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青の呪縛―樹海幻想曲―


第一章:迷いの森、彷徨う魂たち

 初夏の陽光が木々の間から差し込む青木ヶ原樹海。ここは生きることへの諦めを抱いた者たちが最後の安息を求めてたどり着く場所。そんな死の香り漂うこの地に、一人の男が足を踏み入れようとしていた。彼の名は御茶ノ水透――。

一.樹海の依頼

 御茶ノ水は都内の片隅にある小さな事務所を構える若き私立探偵である。今日もまた、いつものようにネット上の闇サイトからの依頼を受けていた。「青木ヶ原樹海……今度はあの場所か」。そう呟くと、彼は依頼内容を確認するため、パソコン画面に目を落とした。そこには、ただ一つの動画ファイルが添付されているだけだった。再生ボタンをクリックすると、暗がりの中で揺らめく炎が映し出される。やがて、火照った顔をした男の声が聞こえてくる。「助けてくれよぉ、御茶ノ水!俺はもうダメかもしれん……」。それは、かつて彼のもとで調査助手をしていた男・工藤直己の声であった。

 工藤は一年前、とある事件に関与し、姿を消していた。そして今回、突然このような動画が送られてきたのである。映像の中の工藤は憔悴しきっており、背景に見える薄暗い森から推測するに、どこかの廃屋にいるらしかった。御茶ノ水はすぐにでも樹海へ向かう準備を始めた。

二.彷徨う魂と出会って

 御茶ノ水が樹海へと続く林道を車で走っていると、前方に人影が見えた。ヒッチハイクをする若い女性だ。彼女の名前は月島凪(つきしま なぎ)。東京から来たという彼女は、ふらりと旅に出たくなり、この樹海を訪れたのだと言う。御茶ノ水は彼女を同乗させ、共に樹海へと向かうことにする。

 車中、二人は自己紹介をし合い、少し打ち解けた雰囲気になる。「探偵さんなんですね。何か面白い事件とかあるんですか?」好奇心旺盛な凪は興味津々な様子で尋ねる。「まあ、色々とね。ただ、この樹海に来るくらいだ。君にも何か悩みや問題がありそうだな」御茶ノ水が静かな口調で言うと、凪は少し表情を曇らせた。「最近、変な夢ばかり見るんです。誰かに追われて逃げる夢……」。

 その時、車の前に何か動物が飛び出した。御茶ノ水は咄嗟にブレーキを踏むも、車は大きく揺れて制御不能に陥る。次の瞬間、激しい衝撃とともに、車は道路脇の木々に激突した。

三.暗躍する影

 御茶ノ水が意識を取り戻すと、そこは車内ではなく、辺り一面が緑に覆われた場所だった。どうやら事故の衝撃で車外へ投げ出されたらしい。傍らには、同じく怪我を負った凪が横たわっている。「大丈夫ですか?」「ええ、なんとか……」。二人が周囲を見渡すと、そこは鬱蒼とした森林が広がる樹海の中であった。

 御茶ノ水は探偵としての勘が働き、何者かが意図的に動物を車にぶつけたのだと確信する。そして、自分たちが狙われている可能性を考慮し、身を守るために行動を開始する。まずは安全な隠れ家が必要だと考えた御茶ノ水は、近くにあった朽ち果てた小屋を発見し、そこで身を潜めることにした。

 夜になると、外からは不穏な物音が響いてくる。何か大型の動物が周りをうろついているようだ。二人は固唾を飲んでやり過ごすが、緊張感のある時間は長く続いた。

第二章: 惨劇の記憶、蘇る悪夢

一. 廃屋の惨劇

 翌朝、御茶ノ水は周囲の探索を始める。何か手がかりがないかと辺りを調べていると、距離を置いて並んでいる三つの墓標を見つける。それぞれに刻まれた名前は、『宮本』、『佐々木』、『山本』。職業不詳、享年不明としか記されていない。彼らは一体何者なのか。疑問が湧くが、今は先を急ぐべきだと判断し、御茶ノ水はその場を離れる。

 その後、御茶ノ水は一軒の廃屋を発見する。ひっそりと佇むその建物こそ、動画に映っていた工藤がいる場所に違いない。恐る恐る中へ入ると、そこは荒れ果てた無残な空間が広がっていた。そして、部屋の中央で、男の死体が吊るされているのが目に入った。腐敗が進んでいたため、顔は判別できない。しかし、服装からして、これが工藤であることがわかる。なぜ彼が殺されなければならなかったのか。御茶ノ水は憤りを感じつつ、この事件の真相を解明することを誓う。

二.闇に潜む怪物

 廃屋を後にした御茶ノ水は、再び凪の元へと戻る。食料もなく、空腹を訴えていた凪だったが、廃屋での出来事については伏せることにした。今はとにかく、この樹海から脱出することに集中すべきだからだ。

 二人は下山するべく歩を進めた。日暮れまでに抜けられれば良いがと思いながら進んでいると、背後から物音が聞こえてくる。振り返ると、そこには異形の姿をした巨大な獣が迫っていた。全身毛むくじゃらのそれは、四足歩行で熊ほどの大きさがあるが、犬とも狼とも言えない奇怪な容姿をしている。明らかに普通の動物ではない。これは人間を襲うために作られた化け物だ。

 「早く逃げるんだ!」御茶ノ水が叫ぶと同時に、獣が突進してきた。二人は全速力で駆け抜ける。足場の悪い地面、絡みつく蔦や枝。それでも止まるわけにはいかない。獣の爪が背中に掠めるのを感じながらも、必死に走る。
 

三.交錯する運命

 獣の追跡から逃れるべく、御茶ノ水と凪は必死に走り続けた。しかし、次第に周囲の景色が記憶とは異なるものに変わっていく。獣の巨体では通り抜けられないような狭い岩場や低木の茂みが行く手を遮る。

「このままでは、あの獣に追いつかれてしまう…」御茶ノ水は焦燥感に駆られながらも、方向感覚を失わないよう注意深く進み続けた。やがて、視界が開けた場所に出ると、そこは以前、身を潜めていた朽ちた小屋のすぐそばであった。

「どうやら、一周回って元の場所に戻ってきたようだな」御茶ノ水は安堵のため息をつき、小屋へと駆け込んだ。

「私、やっぱりこの樹海に来るんじゃなかった。何か怖い」凪は怯えた声で言う。「大丈夫。僕が守るから」御茶ノ水は落ち着いた口調で励ます。彼は探偵として数々の修羅場をくぐり抜けてきた。この程度のピンチでは動じない。今は、目の前の少女を守ることが最優先だ。

 その夜、焚き火を囲みながら、御茶ノ水は自らの過去について語り始める。幼い頃に両親を亡くし、天涯孤独の身となったこと。生きるために独学で探偵業を学び、この仕事にたどり着いたこと。そして、初めてこの樹海を訪れたのも、とある依頼がきっかけだったのだと。

第三章: 真相、闇に眠る秘密

一.闇サイトの正体

 翌日、御茶ノ水は再び単独で廃屋に向かった。昨晩、工藤のポケットから携帯電話を見つけていたのだ。それを手掛かりに、この謎を追及しようと考えていた。廃屋に着くと、携帯電話を操作してみるが、パスワードロックがかけられており、解除できない。ならばと、周辺を捜索していると、床板の一部が新しいことに気づく。これをこじ開けると、地下室への入り口があった。

 恐る恐る階段を下りると、そこには簡易的な実験室が広がっていた。そして、一体の骸骨が椅子に座らせられているのに気づく。御茶ノ水は、これが『宮本』なのではないかと推察する。『佐々木』と『山本』も同様の実験台にされたのだろうか。

 実験室をくまなく探していると、机の上に一枚の写真が置かれているのを見つけた。そこには、満面の笑みを浮かべる工藤の姿が写されていた。裏側にはメッセージが記されている。「新たなサンプル、期待しています」。御茶ノ水は、工藤が最初からこの組織の一員であり、自分をおびき寄せるための罠だったのだと悟る。

二.狂気の医師

 その時、突然扉が開き、ガスマスクをつけた男が入ってきた。男は猟銃を手にしており、銃口を御茶ノ水に向けている。「待っていたよ、御茶ノ水くん。久しぶりだね」。男の声を聞き、御茶ノ水は驚愕する。その声の主は、かつて自分が尊敬し、師事していた探偵・橘薫であった。橘は三年前に失踪していたが、まさかここで再会するとは。

 橘は、この樹海で禁断の研究を行っていたのだ。自殺志願者をモルモットにして、凶暴化する薬物を開発していたのだ。
 
「君のような優秀な頭脳を持った人間が、私のパートナーになってくれることを願っていたが……工藤があのように裏切るとはな」。橘は続ける。「君もここで永遠の眠りにつき、研究のサンプルになってもらうよ」。そう言って、猟銃の引き金を引こうとする。

三.決死の反撃

 御茶ノ水はこの危機的状況から脱するべく、持っていたナイフを投げつける。それと同時に身を屈め、橘の足元に飛び込んだ。猟銃の弾は逸れ、天井を貫通する。御茶ノ水は素早く立ち上がり、橘の懐に飛び込み、腕関節を極める。そのまま彼を壁に叩き付け、気絶させた。

 御茶ノ水は橘を拘束し、彼の計画について問い詰める。「なぜ、このような非道なことを働くようになったんだ!?」。橘は狂気に満ちた瞳で笑いながら答える。「私はただ、人間の限界を超えた力を求めていただけさ。自殺志願者など、世の中に不要な連中を活用したまでだよ」。御茶ノ水は怒りに震えながらも、この男の妄言を聞き流し、実験室に仕掛けられた爆弾を発見する。これが爆発すれば、証拠もろとも吹き飛んでしまう。

 御茶ノ水は橘を連れて実験室から脱出する。爆風が轟き、辺りが揺らぐ。廃屋は完全に破壊され、燃え上がっていた。御茶ノ水は、このままでは橘を助けられないと判断し、彼に麻酔針を打ち込む。これで、しばらくの間は眠り続けるだろう。

第四章: 光射す方へ、未来への軌跡

一.出口を目指して

 御茶ノ水の活躍により、橘の陰謀は阻止されたが、まだ樹海からの脱出が残っていた。御茶ノ水は、月島凪が無事でいることを祈りつつ、慎重に足取りを進める。

 道中、御茶ノ水はあの化け物の足跡を見つける。どうやら、こちらを追っているようだ。それに、徐々に空腹と疲労が堪えてくる。果たして、無事に生還できるのだろうか。不安が胸をよぎる。

二.絆が生む奇跡

 御茶ノ水が歩を進めていると、耳慣れた声が聞こえてくる。それは月島凪の声だった。御茶ノ水は急いで声のする方に近づいていく。すると、そこには衰弱しつつも健気に立っている凪の姿があった。「凪!無事だったのか!」。御茶ノ水は安堵のため息をつく。

 喜びも束の間、あの化け物が再び現れる。二人の命を狙い、獰猛な牙を剥き出して突進してくる。御茶ノ水はナイフを構え、凪を守るべく立ちはだかる。凪も勇気を振り絞り、拾った石を化け物に投げつける。その隙に御茶ノ水がナイフを突き立てるも、厚い毛皮に阻まれ、決定打にはならない。

 絶体絶命の状況の中、御茶ノ水はとっさの機転を利かせ、近くの枯れ木に火をつけ、松明を作った。そして、化け物の周囲に可燃性の液体を撒き散らす。油の匂いを嗅ぎ取った化け物は、混乱し始め、動きが鈍くなる。御茶ノ水はその瞬間を狙い、火のついた松明を投げる。ボワッと大きな音を立てて、化け物が燃え上がった。

三.再会の約束、それぞれの道へ

 化け物を倒した御茶ノ水と凪は、無事に樹海を脱出することに成功した。警察に保護され、病院で治療を受けた二人は、命に別状はなく、回復していった。

 退院の日、病室の前で二人は出会う。「凪、元気そうで良かった」「はい。御茶ノ水さんのおかげです」互いに微笑み合う。御茶ノ水は、橘が逮捕されたこと、彼の行った非道な行為が白日の下に晒されたことを告げた。「全てを終わらせてくれて、ありがとうございます」。凪は感謝の気持ちを伝える。

 凪は、御茶ノ水との出会いと別れを通じて、生きる希望を見出すことができたと語る。「これからもっと強くなって、ちゃんと生きていこうって思いました。またいつか会いましょうね」。そう言って、手紙を渡し、去っていった。

 御茶ノ水の手に残された手紙には、凪の優しい筆跡でこう綴られていた。「あなたの助けを必要としている人を救ってあげてください。あなたは一人じゃない。私はいつも応援しています。」

 御茶ノ水は手紙を大切にしまい、新たな決意と共に、再び探偵としての歩みを進め始めた。

【完】


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