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2020/01/14 学ぶ力

朝、登校指導で交差点に立って挨拶をしていたとき、ある生徒から声をかけられた。先日、代打で授業に行ったクラス(高2)の生徒だった。

「先生、職員室に行ったらまた教えてくれますか」
思いがけないことで、そう尋ねる彼女の言葉に驚いたけれど、とても嬉しい。たった2回の授業だったけれど、その機会で得たものを次へつなげようとする彼女の姿勢に感心もした。

そこで思い出したのは、内田樹「学ぶ力」だ。これは、内田氏が中学2年生の国語の教科書のために書き下ろした文章で、氏のブログ「内田樹の研究室」で公開されている。前任校で採用している教科書に掲載されていたので、授業で扱ったことがある。いかにも内田氏らしい書きぶりで、大事なことを平易な言葉で繰り返しながら述べる。そのエッセンスにあたるところが次の一節だ。

 「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学力のある人」です。

http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.html

今朝の彼女は、内田氏の言う「学力のある人」なのだ。学びたいこと、力を伸ばしたいと思っていることが自覚できていて、そのための機会を自分で作ろうとする。そんな姿勢の生徒に返す言葉は「いいよー。いつでもおいで!」しかあり得ない。

もちろん自分の勉強(今年俄然やる気が湧いた)もおもしろいけれど、この仕事をしていて感じるやりがいの一つは、「学びたい」「力をつけたい」と思っている生徒の助けになることだ。これは、気をつけないと「頼られるワタクシ」に酔った自己愛的なものに陥ってしまう。でも、単純に、誰かの助けになって、その人に喜んでもらえたら嬉しい。それは難関大学に大勢合格させたとか、そういうことではない。学校、特に私立学校が続いていくためには、そういう分かりやすい数字も必要ではある。その一方で、学校を離れた後も、学びには様々な形があり、学ぶことはいつだって大変なこともあるけれど、おもしろいものだと学び続ける人を育てたいと思うのだ。

早朝の登校指導は寒いし面倒だなあとつい思ってしまうけれど、今朝は件の生徒のおかげで嬉しい贈物をもらった気分になった。


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