見出し画像

様々な感情を味わうために生まれて来た

3月になり、新しく部下が入社してくれた。
これまで、本来自分と2名の部下で分担する
はずの業務を、自分1人でやらねばならない
状況が続いていたので、待ちに待った入社
なのである。

とはいえ、最初のうちは、引き継ぎを行う
ために膨大な時間が必要
となる。
覚悟はしていたのだが、それによって
日常業務が支障を来すほどの展開。

あらっ、あれをやってない。
うわっ、これもやってない。
およっ、それ忘れてた・・・

そんな、マンガのト書きに出て来そうな
セリフが思わず口をついて出る。

それでも、全く悲壮感はない。
50歳ともなると、いい具合に肩の力も
抜けて来て、変に度胸が据わるのかも
しれない。
何とかなるさ、そう思える。

本業がそんな状態にある中で、
最近プライベートに関しても、
なかなかしょっぱい出来事がチラホラ
自分を襲ってきた。

様々な感情が、心の中に渦巻く。

言い訳をしたい気持ち
自分はこれでもベストを尽くした、
だからそんないわれのない批判を
受ける覚えはない!
そんな感情。

怒り心頭な気持ち
いつまでこんな状況が続くのか。
なぜこれにみな気付かないのか。
おかしいと声をあげないのか。
勝手に義憤を感じる心。

勘弁してよ~という気持ち
何度言っても分かってもらえない。
いいかげん、歩み寄りたいのにも
関わらず、一向にその緒を見つける
ことができず、悶々とする。

これらは、いずれも「負」の感情
できることならば、普段はあまり
味わいたくないものだ。
ポジティブな感情に浸っていられる
方が、当然ながら心地よい。
健康にも断然良さそうだ。

しかし、こういった「負」の感情も
含めた様々な感情をあまねく味わう
ために、我々は今ここに生きている

のではなかろうか。

人生に無意味なことはない
起こらない。
必ず何らかの意味がある
少なくとも、意味を見つけることが
人生を充実させる
ことは疑いない。

だから、「負」の感情にしても、
折角それを味わう機会が訪れたの
ならば、じっくり味わい尽くして
しまえばよい

そのくらいの気構えで、自分の感情と
向き合えばよいのだ。

心がヒリヒリ痛い。
そんな気持ちになったとしても、
それが新しい学びなのだ。
心を痛めている人の気持ちになれる、
寄り添える、そんな人になるために、
今その気持ちを味わっている
のだと
思えばよい。

様々な感情をそうやって味わうことで、
自分自身の成長が更に加速する。
新しい自分へと書き変わっていく。
そんな自己変容の旅路を、
今日も楽しんでいこう。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。