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第58回 実録小説『とてもお似合いのカップルだったのに』~カメロー万歳~

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#カメロー万歳
#月刊ピンドラーマ  2021年1月号 HPはこちら
#白洲太郎 (しらすたろう) 文

 2020年2月。カーニバルを数日後に控えたある日のことである。

 白洲太郎が近所のスーパーに向かって歩いていると、プレフェイトゥーラ(市役所)の関連施設の入り口に、ひとりの女性が佇んでいた。伊達メガネをかけているため、すぐに誰とは知れなかったが、その整った顔立ちには見覚えがある。歩きながら考えていたが、スーパーに到着する頃には、彼女の名前を思い出すことができた。数か月前、元恋人に実の姉を撃たれてしまったヒチエリである。事件後、一度も姿を見かけることはなかったが、あれは間違いなく彼女本人であった。濃厚な化粧を施しつつも、その美貌はいまだに健在で、腰まで垂らした長い黒髪が印象的である。太郎は買物カゴを手に取りながら、昔のことを思い出していた。

 ヒチエリのことを知ったのは2011年の年越しフェスタである。当時ぎりぎり20代だった太郎は、酒をガブ飲みしながら手当たり次第にナンパをしていた。その中のターゲットのひとりが、ヒチエリだったのである。

 午前4時を過ぎても、あたりにはサムシングを求める若者たちがうじゃうじゃしている。ほとんどの者が泥酔していて、混沌とした様相を呈していた。フェスタ仕様に着飾ったブラジレイラたちの美しさには目を見張るものがあり、太郎は中学生のような性の昂ぶりをもて余していたのである。

 ヒチエリをひと目見た瞬間、「まぶいじゃん」と太郎は思った。実際、当時のヒチエリは現在よりも数倍まぶかったのである。ブラジル娘がもっとも輝く年代は10代半ばから後半であるが、当時の彼女はまさに全盛期だったといえる。その溢れんばかりのオーラに、かれは立ちくらみを起こすほどであった。

 とりあえず話しかけるしかない。太郎が意を決して近づいていくと、「ちょっと待ったぁー!!」とばかりに、ひとりの男が割り込んできた。
「ジャパ、この娘はオレんだぜ」
と、言うが早いか、太郎の目の前で熱烈なディープキスを始めたのである。唇を吸いあう生々しいサウンドが耳朶にまとわりつき、かれは呆然とその場に立ち尽くした。実際、この男がヒチエリの彼氏であり、のちに銃器使用による傷害事件で逮捕されることになるシンヨだったのである。しかも太郎はこの男と面識があった。シンヨは太郎の住む家の持ち主であるネイのいとこで、一度紹介されたことがあったのである。当時、彼は二十歳になるかならぬかの若者で、怪我を理由にプロサッカーチームの下部組織を退団し、故郷に帰ってきたところであった。ネイの付き添いで太郎の家に現れたシンヨは、ピアスなどの商品を手に取っては、投げ捨てるような扱いを繰り返す。彼に悪気はなく、単純にぞんざいな性格によるものであろうことはわかっていたが、見ていて気持ちのよいものではない。このときから、太郎はシンヨに対してあまりいい印象をもっていなかったのである。

 極めつけが、この眼前でのディープキスであった。付き合っているのだから問題はないし、ヒチエリに対する執着心などまるでない太郎であったが、その他者に見せつけるような濃厚な接吻が、シンヨの底知れぬ嫉妬心を顕しているようで気味が悪かったのである。

 どうせすぐに別れるだろうという周囲の予想を裏切って、2人の交際は続いた。シンヨは現役時代に貯めた金でトラックを購入し、運送業を開始。町を一定期間離れては、戻ってくるというようなことを繰り返していたのである。2人を町で見かけるたびに、「まだ付き合ってたのか」と驚く太郎であったが、同時にシンヨのことを見直してもいた。プレイボーイ気質な彼のことである。女をとっかえひっかえしている場面は想像できても、ひとりの女性と真剣に付き合う姿はイメージしにくい。「意外とまともなヤツだったのかな」と思っていた矢先に例の事件が発生したので、太郎は仰天したのであった。


 2019年7月。事件当日である。

 白洲太郎とかれの妻になる予定のちゃぎのは、お決まりのスーパーへと向かって歩いていた。2018年5月にオープンした、わが町が誇る大型スーパー『Casa Da Carne』にはほぼ毎日通いつめている。娯楽のない田舎町にとって、大型スーパーはアミューズメントパークのようなものである。太郎とちゃぎのは外出すれば、ほぼ必ず『Casa Da Carne』に顔を出していた。その日もいつもの道順をたどって目的地へと向かっていたが、道中で出会う人々の様子がどうもおかしいのである。悲痛な顔をしている者もいれば、興奮の面持ちでまくしたてている者もいる。ただならぬ雰囲気を感じとった太郎が、立ち話をしている連中の声に耳をすませていると、
「撃ったんだよ! で、顔と肩に弾が当たったんだ! 撃ちやがったんだよ、マジで!!」
というようなことを言っている。詳細はわからぬが、何か物騒な事件が起きたらしい。気になりつつも、腹が減っていたため、そのときはすぐに忘れてしまった。

 夕方、地元のニュースサイトを見て太郎は吃驚した。昼間の噂話の真相が綴られていたからである。

 被害者はルジアニという女性で、ヒチエリの実姉である。彼女は『Casa Da Carne』の近くにある小さなブティックで働いていたが、昼前にシンヨが現れ、「ヒチエリに会わせろ」と迫った。このときすでにシンヨとヒチエリの関係は終わっていたのである。あとで知ったことだが、2人はこの数年間、くっついたり離れたりを繰り返していたらしい。最終通告をつきつけたのはヒチエリだが、未練をもつのはいつだって男の方である。シンヨは元恋人を諦めきれず、ストーカーと化していたのだ。

 そこでどのような口論があったのかはわからない。しかし自分の要求を拒否され、激昂したシンヨは持参してきた拳銃をルジアニに向け、発砲した。合計4発。そのすべてがルジアニの身体をえぐり、あたりは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったのである。太郎とちゃぎのが『Casa Da Carne』で買い物をしたのは事件が起きてから2時間ほどあとのことだった。さすがに野次馬は解散していたが、事件の『余韻』のような雰囲気は漂っていて、その噂話が太郎の耳に入ったというわけである。

 それにしてもなんという事件が起きてしまったのだろうか。近しい人間というわけではないが、やはり知り人が起こした事件というのは一種、独特の感慨がある。シンヨが銃をもっていたことについては容易に理解できた。彼はcaminhoneiroである。旅の道中、様々な危険に見舞われるので、護身用に所持しているのだ。トラックの運ちゃんは大体もっていて、彼らに言わせれば、「強盗に襲われたとき、自分の身を守れるのは自分だけだ」ということになるらしい。まるでアメリカ市民のようなことを言っているが、それだけブラジルの犯罪率も高いということなのである。


 シンヨがいつ出所してくるのかはわからない。以前、エミソンなんちゃらという男が痴情のもつれにより、ピリゲッチのマリアを刺殺した事件のことを書いたが、エミソンなんちゃらなど一年も経たずに出所してきた。一体ブラジルの司法はどうなっているのか? やったもん勝ちの世の中じゃ、やられっぱなしの被害者は浮かばれない。理不尽な犯罪を心の底から憎む太郎は、ぶつけようのない怒りを感じていたが、出所してきたエミソンも、数か月後には何者かに殺されてしまったのである。因果は…応報したのであろうか?

 ルジアニは一命を取りとめたが、右目を失明し、さらに右腕の動きも制限される障害者となってしまった。妹の身代わりといえばドラマ仕立てになるが、遭わなくてもいい災害に巻き込まれてしまった感は否めない。今、どういう気持ちでいるのだろう。そして自分の代わりに障害者となってしまった姉に対して、ヒチエリはどんな心の傷を負ってしまったのだろう。
 さすがの太郎も胸が苦しくなった。自分もいつ理不尽な目に遭うかわからない。そういう意味では他人事ではなかったからである。


 2011年の年越しフェスタ。

 見せつけるようにディープキスをしていた2人の姿が太郎の瞼に浮かんでいた。

 それから8年の間に、何がどのようにしてこうなってしまったのか。

 あの頃、あのとき。

 2人はとてもお似合いのカップルだったのにーー。


月刊ピンドラーマ2021年1月号
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