dear friends 乳がんになった私の記録 #18|放射線治療のこと

こんばんは。

また更新頻度が回復しそうな予感の木曜日です。

書き留めていないことばかりで、何から書けばよいのかわからなくなりそうなので、まず直近の放射線治療のことから書き出そうと思います。

私は2月初めに、がんの遺残なしと言われましたが、
補完的治療のため、放射線をすることはあらかじめ決まっていて、
2月初旬から早速、放射線治療を開始しました。
計25回のため、3月中旬まで毎日15分間のために通院をします。

放射線は、何とも言えないw

身体に線を書き、それが消えないよう、毎日毎日チェックします。
私の場合、衣服のこすれで線が消えてしまい、必死で書き足していました。
少しでも治療が順調にいくように気を配っていて、
でも、とんぼ返りなのもしんどく、行き帰りに心を落ち着けるため、喫茶店で一服してから帰っていました。

治療中、皮膚が固く、日焼けしたように黒ずんでくるのですが、
その影響かすぐに右腕のしびれが始まり、
院内のリハビリに行くと、すぐにしんどさが軽減されたので、
しばらく通っていました。
そのあと、3週目くらいに腕のだるさがひどくなり、これはリハビリをしてもどうにもなりませんでした。。。

そして、通院3週目くらいに病み、パニックを起こしたり、
病院につくと呼吸が浅くなって気分が悪くなったり、心理面で大変でした。
術後2か月で、何となく病気に一区切りついたときにドッと来る、というやつかもしれません。
(厳密には、まだ、一区切りついてないんだけどw)

受け持ちの先生にできるだけ相談したり、息抜きにでかけてみたり、
気持ちを開放できる瞬間をたくさん用意するのが大事かも。

わたしはこの同時期に、右耳がポコポコいうようになり、
耳鼻咽喉科にもかかっていました。
ですが、耳は問題なく、同時期に鼻も違和感があったことから(大変)、
耳と鼻はつながっているからそれが作用しているのかもしれない、と、
鼻の吸引薬を処方され、しばらく様子を見ていました。
鼻も季節的なものか、とても乾燥しており、これには苦戦しました…!

私の場合は抗がん剤によって粘膜がかなり攻撃されて辛かったので、
鼻もその影響で弱くなっていたのかも。。。
抗がん剤を早めに終了できたのは、そういう点でもとてもありがたかった。
何事も、早く片付けると、その事だけではなくて、
周辺にもいい影響を与えられるなあと、実感しました。

放射線の間は、とにかく自分でできることは早寝早起きと、食事管理と、
保湿なので、この3つは頑張っていました。
ちょうどOisixに加入して、楽にご飯を作ったり、重いものも持てなかったので、しんどくならないように家事をしていました。
特に保湿をしていたおかげか、炎症もひどくならず、何とか最後だけヒリヒリするけれど治療は問題なく受けられる、というラインを保てました。
背中側に保湿剤を塗るのが難しいけれど、頑張りたいですね。

放射線治療が終わるころ、ちょうど桜の咲く時期で、
通院の行き帰りに桜が見えて、なんとなく希望が持てる季節なのがうれしかったです。看護師さんとも、治療が終わるころ、もうすぐ桜が咲くね~と喜んでいました。
これからまた失われていた日常が戻ってくることもうれしかったな。
1か月お世話になった放射線技師さんや看護師さんに、最後はお礼を言うことが出来ました。


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