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アメリカ生活が始まって2か月が経ちました

お久しぶりです。ピムタです。
あっという間に10月ですね。ハロウィンシーズンとなり、スーパーにカボチャがあふれています。

私が8月6日にアメリカはカリフォルニア州、シリコンバレーに来てから、そろそろ2ヶ月目です。そして、新婚生活も2ヶ月目となりました。

アメリカ生活と、新婚生活と、どっちが大変かといったら、両方大変で、夫婦と言っても所詮は価値観の違う人間同士、ということを実感するようなゾッとする喧嘩をして、自分のこと、これからの自分の人生、どうしていきたいのかを真剣に考える時期もありました。

今が一番、正念場な気がします。とはいっても、来て1ヶ月目よりは、暮らすことが少し楽になってきました。3日、3ヶ月、そして石の上にも三年って、昔の方はいいことをおっしゃってくださった、と思います。

アメリカ駐在妻歴、20年以上の大先輩とのお出かけ

主人の会社のアメリカ駐在者の中で、長らくアメリカ拠点の日本人責任者を務めている方で、アメリカ赴任歴はなんと20年を突破している方がいらっしゃいます。

私はあまり面識がなかったのですが、
海を5~6メートル素潜って、アワビをモリで取ったり、小型ボートで釣りに出たり、家の前でガレージセールをやってみたりと、
とてもアクティブで、気さくな一面があることがわかりました。
ホームパーティ中も、ワインのティスティングのお題を出していただいたり、バーベキューを担当していただいたりしました。

もはや、海外の方の感性をしっかりと身につけられているご様子でした。
誰もがそうなれるかと言ったら、そうではないので、長い駐在生活で少しづつ身に着けた、彼なりのサバイバルスキルなのかもしれないと思いました。

お子さんは3人で、奥さんが専業主婦で、余計なお世話かもしれませんが、金銭的にも大変だったのではと思ったのですが、夫婦ともに物欲がないようで、なんとかやってけている仲良しモデル家族像を拝見したのでした。

そして、そこで、素潜りでアワビをモリで取った旦那様の奥様、20年以上アメリカで駐在妻をしている方と出会いました。
第一印象は、おっとり、静かで、ちょっとボソボソお話してくださる奥様でした。

その時のホームパーティでは、ほどんどお話できなかったのですが、後日、主人を通して、連絡先をご連絡いただき、よかったら行きたいところに連れていきますよ、と声をかけてくれたのでした。

それから3週間後ぐらいのある日、「急ですが、お時間あれば本日の12時から一緒にスーパーなどにでかけますか?」とのお誘いをいただいたので、
即答で「YES!」と答えて、ご一緒することになりました。

アメリカに来てから、ほかの駐在妻の先輩とお買い物巡りなんて、初めてで、ドキドキしながらいろんな質問をさせていただいたのですが、

奥様は本当にいろいろなお店のこと、アメリカの文化のことをよくご存じで、おすすめの洗顔など、細かなことについても後で情報を送ってくださるなどして、とても素敵なホスピタリティで接してくださったのでした。

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    ↑奥様がわざわざ娘さんからおすすめの洗顔を聞いてくださった!

お買い物巡りの最後に、20数年前、初めてアメリカに来た時に、前任の駐在の方から、どんなお店がどこにあるかの「虎の巻」の資料をコピーしてもらって、それとにらめっこしながら店を回ったとおっしゃっていました。
また、日本の食料品店、レクリエーションセンターで日本人を見かけると、話しかけてコミュニティを広げていったお話もしてくださいました。

その時、「ああそうか。アメリカに来たばかりの私を気にかけてくださるのは、奥様も周りの日本人の方々に助けてもらったからこそ、恩返しの気持ちがあるのかもしれないし、もともと、世話焼きタイプなのかもしれないし、そうなんだぁ」と、突然の親切なお声がけに正直戸惑っていましたが、なんとなくそのやさしさの理由が納得できるようになりました。

その時、作家の本田健さんがおすすめしていたアメリカの映画「ペイフォワード」を思い出しました。

その後、なんと明日にまた奥様がお買い物巡りに誘ってくださったので、行くことになりました。またドキドキしていますが、今、この時期にお力をお借りできるのはとてもありがたいので、奮って甘えに行きたいと思います。いつかどこかでお礼ができる自分になっていますように。

子どもを産むのが怖い

比較的、センシティブな話ですが、この2ヶ月の中であった自分ごとの中で、かなり重要な出来事でしたので書いておこうと思います。

ある日、私は主人と喧嘩しました。
原因は、主人は子どもを望んでいるのに、私が子どもを持つことに対して恐れがあり、子作りに積極的でなくなっていたことでした。

もともと私は子どもが苦手でした。

いとこなど親戚一同は私より年上、3つ下の弟がいましたが、小さいこどもと接する機会がほとんどなく、よさも悪さも実体験としては知りませんが、お金も時間もかかる点で、あまりいい印象がありませんでした。

そして、他人の子がかわいいと感じたことが一度もなく、私は自分の感性がおかしいのではないかと思っていました。

また、両親の中が悪く、お金のことでもめ、母が、弟と私に向かって「お前らがいるからお金がかかる」と何度か言われたり、
母が、一生働きたくなかったから結婚して、専業主婦になって、仕方なく子どもを産んで生きてきた、という結婚の理由を聞いたりして、

ますます子どもを持つ意義が分からないまま生きてきました。

そして10年前、子どもが欲しいという主人と対立し、結婚を見送りました。

そして、10年後の今年、齢40歳となる年に、彼のアメリカ赴任をきっかけに、彼と結婚しました。
結婚には絶対条件がありました。
1つは、子どもをもつこと。お互い年なのではやめに作ること。
もう1つは、いつかは福岡に帰るので、ついてくること。でした。

福岡に帰ることは別にいいのですが、私は、またしても子どもを持つ決断を迫られました。そして、私は、妥協して、彼の条件を飲みました。

妥協した理由は、40歳という年齢を考えると、次の結婚の機会は厳しいからです。
そして、彼以上に経済的に好条件で、好きになれる人が出てくるかといったら難しいと踏んだからです。
そして、私は40歳のため、もしかしたら運よく子どもができないかもしれない。そんな打算的な考えが強く巡ったからです。

そしてそのツケがきました。

表面的には決意したものの。心の底から、子どもを産む決意ができてなかったため、アメリカ生活で参り、アメリカで子どもを産んで育てることの大変さを考えると、不安と恐怖が襲ってきて、子作りも苦しくなっていたのが最近でした。

そしてある日、明確な理由を言わないまま子づくりの行為を拒むと、今まで穏やかだった主人が猛烈に怒ったようで、2日間の無視が始まりました。

無視されている期間は恐ろしく怖かったです。日本ではこういう時、実家に逃げ込むことができましたが、アメリカでは、主人のいる家しか私の居場所がありません。そして私は仕事を辞めているので無職です。ここで追い出されたら、行くところも食い扶持もありません。
そして、好きな彼に徹底的に拒絶されている時間が悲しかったです。

そこで私は、覚悟を決めました。彼ときちんと話をしなければと思いました。
無視され続けた2日目の夕食前に、主人と話しました。

主人が怒っている内容の共有、ずばり、子どもをもつことについて。
彼は、私のことを嘘つきと言いました。
どういうことかというと、子どもを持つことを条件に、いろいろな女性がいる中で私を選んだのに、子どもを作る気がなくて、だまされたと思ったとのこと。

私は言いました。
結婚するときは、子どもを持つ覚悟を決めていたが、最近、アメリカで色々あって、心が不安定になり、アメリカで子どもを育てる大変さを知るにつれて、また怖くなって積極的になれなかったことを。
そのほかにも不安があることを。
そして、自分がもともと心配性がひどいことも伝えました。

それだけでは彼は納得してないようでした。

よって、自分が覚悟をしきれてない状態でも、「子どもを持つ」という覚悟をしていることがわかることを言わないといけないな、と思い、言いました。

そして、やっと主人の怒りを収めることができました。
また、元の通り、仲良く接することができました。

これでおしまい、ではありません。
私はまた、いい環境に持っていけるように、「とりあえずの決意」をしました。

よって、ここからが本当の闘いです。

私が、私の恐れの心と戦っていかなければならないな、と思いました。
でないと、生まれてくる子どもも、自分も、絶対苦しいと思ったからです。

私は、子どもを持つことで、経済的にも時間的にも自由がきかなくなり、自分のやりたいことがやりたいタイミングでできなくなることを恐れている。
私は、子どもを持つことで、主人の愛情が私に向かなくなることを恐れている。

そして、逆に、年齢的なことなどの理由で、私が子どもを持てなかったことで、主人に捨てられてしまうということを恐れている。

自分の恐れをみつめてみると、ポンポンでてきました。
私は、本当に、自分のことを守るために、自分のことしか考えてないな、と思い、がっくりしました。でも、そんな汚い防衛本能を持った自分も、自分の一部なのだと、受け止めていくしかない。

10年前の自分は、自分の恐れの感情を制御できなかったから結婚できなかったけど、今の自分は、とある瞑想という習慣で、うまく負の感情と折り合いをつけていく手段を手に入れている。

だから、今の自分は、子どもを持つ未来にも、子どもを持てない未来にも立ち向かっていける。そう思ったからこそ、自分は結婚した。今はちょっと自信ないけど。

少しでもより良い未来を信じられるように、主人や自分自身の信頼関係を築きながら、日々、過ごしていければと考えています。

と、きれいなまとめをしたかったのですが、日によっては不安が出てきたり、出てこなかったり、不安定です。もう人間だからしょうがない、と思うことにしました。ダメな40歳ですみません。

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↑ 猫ちゃんは猛烈に好きなので、突破口は必ずあるはず


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