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2020広島大学 第二問(小説) 解答速報

出典は竹西寛子の小説「五十鈴川の鴨」。

問一「記憶に確実に届いた彼の託けによって、何か縛りつけられていく自分がいた」とある。「何か」の内容を本文中の言葉を用いて説明せよ。(二行)

〈GV解答例〉
岸部の「六月十九日はよい日でした」という託けと対応する、当日、伊勢神宮で「いいなあ」と岸部が呻くように言った言葉の意味。(60)

〈参考 S台解答例〉
伊勢神宮に行ったことが、私には鮮明な思い出ではなかったが、岸部には一生忘れられない貴重な思い出としてあったという不調和。(62)

〈参考 K塾解答例〉
一昨年の六月十九日に岸部を誘って伊勢神宮に行った思い出。(28)

問二 ア〜ウの「自分」はそれぞれどの人物を指しているか。次の中から選び、記号で答えよ。

〈解〉アーc イーb ウーa

問三「ご自分に生き続ける勇気を与えるための手段だったのかと思いいたりました」とある。「香田」という女性がこのように考えたのはなぜか。「香田」と「岸部」との関係をふまえて説明せよ。(二行)

〈GV解答例〉
岸部を慕い結婚を望む香田に対し、岸部が内面を隠すのは、被爆を体験した自身の境遇を直視するのを避けるためだと気づいたから。(60)

〈参考 S台解答例〉
岸部が香田との結婚を拒んだのは、被曝を隠すためではなく、悲惨な過去と決別し、別人になったつもりで生きるためであったと考えたから。(64)

〈参考 K塾解答例〉
岸部との結婚まで考えていた香田には、彼が被爆者としての自分を認めないことでしか生きられなかったのだと思われたから。(57)

問四 A「いいなあ」とB「いいなあ」について次の問いに答えよ。

1 AとBの発言者をそれぞれ答えよ。

〈解〉Aー岸部 Bー私

2 AとBとの違いを本文中の言葉を用いて説明せよ。(三行)

〈GV解答例〉
Aは、被曝で家族を失った岸部が、親子と思わせる鴨の群れが戻ってきたのに自身を重ね、同意を求めるでもなく感慨を吐露したものだが、Bは、それと知らずに私が思わず相槌を打ったものである。(90)

〈参考 S台解答例〉
鴨の親子を見て、Aでは原爆で家族を失い、家族を持つことへの諦めと憧れの気持ちから出た独り言だが、BはAが鴨の親子に偶然出会えたことを喜んだ言葉だと思い、それに思わず反応し、同意したものである。(96)

〈参考 K塾解答例〉
鴨の親子を偶然目にして、Aは家族を失いまた家族を持つことを断念した岸部が複雑な思いで発した言葉であるが、Bはそれを単に僥倖だと思った「私」が得意げに発した言葉である。(81)

問五「五十鈴川の鴨のことを、女客には言えなかった」とある。「私」が「五十鈴川の鴨」のことを「香田」に言えなかったのはなぜか。60字以内で説明せよ。

〈GV解答例〉
五十鈴川の鴨に深い感慨を抱いた岸部の気持ちに気づかずに、茶店に誘った自分を内心誇ったことを、岸部を慕う香田に恥じたから。(60)

〈参考 S台解答例〉
岸部が鴨の親子を見て「いいなあ」と言ったことを、心から結婚を望んでいたのに、それを拒まれた香田に告げるのは残酷だから。(59)

〈参考 K塾解答例〉
岸部が鴨の親子を見て「いいなあ」と言ったことを、岸部と家族になれなかった香田に話すのは残酷であると思われたから。(56)

問六「女客を送り出すと、私はそのまま社の外に出た。歩きたかった。歩かずにはいられない気持だった」とある。「私」が「歩かずにはいられない気持」になった理由を本文中の言葉を用いて説明せよ。(四行)

〈GV解答例〉
岸部を失った喪失感を抱えながら、彼が生きたことは関わった者の記憶に残り、自身の中にも生きていると感じ、神宮を二人で歩いた時のように、大地を歩き自然との調和を取り戻すことで、これからどう生きていけばよいかについての手がかりを得ようとしたから。(120)

〈参考 S台解答例〉
岸部の突然の訃報に加え、岸部との結婚を望みながらも叶わなかった香田と、被曝体験を抱え家族を持つことを諦めて一人で生きざるを得なかった岸部の不幸な人生から、思うままに生きられない人生を生み出した原爆の残酷さを思い、やりきれない気持ちになったから。(122)

〈参考 K塾解答例〉
今まで知らなかった被爆者としての岸部の苦悩や、彼とは結婚できなかったものの最期を看取った香田の苦悩を知るにつけ、ままにならない人生にしみじみとした感慨を抱くとともにいたたまれない気持ちになったから。(99)

#広島大学 #国語 #竹内寛子 #五十鈴川の鴨

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