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掌編:暗幕は一級遮光

「最近、飲む日焼け止めって名前をよく聞くようになったが、しかし紫外線のダメージを抑える明確な臨床的根拠は無いらしいね。日に焼けたくなければ、結局はマメにサンスクリーン剤を塗布するのに限るようだ」

 大きくて真っ黒い日傘の向こう側から謳うような調子で語りかけてくるのは先輩だ。どんなに甘やかに聞こえても、それはこちらをからかう時のお決まりの声音に過ぎないのを自分は知っている。

「その豆知識、先輩には関係ない奴ですよね。塗る方の最強レベルでも全っ然追いつかないじゃないですか」
「そうだね。だから今の発言は、君たちへの素朴な親切心の発露だよ」

 言い返すにしても辛辣に聞こえたかもしれない。しかし、こちらの立場からしたら憎まれ口くらい叩かせて欲しい気持ちでいっぱいなのだ。

 だって、先輩は酷い日光過敏症を患っている。その他にも消化器の機能異常であったり、貧血であったり、やたらと疲れやすかったり、めちゃくちゃ乱杭歯で犬歯が何本か余分に生えていたりと虚弱体質のバーゲンセールが制服着て歩き回ってるようなものだ。

 それでも全日制の普通高校に通っているのは、当人曰く「意地と、あとは根性だね」とのことだった。夜間コースでも昼と同様のカリキュラムを実施している学校がいくらでも有るというのに、意地を張り、根性を出す必要がどこにあるというのだろう。

 その理由の詳しくを問うた事は、まだ無い。今の自分に勇気が足りていないのは自覚している。

 そして、お互いの間に横たわるあらゆる事情と関係性を曖昧に暈しながら、先輩と自分とは連れ立って歩く。現在は夏期講習からの帰途につくところだ。

 8月も半ば近く、こんな炎天下に出歩くのは登校義務を負わされた哀れな学生くらいとあって、自分たちの他に人通りは無く、恐らくは車道を挟んで右手側の雑木林に潜んでいるのだろう蝉どもが姿も無いままうるさく鳴き交わしているばかりだ。
 歩道を舗装する白っぽけたタイルを踏みしめて歩けば、緩い登り坂に差し掛かった。
 自然、歩調もゆっくりしたものに変わる。

「これでもね、君のことを思いやって言ってるつもりなんだよ」
「それでどうしていきなり日焼け止めの話が始まるんすか」

「だって君、この炎天下に帽子も被らずほっつき歩いてるのに、日焼け止めの一つも塗ってないじゃないか。せっかく綺麗な肌をしているんだから、肌荒れしたら勿体ない」

 確かに、今年はいつになく激しく日に焼けている。代償に、身体のあちこちにそばかすが浮きつつあった。が、そんなことは自分にとって全くの些事だ。正直放っておいて欲しい。
 少なくとも先輩にだけはとやかく言われたくなくて、だから返答も自然とぶっきらぼうになる。

「余計な物を肌に乗せるのを、やめただけです」
「……へえ〜」

 ――なんなんですか、その妙な間は!

 二の腕を、首筋を、薄手の半袖シャツ越しに全身を、8月の午後の日差しがジリジリと灼いていく。
 一方で傍らを歩く先輩は冬用の制服を身に纏っていた。私服でも黒で統一した装いを通していて、それが一番日光を遮るのに効率が良いからなのだと、自分は知っている。

 先輩に病気のことを聞かされてから、自分なりにあれこれと調べ回ったからだ。

 遺伝性の疾患で、多くは幼少期に発症すること、病状が進むと消化器官が酷く退化してしまい、恒常的な鉄欠乏に陥る上に通常の食物は殆ど受け付けなくなってしまうこと。
 ……彼らの栄養補給には飲血が最も適していて、食餌療法の概念が発達するまでは重傷者にとってはほぼ唯一のカロリー源だったこと。

 けれど研究が進んだ現代では進行を遅らせる為の治療薬も存在していて、服薬を一生続ける以外の行動の制限はほぼ無い。

 かつて吸血鬼と呼ばれていた人々は、今では特殊な症候群の患者たちと見做されて人口の数パーセントを担っている。今や町内や学校に1人くらいは居る程度の、ちょっと珍しい病気の人、程度の存在だ。

 日光アレルギーは吸血鬼症候群の中でももっともありふれた、そして根治が難しい症状の一つだ。だからこそ、夜勤や夜間学校の選択肢がここ数十年で広まった……と、いうのは義務教育の保健体育や公民の授業で必ず取り上げられるエピソードだ。

 だからといって治療を受けても尚、常に厚手で長袖の服を纏い、完全遮光仕様の日傘を手放せないというのは、とりわけ重い症状を抱えたケースだ。
 どんな病であれ、標準治療が上手くハマらなかった人というのは出てしまう。先輩もまた、そうだった。

 そして、それ以上に厄介なのは。

 ──ぐぅ。と腹が鳴る音がした。
「やあ、失敬」

 先輩が片手を挙げて詫びる。そう、先輩は今、滅茶苦茶に腹ペコなのだ。

 先輩の胃腸は、食前食後の服薬を怠ると即座に本来の役割を忘れる。蠕動運動が極端に鈍り、固形物をまるきり受け付けなくなる。だから、昼用の薬を忘れて来たら昼食は抜かざるを得ない。無理に食べてもそのまま『出る』ならまだ良い方で、最悪腸閉塞を起こしかねない。

 そんな大事な大事な薬を、先輩は今日も「忘れた」という。
 ……もともと変な所が抜けている人では有ったが、それにしたって最近の物忘れの頻度は酷すぎやしないか?
 具体的には、学校の売店で山羊乳を取り扱わなくなってから。なんと先輩は乳糖不耐症でも有るので、牛乳が飲めない。

 そう、現代の吸血病患者の定番の緊急避難食である、牛乳をだ。

「済まない、やっぱり家まで保たなさそうだ」

 だからこれはあくまでも急場凌ぎかつ、致し方ない行いだ。

 カッターシャツのボタンを3つ目まで外す動作が合図だった。
 先輩が日傘をほんの少しだけ傾げてみせるので、身を屈めて、導かれるままに傘の下へ。

 遮光率が高くて、大ぶりで、釣り鐘型した先輩の日傘。形状も相まって持ち主の肩から上を常にすっぽり覆っているそれの下はいつでも薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。
 ――あるいは『傘の下』にいる時の自分が、服をはだけて首筋を露出させているのが肌寒さの理由かもしれないが。

 真夏の明け透けな太陽がそこら中を照らしていたって、ここにはいつでも先輩のための、夜が広がっている。

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1時間執筆企画の参加作品をリライトしたものです。
改稿前のものはこちら。

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