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映えるパッケージ

今や「インスタ映え」「映える」
いった言葉は死語に近付きつつある
のかもしれない。
などと思いつつも、当面はまだまだ
現役で使われ続け、1年や2年はもつ
ものと踏んでいる。

そんな「映える」であるが、
これは明らかにSNS時代を象徴する
言葉
だ。
他人に見てもらった際に、
賞賛を浴びることに主眼を置いた
意味合い。
SNSで、「見て見てー、こんなに
きれいだよーーーーー!」
という自己主張を形容詞化した
かのような単語。

私も含め、人というのはかくも
他人に認めてもらいたい生き物

なのだ。
そういう本性が、SNSという場には
溢れているわけだが、それは決して
悪いことだとは思わない。
個性を自分なりに表現する場として、
素直な気持ちを発露させる場として、
それらをお互いに交換する場として、
気持ちよく使えばよいのだ。

話が逸れてしまったので、
元々書こうと思っていたところに
戻す。
そう、「映える」パッケージだ。

娘が、銀座に出かけた土産として
買ってきてくれたのが、写真にある
カヌレ。
「Ginza Corridor Cannele」
と書いてあるので、銀座にある
コリドー街で商売しているという
ことが分かる。

コリドー街というと、数年前に、
かなりいかがわしい状態にあった
という噂を聞いていたが、
コロナ騒ぎでそんな状況もすっかり
なりを潜めているだろう。
世界初の完全養殖に成功した
クロマグロである「近大マグロ」が
食べられる「近畿大学水産研究所」が
東京に初出店したのもここ、
コリドー街である。

そんなコリドー街のイメージから、
カヌレには結びつきにくいのでは
ないか、というのが正直な感想。
しかし、大半の人は「コリドー街」
のイメージよりも「銀座」のそれに
引っ張られて、何となく高級な
イメージを思い起こす
のだろう。

この包み紙は、昔よく使われていた
油紙(紙に油を引いて乾燥したもの)
ないしはワックスペーパーのような
ものである。
見た目だけでノスタルジーを感じ
させる代物。

そんな紙の上に、シンプルな白地に
シンプルなフォントで、ブランド名
をあしらっている。
さらにその包み紙の口を、赤い色も
鮮やかな木製の洗濯バサミで締める
あしらい。
好き嫌いはあるかもしれないが、
個人的には卓越したセンスを感じた
のである。

中に入っていたカヌレは、
残念ながら写真に収める前に
私の胃に収まったため、
お見せすることが叶わない。
普段ほとんど食べることがない
ため、カヌレの味の評価は
正直自信がないが、フランス発の
冷凍食品スーパー「Picard」の
ものよりは数段美味しかったとは
言えそうだ。

味はどうあれ、少なくともこの
見映えの良さがあれば、
お土産、プチギフトとしては
成功する可能性がかなり高いと
いう予想が付く。

そう、ギフトとして使われる
菓子類は、味も勿論重要な要素だが、
見た目、「映え」は決定的な要素と
なり得るほど重要
なのである。
ギフトを買う側の「ニーズ」は、
もらう側の人が喜んでくれること。
喜んでくれるためには、美味しい
ことも重要だが、それと同等以上に
見映えの良さやブランドとしての
信頼感、安定感といった要素が
モノを言う
のだ。

カヌレの対抗馬には、マドレーヌとか
マカロンといった美味しいお菓子が
山ほどあるので、このコリドー街発
カヌレがどこまで善戦するのか、
正直未知数。
「映える」パッケージに加えて、
二の矢、三の矢を何かしら放つ
ことで生き残りを図らねば、
未来は少々厳しいかもしれないが、
何とか頑張って欲しい。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。