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パラコードストラップ作りから人生における学習とクリスマスプレゼントのジレンマについて学んだ話

軽々しい着想

最近長年使っていたイきり財布のストラップという名のイきり安全帯が壊れた。正確にはそのパーツであるナスカンが壊れたんだけども、正直ストラップの革のコンディションもボロボロで買い替えるしかないかなあって感じであった。
しばらくはストラップなしで財布を持ち歩いてたんだけど、長年安全帯でくっついてた自分と財布の関係性はそれなしでは脆く、どこかに忘れちゃうんじゃないかとずっと感じていた。
そんな時ずっと前に見た『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で、主人公がパラコードというめちゃくちゃ丈夫なミリタリー使用のロープで編まれたブレスレットをしていたのがかっこよかったのを思い出した。
両側に金具を繋げて編んで作ればいいのでは?自分が不器用だということを忘れたこのアイディアが苦悩の始まりであった。

何がどうなってるんだか全くわからない

材料はあっという間にそろった。
さぁいっちょやりますかと思ったらこれがさっぱりわからない。
もちろんやり方を見ずにやろうなんてことは思っていない。むしろ参考にしたページを目は何度も行ったり来たりしている。だがひもをあっちにやったりこっちにやったり、通して引っ張ったりするがあっているのか全く分からない。
そのうち見かねた妻が横から先生をしてくれる。こういう時持つべきは守備範囲の異なる配偶者だ。彼女はニッターとしてバリバリ毎冬編んでいる私から言わせれば手先強者だ。やたらめったら強く締めどうこうしているうちにだんだんそれっぽくなってきた。内心しめしめと思い、妻に褒められ調子に乗っているうちにひもはまた私の思いと裏腹な形を取り始める。そして結びの端っこはのたうち回るような形になってしまった。
「どうしてこうなった?」「さっきのようにやっていけば終わると思ったのに」なんて思っているうちに肌寒いはずの室内で汗をどんどんかいている。そのうちやめればよかったとも思う始末。

スキルを学ぶということ

そのとき天啓がおとずれた。
「そうか、ここからこうきてこの流れがこの形を作るのか」「ということはここの締め方がこの形を左右して……」と突然すべてを理解できたような気になった。
今まで言われるがままやみくもにやってきたことがなんとなく形になり、そして一つ一つの行動の意味付けが分かってくる。私はこの時久しぶりに明確に新しい何かを出来るようになり興奮していた。そしてこの経験からスキルを学ぶ・教えるときには手順とその意味、そしてそこから導き出されるべき結果を提示する必要がある事、しかしそれは最初からすべてが分かるわけではなくまずは真似をしながら手を動かしてみながらではないと分からないのではと感じた。
あといくつになっても新しいことをやるのは大変だけどいいなということを学んだ。

『手作りプレゼント』のジレンマ

昔から手作りのもの、特に手編みのものに関して
「いやーなんかいろんな念が詰まってそうでちょっといやだなあ」
と言われることは多い。今回の経験まで個人的にはちょっと言いすぎというか考えすぎなんではないかと思っていたがそんなことはなかった、アレは
念が篭もる
たった一日で完成した自分用のものですら全然篭もっている。今回できたストラップは不格好で財布とのボリュームバランスも不自然だ。でも全然いい。完全にアバタもえくぼである。
これが好きな人相手に何か月かかけたものならどうだろうか?おそらくそれはあげる側ともらう側で極めて評価がちぐはぐなプレゼントとなることだろう。でも私はやめておきなとはもう言えない。自分も少しだけども作ってみて苦労を知ってしまっているが故に応援するしかない。そしてもし、そのプレゼントを悪く言うやつが居ようものならそいつを蹴飛ばすしかない。

自分のことをどんな奴が好きになるかわからないという苦労

ということでもしあなたが手作り、もしくは手編みのものをもらった場合には気持ちをぐっとこらえて少なくともそのプレゼントだけは大事にしなければならない。
そのプレゼントには念と、もしかしたらやけにかさばるストラップを財布につけた中年が陰に隠れて居るのかもしれないのだから。





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