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雑記:読書体験、のようなもの

前回、自作の詩の解説をしてみたわけですが。

いろんな方に好意的な意見や反応をいただけて正直びっくりしつつも、嬉しかったです。
読んでいただいた方、コメントまでくださった方、ありがとうございます🍀

そんななか、コメント欄で「どんな読書体験をしてきたの?」というような質問をいただいたのですが、まったくもってうまく答えられた気がせず。せっかくなので記事として書いてみることにしました。


恥ずかしながら「読書体験」という言葉そのものになじみがなく、何を指しているのだろう?となってしまった。

自分で本を読み始める以前に大体の人は「読み聞かせ」を親にしてもらっていると思う。
もしかしたら私もしてもらっていたのかもしれないけど、なぜだかまったく思い出せない。

イラストがいっぱい載った子ども用の百科事典をひとりで眺めていたことや、ほぼアニメ絵で構成されている小さな絵本をサービスエリアで買ってもらって車のなかで眺めていたことはぼんやりと覚えている。

一方で、小学生の頃好きだった本はタイトルまで思い出せる。それが『おひめさまがっこうへいく』という作品。

決まりごとだらけの学校生活に嫌気がさしておひめさまが学校を脱走する、というあらすじ。
おまけに生徒は彼女ひとり、という不思議な設定。大きな湖をみかんゼリーにして、歩いて渡るシーンが大好きだった。

はじめて読んだときはみかんゼリーの湖に対するときめきが強すぎて、なぜ湖がゼリーになったのか分からずにいた。
「おひめさまは魔法を使ったのかな?」なんて思いながら何度か読み返すうちに、給食用の「みかんゼリーの素」を学校から大量に持ち出して、それを湖に入れてゼリーにしていたことに気づき「すごい!まねしたい!」と思ったっけ。

あとは図工の教科書を眺めるのが好きで、学年が変わるのを心待ちにしていた。
そしてダリの『記憶の固執』をはじめて見たとき、衝撃を受ける。
「なんで時計が溶けてるの?この生き物はなに?アザラシ?(※ダリ自身の自画像)」と前のめりになり、シュルレアリスムに目覚める。

そこからシュルレアリスムと夢の関係を知り、夢と潜在意識、さらには精神分析にも興味を持ち始める。
この時点ではただの好奇心であったが、のちに自己理解のために本格的に精神分析にまつわる知識を必要とすることになろうとは。
運命というかなんというか、驚きである。

中学に入って。
これは自己紹介でも軽く書いたけど、国語の教科書で安部公房の作品(戯曲『棒になった男』の一部)を読んで、またもや衝撃を受ける。
え?父親が落下して棒になる?こんな文学作品があるの?とびっくりした。
ではそこから中学生の間、安部公房を読みふけったのか?というと、そんなことはなく。
真に安部公房に惹かれていくのは大学に入ってからだった。

中学時代に関してはもう少し語りたいことがあって。

塾の国語の先生が少し変わった人で、読解力を養成するための教材として山田詠美や吉本ばななの小説を使っていた。
ハ行からはじまるその先生は、小説の一部を拡大コピーして、生徒に配布する。そしてさわやかな顔と声で音読を命じ、その後に彼自ら作った問題を解かせる。

山田詠美の『僕は勉強ができない』という作品は性描写がわりと多めで、そうしたシーンの音読にあたらないよう祈っていたことを思い出す。
しかしそんな願いはむなしく、高確率で指名され、私は赤面しながらプリントの活字を読みあげる。
さわやかなフリして女生徒にいやらしい言葉を言わせて楽しんでいるのか?ヒ〇〇〇先生。
イニシャルに直せばH先生。
なるほど、とひとりで納得したりした。

でも家で山田詠美の作品をこっそり読むぶんには楽しくて。
続きが読みたいなと感じたが内容のうしろめたさから、親に隠れて小説を購入した。
『放課後の音符』『蝶々の纏足』『風葬の教室』あたりを読んだように思う。
なんかちょっとマセていたのか、石田衣良の『娼年』を読んだのもこの時期だったような。

高校に入ると小説を楽しむ余裕はいろんな意味で全くなくなった。
ごくたまに学校の図書室に行って読んでいたのは日本史に関する本だった。
教科書に載っていないようなことを知るのが楽しかった。

大学に入って。
さっきちらっと言ったように安部公房に本格的に熱中し、分厚い全集を借りて。ハマってたなぁ。
そしてもともとは父が好きだった森博嗣に流れていく。

内容はもちろんのこと、彼の小説のタイトルがなんかもうすごくツボで、大好きだった。
『詩的私的ジャック』『幻惑の死と使途』『数奇にして模型』『有限と微小のパン』『月は幽咽のデバイス』『φファイは壊れたね』『τタウになるまで待って』『まどろみ消去』『虚空の逆マトリクス』などなど。秀逸すぎる。

そして図書館ではシュルレアリスム系統の画家たちの画集を眺めていた。
ダリもいいけど、デ・キリコ、マグリット、デルヴォー、エルンストもいいなぁ。
シュルレアリスムではないけどゴヤも好きだな、なんて思いながら。

画集に掲載されている解説文って語彙が豊かで。具体例はすぐには思い出せないけど日常では使わないような語の組み合わせや表現も多用されていた気がする。

そしていま。自分のことが知りたくて、心理学や精神医学にまつわる専門書をいろいろ読んでいる。そこでも「この用語の表現好きだな」と思うものがあったりして、内容を読みつつ、知らない言葉や言い回しを知る喜びを覚えて。


「本」を読んで、その「具体的な内容」に影響を受けて……というのとはちょっと違ったかもしれないけどこれが私の「読書体験」といった感じだろうか。

読んでくださった方、ありがとうございました📖

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