると、非難にともなう見せしめ効果が働かず、社会の他の人間たちが犯罪を事前に自制することが困難になるという議論。(80)

〈参考 Yゼミ解答例〉
非難から修正へという未来志向的な提言から生じる、犯罪者を非難しなくなれば他の人々による犯罪を抑止する効果が薄れて犯罪を増加させてしまうのではないかという議論。(79)


問二「その態度とイーグルマンのあの提言とのあいだに明確な矛盾を見出すことは難しい」(傍線部(イ))とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。

内容説明問題。「その態度(X)と/イーグルマンのあの提言(Y)とは/明確に矛盾を見出すことは難しい」。始めに確認したいのは、(1)XとYとの類比が問われていること、(2)Xが「多くの反発を招く」ネガな内容なのに対しYは一見ポジな内容として語られていたこと、よって(3)Yを主題化して解答すぺきであること、という3点である。以上より解答構文を「〜Yは(主題化)/〜Xと/論理的には変わらない」とする。
類比は両者に目配りをし、できるだけ要素を対応させる。Xは傍線部の直前と前段からの流れを踏まえ「決定論的な観点により/過去の犯罪を顧みない/犯罪者の態度」、Yは⑦段落までの内容、特に②④⑦を根拠に「科学的で未来志向的な観点により/犯罪者の非難を重視しない/イーグルマンの提言」とまとめた。

〈GV解答例〉
科学的で未来志向的な観点により犯罪者の非難を重視しないイーグルマンの提言は、決定論的観点により過去の殺人を省みない犯罪者の態度と論理的には変わらないということ。(80)

〈参考 S台解答例〉
自己の罪を反省・後悔せずに避けられなかったとする殺人犯の態度は、犯罪者が更生している点で、過去ではなく未来を考慮するイーグルマンの提言と食い違わないということ。(80)

〈参考 K塾解答例〉
自らの犯罪を仕方のないものとする態度と、犯罪者を他の行為を取れなかった者と見なすべきだという提言は、行為の代替可能性を捨象している点では違いがないということ。(79)

〈参考 Yゼミ解答例〉
過去の行為に対する非難より修正を重視する未来志向的な提言に従えば、犯罪者が過去の殺人について反省も後悔もしなくても、その態度を認めざるをえなくなるということ。(79)


問三「非難の領域を残すのは、欺瞞や恣意性の入り込みやすい困難な作業である」(傍線部(ウ))とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。(※「残す」に傍点)

内容説明問題。問一・問二と傍線部を起点に説明したわけだが、ここで誤解してはならないのは、傍線部に着眼する以前に本文の構造が視野に入ってなければならないということだ。傍線部の機械的分析からルーティン化した解答法などを教授する輩は、たいてい劣化した知性を量産するだけの山師である。
問一の解説でも示唆したが⑧段落が構造上の分岐点になる。前段でイーグルマンの提言を未来志向とした上で、この提言への批判は「未来志向的な観点から内在的に批判する」立場と「過去志向的な観点から外在的に批判する」立場の2つがあるとする。前者については⑩段落までの内容(→問一)、以下⑪段落からが後者の説明となるが、その始めで「私たちの倫理が、たんなる因習としては破棄しがたい過去志向性をもっている」としていることに着目したい。そして筆者自身が以前記した「倫理的教育(しつけ)」についての文章を引用し(⑭段落)、それを説明した部分に続くのが傍線部のある⑯段落。ここで筆者はイーグルマンの重視する未来志向的な「修正」と「非難」のバランスを取る立場に立つ。その上で「彼の提言の背景にある科学的根拠を直視したとき、適度なバランス調整のもとで「非難の領域を残すのは、欺瞞や恣意性の入り込みやすい困難な作業である」(傍線部)」とするのである。
このように構造的に文脈を辿り見えてくるのは、未来における「修正」が科学と対応する(未来の「修正」は科学的根拠に支持される)のに対し、過去の行為への「非難」は倫理と対応するということだ(正確に言うと過去の「非難」は倫理の基盤となる(⑱)のだが、これについては問四で詳述)。以上を踏まえるならば、傍線部の前半「非難の領域を残すのは」の箇所は「科学的根拠に基づく未来における修正と倫理を調和させるために/犯罪者を非難し処罰する余地を保とうとするならば」(A)と要素を足して説明する必要がある。
それではAがどのような意味で「欺瞞や恣意性の入り込みやすい困難な作業」なのか。それは科学が犯罪を遺伝と環境の要因に帰着させようとすることと対応する(⑤⑦)。つまり犯罪の根拠が結局、遺伝と環境に帰着するのならば、犯罪者の過去を非難し処罰するのは欺瞞であり恣意的である。以上を踏まえ、Aに続けて「犯罪が遺伝と環境に帰着することを示唆する科学との矛盾は避けがたい」とまとめた。なお「残す」に傍点が打ってあるのは、科学的立場を徹底すると非難の領域は「ない」はずだからである(そのことは倫理の依拠する基盤を奪うことでもある←⑰段落)。それをあえて「残す」とするニュアンスを「保とうとする」と表現しておいた。

〈GV解答例〉
未来での修正と倫理を調和させるために犯罪者を非難し処罰する余地を保とうとするならば、犯罪が遺伝と環境に帰着することを示唆する科学との矛盾は避けがたいということ。(80)

〈参考 S台解答例〉
科学の発展を考慮すれば、犯罪が遺伝的・環境的要因によるものかどうかの線引きの基準は変化してしまうので、犯罪者が非難するに値するかどうかが不確定になるということ。(80)

〈参考 K塾解答例〉
遺伝と環境に基づく脳活動との相関で行為を捉える科学的見地からすれば、犯罪者個人は有責だとして処罰するのは、公正さや客観性を欠くものとなる危険があるということ。(79)

〈参考 Yゼミ解答例〉
遺伝や環境的要因といった科学的根拠による行為への判断に、非難という過去志向的な要素を入れようとすれば、正当性を欠いた主観によるものにならざるを得ないということ。(80)


問四「現状の倫理を支えている過去志向的な認識は、たとえそれ自体としては虚偽を含んでいたとしても、人間集団の存続・拡大にとって未来志向的な効果をもちうる」(傍線部(エ))とあるが、どういうことか。本文全体の論旨をふまえたうえで、160字以内で説明しなさい。(※「効果」に傍点)

内容説明問題(主旨)。傍線部の文構造が重文・複文を含み、複雑なので単文に直して並べてみる。すると、A「過去志向的な認識は/現代の倫理を支えている」、B「過去志向的な認識は/虚偽を含んでいる」、C「過去志向的な認識は/人間集団の存続・拡大にとって/未来志向的な効果をもちうる」というように3つの単文に分けられる。3文共通の主語になる「過去志向的な認識」(S)を明確にすることが全ての起点となる。また、傍線部のある⑱段落は2文からなるが、傍線部の前文「非難を基盤にした倫理が(a)/もし科学的認識と相容れなくても(b)/その倫理が形作られるまでには進化論的な歴史があり、その因果関係は科学的事実と整合しうる(c)」は傍線部と内容的に対応することに留意したい。すなわち、Aとa、Bのb、Cとc(Cはcの理由)がそれぞれ対応する。
aからAを説明するには情報不足なので、設問要求に従い「論旨をふまえ」る。本文構造は前問ですでにレクチャーしたが、それに倣うならば、筆者がかつて記した「幼児の倫理的教育(しつけ)」についての引用とそれを承けた⑮段落に「過去志向的な認識→現代の倫理」(A)の説明が求められる。特に「「殴らないこともできた」のに殴ったことを反省しなくてはならない」(→倫理の発生)が参考になる。ここで「殴らないこともできた」というのは引用部にあるように「客観的事実というより社会的信仰の教説」(→仮定の話)である。⑪段落にある過去の犯罪を「トークン=特定の時間・空間的な領域を占める個別のもの」と捉える視点も参照したい。以上よりAを「過去の一回性の行為(←トークン)について他もありえたと仮定するところに(S)/倫理の成り立つ基盤がある」と換言する。
Bについてはbを踏まえて、後はSがどの点において「科学的認識」と相容れないか、を指摘すればよい。それは科学的認識が「決定論」に傾く点においてである(⑫、問二を参照)。以上よりB。「Sの仮定は/科学的な決定論では無意味(←虚偽)である」と換言する。
難関はC。cは、傍線部の後(Cの直後)が「からだ」と続くのでCの帰結であり、換言ではない。Cを因果の順に直すと「S→未来志向的な効果→人間集団の存続・拡大」となり、そこに現れる倫理形成の因果関係が科学的事実と整合する(c)、ということだろう。こう整理するとポイントは、Sが未来志向的な効果(それは人間集団の存続を可能にするものである)にどうつながるかである。 Sは「過去の一回性の行為について他もありえたと仮定する」ことであり、そこから「反省」という態度が導かれるのであった(⑮、倫理の発生)。以下は、本文に直接明示されない。本文内容を足場とした論理的な推論の妥当性を問うている。
過去の行為を「殴らないこともできた」という仮定とともに反省することは、未来においてどのような効果をもたらすか。その反省が真摯なものであれば、未来において「殴る」という選択肢は極力避けられるだろう。こうした仮定を伴う反省(=原因)が、未来における過去の行為の修正に帰結する(=結果)。そして、そうした倫理的な態度の蓄積が人間集団の存続・拡大を可能にし(最終段落でもこのことが確認される)、それは科学的事実(=因果関係)と整合しながら進化していく。以上の考察より、Cは「過去の行為をその仮定とともに省みる倫理的な態度が(S)/(科学における因果的な思考と整合しながら(c))/未来における過去の修正を促し/人間集団の存続・拡大を可能にする」とまとめることができる。最後に「A→B→C」を元の論理関係を壊さないように再接合して仕上げとした。なお「(未来志向的な)効果」に傍点が打ってあるのは、「認識における未来志向性」(→イーグルマンの立場)との違いを強調するためである(⑲段落)。「認識」を過去におくことで、未来志向的な「効果」が生じるという筆者の論点が出ていれば十分であろう。

〈GV解答例〉
過去の一回性の行為について他もありえたと仮定するところに現状の倫理の成り立つ基盤があり、たとえその仮定が科学的な決定論では無意味だとされても、過去の行為をその仮定とともに省みる倫理的な態度こそが、科学における因果的な思考と整合しながら、未来における過去の修正を促し、人間集団の存続・拡大を可能にするものであるということ。(160)

〈参考 S台解答例〉
科学の進歩は、人間の行為が環境と遺伝の産物であることを明らかにする可能性を持ち、責任概念の見直しを迫る。たしかに、現在の倫理は、過去志向の認識による非難を基盤としている点で科学的認識とは相容れないが、未来志向の認識に立たずとも、社会制度の存続を可能にする未来志向の効果を持ち、結果として科学的事実と整合しうるということ。(160)

〈参考 K塾解答例〉
過去の行為の責任を行為者個人に帰することを前提として、現在に至るまで歴史的に形成されてきた倫理は、行為を遺伝と環境の関数として決定論的にとらえる近年の科学からすると非合理な認識とされるかもしれないが、そうした倫理から、人々の主体的な選択として集団的に共有しうる持続可能な未来を実践的に構想していくことも可能だということ。(160)

〈参考 Yゼミ解答例〉
犯罪や悪行について行為者を非難し、それを回避するべきだったと教えて反省を迫る過去志向的な倫理は、遺伝と環境に起因する人間の行為はすべて不可避だという脳科学的見地からすれば誤りである。しかし、非難と処罰の倫理には、悪い行為に対する反省や後悔を通じて、人間社会を存続させ、未来をよりよいものにするという意味があるということ。(160)


問五(漢字の書き取り)
(a)頻繁 (b)放免 (c)疾患 (d)破棄 (e)包摂

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