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海外アニメにハマってうつ病からぬけだした話

うつ病は心の病という。しかし心ってのはどこにあるのだろうか?心という曖昧な概念を用いるから軽んじられているのであって、実際には脳の病であるし正気の死であり不治の宿痾である。

うつ病は治らない。正確にはうつ病の状態から抜け出す事はできる。しかしうつ病になったことで得た歪んだ考え、感情は一生引きずる事になるし、なにせ正気を失う病である。うつ病の時に半狂乱で傷つけた人の心は永遠に取り戻せない。

うつ病になった人間に待ち受ける運命は2つ。死か、正気を失ったまま生きていく事である。決してうつ病になる前の自分には戻れない。その点、うつ病というのは罹った時点で今の自分が死ぬものだと考えてもいい。再び立ち上がった時に存在するのは全く別の自分だ。

しかしながら私はどれだけ原型を失っても正気を失っても生きる事を選んでいきたい。そう思う。惨めに死を選ぶくらいだったら死に物狂いで生きて死んだ方が良い。どうせ死ぬのだったら結果は同じだ。どん底まで沈んでヤケを起こした私の復讐戦をうつ病レポ漫画にしたので読んで欲しい。 

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予感はあった。鬱屈している感情に昼夜問わず苛まれている時も何かきっかけが、きっかけさえあれば何か自分は新しいものに生まれ変われるという予感と、自分が脱皮不全を起こしている実感はあった。それを一気に引き剥がし、私を再び立ち上がらせ、多数の選択肢と可能性を与えたのが海外アニメとの出会いだったのである。

『変わる』ということが過去の自分との決別であり、過去の自分の『死』なのであれば変わり果てることもそれほど悪くない。忌むべき今の自分から脱却し新たな自分へと変われれば自死を選ぶ必要もないはずだ。生き続け変わり続ける事による絶え間ない自死ともとれる。

私は海外アニメに救われた。だがしかしそれは海外アニメを見れば無条件で鬱が治るという訳では勿論ない。自らの縋るもの、自分の信奉する宗教を探せということだ。人間は脆い。己の力だけで生きて行くことはできない。自らの背中をもたれさせる何か必要なのだ。それは何か物であっても、人であっても、アニメだろうが漫画だろうがゲームだろうが概念であっても構わない。

自らを再起させる、生きる理由になるものを探すこと。それがうつ病を克服し生きていく手段だと考えている。

何故人間だけが総ての動物種の中で唯一自死の概念を持ち、また総ての動物種の中で唯一宗教という概念を持つのか。それは高度に知能を進化させ情緒の獲得と自死の概念を得た人間が生きるために生み出した生存的戦略の一つが宗教だったからではないだろうか。何かを信じ縋る事で生きている限り覆い被さる生への絶望を和らげようとしたのだと思う。自身が体験してそう思う。

今絶望の中にある人間がこの記事を読んで自分らしい自分のための信仰、生きる理由を得られたらいいなあと強く思う。次の機会があれば自分がうつ病になったきっかけについて語りたい。



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ゆるふわぴんくチャン
私は遊園地にあるパンダの乗り物と同じなので、お金を入れると動きます。さ、お金を入れてぴんくチャンを動かしてみよう!今度はどんなえげつない動きをするかな??