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ビジュアルと言葉があいまって「メッセージ」となる

見事な太鼓腹である。
残念ながら、これを見て美しいとは
とても思えず、むしろ目を背けたく
なるのが通常の反応だろう。

これは、某製薬会社の折り込みチラシ
おなかの脂肪が気になる人向けに、
対策用のタブレットを販売訴求する
内容だ。

男性の方は、
「太っていて、
 イスに座っているとき、
 脚を組めない」
とのセリフ。
女性の方は、
「太っていると
 体が重い」
とのセリフが見える。

そして、キャッチコピーとして
「体重が減る。
 カラダが軽くなる。
 動きたくなる。」

との文字が躍っている。

体重が減って、カラダが軽くなったら、
軽やかに動けるようになる。
きっと動きたくなる。
そんな明るい未来が待っている。
どうですか?
このタブレットを試してみて、
軽やかに動き回れる未来を
手に入れてみませんか?

訴えたいのは、そんな内容だろう。

しかし、である。
隣に並んでいるビジュアルは、
太鼓腹の男女。
いわゆる「恐怖訴求」と呼べるだろう。
こんなみっともないお腹のままで、
あなたは本当に良いのですか?
さすがにまずいのではないですか?
このビジュアルはそう訴えかけてくる。

この恐怖訴求ビジュアルが、
明るい未来を想起させるキャッチコピーと
今一つ嚙み合っていない。

もちろん、言いたいことは分かる。
まず恐怖訴求ビジュアルで目を引き、
特に自分自身が似たような体形の
人の目をくぎ付けにする。
そして、今のままだと、座ったままでは
脚も組めず、体が重くて困っているが、
そんな私の体を軽くしてくれる素敵な
モノを売っているのかしら?!
と思わせたいわけだ。

しかし、コピーとビジュアルの間に
どうしてもワンクッションある
ために、
スッと理解できないのではないか?
そんな風に思われるのである。

通常、視聴者が目にするコピーと
ビジュアルは、同じものを想起させる
べきである。
コピーが明るい未来を訴えるなら、
ビジュアルも明るい未来のイメージ。
コピーが恐怖訴求なら、
ビジュアルも恐怖を感じさせるイメージ。
つまりは一貫性、連動性を保つという
ことだ。

残念ながら、この広告では、
コピーで明るい未来を訴えながら、
ビジュアルは恐怖訴求。
「噛み合っていない」と言ったのは
そういう意味である。

消費者が広告を見てくれるのは、
ほんの僅か一瞬、せいぜい数秒。
コピーとビジュアルが連動していて
やっと、ほんの一瞬でも理解可能な
「メッセージ」として成り立つ。

この点を気を付けるべきだと
反面教師的に教えてくれる
折り込み広告であった。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。