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「ただの音波」とコミュニケーション

ぶつぶつと独り言を言う人がいる。
兄弟姉妹のいない一人っ子や、
独り暮らしの長い人に、
比較的独り言を言う人が多い、
そんな傾向が感じられる。

独り言を言われると、ドキッとしてしまう。
それが、ため息交じりだったり、
何となく不快な雰囲気をまとっていると
なおさらである。
自分が悪くなくても、何か自分のせいで
不快な思いをさせてしまっただろうか?
と要らぬ気遣いをしたりすることも。

独り言は、コミュニケーションではない。
独り言を受けて、会話をこちらから始めれば、
そこからコミュニケーションが成り立つことも
あるかもしれないが、
基本的には両者は異なる。

コミュニケーションが成立するために
必要な要素。
それは、受け手の存在である。

受け手がいなければ、どんなに素晴らしい
言葉を声に出したとしても、
それは「ただの音波」でしかない。

そのようなことを教えてくれたのは、
もはや誰だったか覚えていないが、
明確に文字に残してくれているうちの
一人はドラッカーである。

コミュニケーションは、受け手との意志の
やり取りである。
そこにやり取り、双方向性がなければ、
「ただの音波」なのだ。
この表現、思い返す度におかしくなる。
「音波」である。
よくもまぁ、本質をこれほどまでに鋭く抉る
ような物言い
ができるものだと感心する。

独り言を言う人は、コミュニケーションを
求めているわけではないのだろう。
言い換えると、返事が欲しいわけではない
のだろう。

しかし、周囲にいる人間からしてみれば、
メチャクチャ気になるのである。
もとい、気になる人と気にならない人が
いるというのもまた事実だ。
少なくとも私にとっては、という留保が
必要だろう。

独り言が癖になっている人は、
それが周囲に「ネガティブな音波」を
送っていることになっていないか、
是非注意して欲しい。

周囲がみんなマイペースで、誰も独り言
なって気にしてないよ、というなら
それでも構わないかもしれない。

しかし、間違いなく気になる人はいるし、
たとえ気になる人が少なかったとしても、
少なくともその独り言が「ネガティブ」な
内容になっていないかだけは気を付けた方が
良いだろう。

言葉を発するということ。
その時点で、音波は必ず発生している。
その波動は、何らかの形で自分に戻って来る。
波は「寄せては返す」というではないか。

ポジティブな波を発すれば、
ポジティブな波が返ってくるだろう。
ネガティブな波を発すれば、
ネガティブな波が返ってきてしまう。

だからこそ、日々ポジティブな音波を口に出す
ことが肝要なのだ。

そして、できることなら、「ただの音波」では
なく、「コミュニケーション」をとるために
音波を口に出したいものである。
受け手に自分の意図が伝わるように。
そして、そのコミュニケーションを通じて、
受け手の人生が少しでもポジティブに変容する
お手伝いができるように。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。