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串打ち3年、焼き一生

「串打ち3年、焼き一生」という言葉がある。
焼鳥を調理する際に、串で鶏肉を刺す作業を
「串打ち」というのだが、それをマスター
するまでに3年はかかる。
そこから更に、「焼き」方を極めるには、
結局一生を費やすことになる、という教え
である。

「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という
言葉もある。
こちらは、うなぎの調理をする際のもの。
うなぎの場合は、「串打ち」の前に包丁で
身を捌く「裂き」の作業が入るわけだが、
これがなかなか難しい。
そして更に、「焼き」方はその上をいく
難しさだということのようだ。

こういう、いわゆる「職人」さんの世界や、
伝統芸能の世界においては、
何年もかけて技能を修得していくことが
求められる。
歌舞伎や能、落語などがパッと思い浮かぶ
人も多いだろう。
一生涯、死ぬまで修業が続く、という
考え方のイメージだ。

焼鳥やうなぎ、歌舞伎や能は、サービス産業
的な位置づけとなるが、ものづくりの世界
でも長い修業期間が必要とされるケースは
多い。
有田焼、九谷焼、備前焼、美濃焼などといった
焼き物の世界がそうだし、他にも
刀鍛冶、彫刻、蒔絵、染物などなど、
挙げていけばそれこそきりがないだろう。

読書勉強会で丁度読み終えた、稲盛さんの
『燃える闘魂』に、これら日本の緻密な
ものづくりに関する伝統への言及があった。

曰く、「世界に誇る知の蓄積」であり、
「他国が容易にまねできない」のであって、
それらは日本人の「敬虔で高い精神性」に
支えられている
という。

京セラが作ってきたファインセラミクスも、
「焼き物」の一種である。
その製造プロセスには、高い付加価値を
生み出す様々な知恵と工夫が詰まっている
というのだ。

そして、そうした知恵と工夫が生み出された
背景には、「機械の泣いている声」が分かる
ようになるほどに仕事に打ち込んだという
姿勢がある旨を稲盛さんは語っている。

実際に機械が泣くなんてことがあるのか、
正直なところ分からないが、
普通に考えれば「泣くはずない!」で
終わるだろう。

重要なポイントは、機械の泣き声が聞こえる
と思えるくらい、自分がやれるだけのことを
精一杯やり尽くした
と言えるかどうか。
これだけやってダメなら仕方ない、そう
自信を持って言い切れるくらいに努力を
極めたかどうか。

即ち、「人事を尽くして天命を待つ」
心境に至っているかであろう。
そこまでやれば、万一ダメでもあきらめが
つくし、逆にそこまでやったなら、
天が味方してくれる可能性は十分に高い

いうことではなかろうか。

古臭い根性論と一蹴することも可能だ。
しかし、日本人が持つ強みであることは
間違いない。
その強みを、無防備に手放してきた感の
ある我が国は、稲盛さんの言葉にもっと
真摯に耳を傾けるべきではないか。

折しも、円安の急激な進行で、
日本国内への製造業回帰にはもってこいの
タイミング
と捉えることも可能。
日本のメーカーの動きが、
より一層盛り上がって来ることを、
期待して見守りたいところだ。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。