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生き直した街

noteを始めたのはいいけど、
なんだか忙しかったり、思うことは
あるのに上手く表現できない気持ち
だったり…迷ってばかりの日々。
「この街が好き」というテーマを
見つけて重い気持ちを上げた次第で。
私は右上腕骨に障害があり左手だけ
で文字を打つので少しだけ大変です。

私はある街への引っ越し当日に緊急
入院をした。今日は引っ越しなので
明日ではいけませんか?せめて入院
準備だけでも取りに行かせて欲しい。
1人暮らしなので私しか荷物を取り
に行けないんです…と訴えてもダメ。
「今帰ったら死ぬけどいい?」
と医師に言われ、ベッドに寝かされ
たまま、病室まで移動をした。
引っ越しは友人逹が行ってくれて、
入院準備を揃えてくれ助かった。
渡された書類には「うっ血性心不全」
と書かれてあり、私は心不全の意味
さえ、よく分からなかった。

それから4ヶ月入院生活を送る。
その間に両親が呼ばれて、当時は
まだ本人に告知をする時代ではなく、
両親が説明を受けた。後から聞いた
話しでは、「生きて退院は出来ない」
「長くて6ヶ月手術は心臓移植しか」
つまり余命6ヶ月を宣告されたらし
かった。母のなんだかおかしな様子
を見て、私はなんとなく悟っていた。
やはり死に直結する苦しさというの
は尋常ではなく、引っ越し後に病院
へ行こうと思ってたものの、これは
かなり悪い状態だと解ってたから…
でもいざこんな苦しさを味わうと逆
怖くて病院から遠のいたのも事実で。
引っ越しが完了するのを言い訳にし、
私は病院から逃げていたように思う。

私は自分に「引っ越し後」が無いと
知らず、あの息苦しさから解放され
どんな日々を送ろうかと、毎日思い
を馳せて楽しみにしていた。
まさかココから生きて出られないと
知りもせずに。ずいぶん体調も良く
なって、退院はまだかまだかと待ち
わびていた。母にそれを言うと何故
か悲しい顔をしたのを覚えてる。
認可の下りたばっかの新薬を試した。
必ず効果があるとは限らず、なんの
効果もでない人も居るとは聞いた。
私は病院の廊下を走れるほどになる。

そして、退院が決まった。
母にそれを伝えても信じてくれずに
何回も医師に聞きに行って確認した。
母親は何度言っても信じてくれずに
困ってしまったけど、無事退院した。
看護師さんには命拾いしたね…と。
担当医には、もう奇跡だよねと笑わ
れたりして、生きて病院を出る事に。
そこから実家にしばらく身を寄せて、
念願だった4ヶ月以上も荷物だけが
詰め込まれた新居に引っ越した。

ちまちまと片付けを終えて、その街
での新しい生活が始まって行った…
スーパーはどこにあるのか?図書館
はどこにあるのか?など、アチコチ
車を運転しつつ探し歩く新鮮な日々。
お洗濯をイッパイして、お掃除して
午後からまだ知らぬ街を冒険する。
入院前は掃除もお洗濯する事さえも
胸が苦しく、自分の部屋のお手洗い
に行くのさえ胸を押さえていた。
退院後、母から自分の当初の病状を
聞いた。それでも余命半年の宣告は
変わりない。新しい街は生きている
ことを実感させてくれた。
サルスベリ並木のカーブを抜ける時、
何故か、生きてるぞー!って思った。
ちゃんと私、生きてるぞー!って。

朝早く起きてパンを焼き牛乳を飲み、
お昼は麺類を軽く食べ、まるで入院
生活の延長のような暮らしをしてた。
それまでの私と言えば、破滅思考で
刹那的な…ハチャメチャな生き方を
していたのに、もう一回生き直して
丁寧に生きてみようと思った。
そう思わせてくれた街…
生きてる実感を強く感じた街…
そしてあれから数十年私は生きてる。
銀杏が綺麗に色づく街。
あの生きてる実感は忘れられない。
私はあの街が好きです。



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