2019/12/12 Going to the moon
昨日は十五夜、今夜は満月。
「今年最後」という言葉に惹かれるのか、職場でもSNSのタイムラインでも、いつもなら月の話などしなさそうな人までが「今日満月らしいね」なんて言っていた。そういう感じ、つまりは目先のことにキリキリせず、余裕のある感じはとてもよいと思う。
今夜の月は「コールドムーン cold moon」と呼ばれていた。満月の異名はいつごろから取り上げられるようになったのだろう。6月には「ストロベリームーン strawberry moon」が話題になった。わたしが以前から知っていたのは、ひと月のうちに2度目に現れる満月を「ブルームーン blue moon」というくらい。
上記の記事によると、満月の異名の由来は、アメリカ先住民たちの狩猟、植栽、収穫などの日々の暮らしに根ざしたものであるという。納得。
自然の流れの中にありながら、そこから外れた生きかたをしているわたしには、月を目印にする生活は無縁のものだ。でも、だからこそ、ここからは遠いところで生きた人たちが自然とともに生きる光景とそこで用いられた素朴で美しい言葉に淡い憧れを持つ。彼らにしたら、ただただ生活の知恵でしかなかったとしても。満月の異名に惹かれるのは、マザーグース の詩が素敵だと思うのと同じ感じだ。
大学や大学院の授業で折に触れて出会ったのは「分けると分かる」ということだ。区別をする、線引きをして「分ける」ということは、分けられたものには互いに違いがあるということであり、分けられるのは違いが「分かる」からだという話。「分かる」ために、手近なところや目先のことに飛びついてしまわずに、たくさんのものを見て、そして目を凝らす。よく観察する。現象や事実の断片を結ぶ筋道を考える。
「分かった」と日常当たり前に使っているけれど、何かの本質に辿り着くのは月に行くようなものなのかもしれない。近くて遠い、でも形を変えながらもたいていは見えている。月を目指す者ができるのは、一歩ずつ進んでゆくこと。昔は途方もなく長い道程に対する目眩ばかりが気になったけれど、今になってようやく、「だからこそ心が躍るのだ」と分かりはじめている。
上に上に突き進んで/どこまで行けるか/確かめてみたくはなるのさ/月に行くほど遠く長い道も/歩いて行けるさ/なぜならば/まだまだ足りないから
出典:TRICERATOPS「Going to the moon」
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