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旅と思い出 第1回 郷に入っては…(上野目昌市)

#旅と思い出  第1回
#月刊ピンドラーマ  2006年6月号
#上野目昌市 (かみのめまさいち) 文

 所変われば品変わる、と言います。旅の目的の一つが感動を求めた「脱日常」であるとすれば、異郷で見慣れない事物に接して面喰ったり、変わった風俗習慣に驚くのは当然のことと言えます。しかし、日常の生活で当り前と思っている「常識」が当り前でなくなると、おいそれとは郷に従えないようです。

ある年の年末に…

 バリロチェはハネムーナーのメッカとも南米スキーのメッカとも言われる、アルゼンチンの代表的な観光地の一つです。首都のブエノスアイレスから比較的近く、交通の便も良いことから、アルゼンチン人だけでなく、ブラジル人やブラジルに住む日本人にも、かなり以前からその名を知られています。

冬のバリロチェ p&b

(冬のバリロチェ)

 ある年の年末に、風光明媚なバリロチェでクリスマスを優雅に過ごそう、という家族向けツアーの企画をしたことがありました。23日にブエノスアイレスに行き、タンゴショーを鑑賞して一泊した後、翌24日にバリロチェに飛んで、クリスマスイブと年末の休暇を「南米のスイス」で過ごそう、というものです。この時期のバリロチェは、家々の庭先きに咲く名もない花まで、色が非常に鮮やかに映え、瀟洒な町全体の雰囲気が、南米というよりヨーロッパの小さな町の感じです。

 プログラムは順調に進行します。ハイライトであった特別あつらえの夕食も済み、クリスマスイブの夜は更けていきます。翌日のプログラムのチェックを終え、そろそろ休もうかと思っていた時、添乗員である私の部屋に電話がありました。若い夫婦の参加者から、子供の具合が悪いので医者を呼んで欲しい、という依頼です。部屋を訪ねたところ、2才前後の幼児が、明らかに熱の影響と思われる赤い顔をしてむずがっていました。ホテルを通じて呼んだ女医の診断は、予想通り風邪でした。しかも、かなり熱があるから熱を下げないといけない、と言います。

女医がやってきたが…

 手慣れた女医の指示にしたがって、私は湯船に水を張る手伝いをしました。半分位水がたまった頃、女医は子供を裸にするようその母親に命じました。すると、それまで事のなりゆきを、他人事のように見ていた母親が、目を一杯に見開いたと思うや、幼児をヒシと抱きしめ手放そうとしません。何をしようとするんですか、水風呂になど入れたら肺炎になってしまう、と表情を強ばらせ頑として子供を手放しません。この意外な反応に、今度は女医が驚いてしまいました。しかし、指示に従わないと分かると、医者の言いつけに従わないならなぜ医者を呼んだのか、と怒り出します。

文化の違い

 通訳を兼ねて単に手伝いをしていたに過ぎなかった私でしたが、行きがかり上、東西文化の違い? を若い日本人とアルゼンチン人の医者に説明せざるを得ませんでした。熱が出た時、日本ではあつい風呂に入れて発汗を促し、ヨーロッパなどでは水に浸して熱を下げる、という全く反対の対処方法を。しかし、双方共半信半疑の体で、容易に正反対の「常識」を信じません。女医には誇りがあり、若い母親には恐れがあるからでしょう。暗礁に乗り上げた船に乗っているような気分に皆が陥っていた時、むずがっていた幼児が耐えられなくなったように大声で泣き出したのです。その瞬間、早く何とかしなければ、という焦りがその場にいた全員を支配したのを感じました。仲介の私は特に強くそれを感じ、思わず、ぬるま湯にしたら? という問いかけを双方に発していました。今思うと吹き出してしまうような折衷案ですが、他に方法もなかったからでしょう、案に相違してこの提案は双方に受け入れられました。そして私が加減するぬるま湯に、医者と若い母親が代わる代わる手を入れながら温度を計り、双方の用意した湯加減で幼児をお風呂に入れたのでした。

 その後、くだんの幼児は肺炎にもならず、バリロチェ滞在中にすっかり回復し元気になりました。新発明?のぬるま湯療法が効を奏したのか女医の処方した薬がきいたのか、確かめる術はありませんでしたが…

上野目昌市(かみのめ まさいち)
インヴェスツール代表取締役


月刊ピンドラーマ2006年6月号
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