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【世界史3】メソポタミア文明

現在ムンディ先生のYouTubeで世界史を勉強しており、筆者の汚いメモとAIを使って世界史をまとめていこうと思います。

Historia Mundi『メソポタミア文明』筆者メモ

※このページには、人間の執筆とAI生成の要素が含まれています


オリエント世界

オリエント世界とは、西アジアからエジプト、東地中海岸、インダス川流域に至る地域を指す。広義には西洋から見た東洋を意味し、狭義には古代ローマから見て東方にある世界を意味する。日本では特に中近東の「古代オリエント」を指すことが多い。

オリエント世界は現在のイラン、イラク、シリア、トルコ、レバノン、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビア、エジプトなどの国々にまたがり、人類最古の文明の発祥地である。紀元前3200年頃から紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王による統一まで、およそ3000年間、西アジア、エジプトに栄えた。

オリエント世界はナイル川流域のエジプト、ティグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア、西南アジアに連なるイラン高原の3つに大別できる。この地域は砂漠・ステップ気候にあたり、人々は水を求めて大河に集まり、灌漑農業が行われた。集団管理として神権政治が取り入れられ、神の権力を示すための宗教的な文化が生まれ、レンガで作った聖塔であるジッグラトが代表的なものとして知られている。

オリエント世界では、メソポタミア文明とエジプト文明がほぼ同じ時期に文字を発明した。またユダヤ教、キリスト教、イスラム教という世界の四大宗教のうち3つがオリエント世界で生まれた。

メソポタミア文明

メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川の流域に栄えた古代の文明である。紀元前4000年頃から始まり、紀元前6世紀まで続いた。この地域は現代のイラクやシリア、トルコ南部、イラン西部に相当する。

メソポタミア文明は、多くの都市国家や都市国家群から成り立っていた。有名な都市にはウル、ウルク、エリドゥ、ラガシュ、ウルク、バビロンなどがある。これらの都市は灌漑農業によって肥沃な土地を開発し、穀物や作物を生産した。また貿易も盛んであり、地中海沿岸やインドなどとの交流も行われた。

メソポタミア文明は最初の文字を発明したことでも知られている。最初は楔形文字として知られる形式だったが、後に発展して音節文字や表意文字となった。これにより、文学作品や法律、経済文書などを記録することが可能になった。

またメソポタミア文明は数多くの技術的進歩をもたらした。それには建築、陶器製作、金属加工、航海術などが含まれる。彼らはまた、天文学や数学の発展にも貢献した。この地域の人々は、星々の動きや季節の変化を観察し、暦や農業のスケジュールを作成した。

メソポタミア文明は紀元前6世紀にペルシア帝国によって征服されるまで続いたが、その影響はその後も長く残った。

ティグリス川とユーフラテス川

ティグリス川とユーフラテス川は、両方とも中東地域を流れる重要な河川である。ティグリス川はトルコを起源とし、シリアを通過してイラクに流れ込み、ペルシャ湾に注ぐ。

一方ユーフラテス川もトルコを起源とし、シリアとイラクを通過してペルシャ湾に注ぐ。これらの川は古代メソポタミア文明の発展に不可欠な役割を果たし、肥沃な流域で農業や都市文明を支えた。

シュメール人

シュメール人は紀元前4000年頃からティグリス川とユーフラテス川の間にあるメソポタミア(現在のイラク南部)に居住し、世界最古の文明を築いた民族である。治水や灌漑技術を発達させ、前3000年頃にウルやラガシュなど多くの都市国家を建設した。また絵文字から楔形文字を発明し、神殿を建てた。

シュメール人の都市国家は円形の城壁で囲まれ、周辺に農村、中心に神殿を配した特徴がある。各都市にはジッグラト(聖塔)があり、都市ごとに異なる神が祀られていた。各都市は独立した政治権力を形成し、互いに覇権を争っていたようである。旧約聖書の「バベルの塔」はジッグラトを指すともいわれている。

シュメール人はメソポタミアの原住民ではなく、おそらく前3500年頃に来住したと考えられている。原住地、来住経路、来住時期、言語系統などは不明で、一般に〈シュメール問題〉と呼ばれている。

前2500年頃にアッカド人に征服されたが、その後復興した。しかし前2000年頃に滅亡した。

楔形文字

楔形文字は古代メソポタミア地域で使用された文字の一種である。主に楔形の形状を持つ文字で、最も有名なのはシュメール語やアッカド語での使用である。粘土板に楔形のくぼみを刻んで文字を表現した。

楔形文字は最初に記録可能な文字体系の一つであり、紀元前4千年紀に遡る。その後、古代ペルシア語やエラム語など他の言語でも使われた。楔形文字は古代文明の重要な遺産であり、その解読は古代世界の歴史や文化を理解する上で不可欠である。

ウル

ウルは古代メソポタミアの都市で、現在のイラクの南部に位置している。この都市は紀元前4千年紀から存在し、古代文明の中心的な役割を果たした。ウルは多くの点で重要だった。

ウルは古代メソポタミア文明の中心地の一つであり、宗教、政治、経済、文化の中心として栄えた。またウルは独特の都市計画を持ち、中心に神殿や宮殿が建ち並び、周囲には住居や商業地区が配置されていた。

ウルは多神教の信仰の中心地だった。その中でもムーン神ナンナの神殿が特に重要だった。ウルで最も有名な遺物の一つは、エンメテナ王の墓である。この墓は多くの貴重な遺物や芸術品で満たされていた。

ウルはエジプトとインダス文明との交易ルートの交差点に位置し、交易の中心地として栄えた。ウルは古代メソポタミア文明の隆盛と衰退を経験し、その遺跡は考古学的に重要な発見を提供している。

ウルク

ウルクもウル同様、文化的、宗教的、政治的な中心地であり、多くの芸術、建築、宗教儀式が行われた。ウルクにはエンメルカル神殿があり、古代メソポタミアの最も重要な神殿の一つだった。この神殿は女神イシュタルへの崇拝の中心地だった。

ウルクは堅固な城壁で守られており、外部からの攻撃に備えていた。これは古代都市として一般的な特徴だった。またウルクの王として知られるリュディンギナは、都市の拡張や建設プロジェクトを推進し、ウルクの栄華を高めた。

ラグシュ

メソポタミアの都市ラグシュ(またはラグシュ城塞)は紀元前3千年紀から存在した古代の都市で、現在のイラクのトゥッカリム地方に位置していた。ラグシュはシュメール文明の一部であり、ウル第三王朝やイシン第三王朝の時代に重要な役割を果たした。

この都市はシュメールの神話や史書にも頻繁に登場し、ウルクやウル、キシュといった他の重要なシュメール都市と同様に、古代メソポタミアの政治、経済、宗教の中心地の一つだった。

神権政治

神権政治(しんけんせいじ)とは国家の政体の一種で、特定の宗教を統括する組織と国家を統治する機構が実質的に同等な場合を指す。神政政治、神聖政治(しんせいせいじ)とも呼ばれ、ギリシャ語では「θεοκρατια」、英語では「theocracy」である。対比概念は世俗主義である。

神権政治は神々が政治や社会の中心に位置し、王や指導者は神々の代理人として権威を持っていた。神々への崇拝や神殿の運営は社会全体に影響を与え、王や指導者は神殿と密接な関係を持ち、神の意志を伝える役割を果たした。この体制は権威の正当性を神聖化し、社会秩序を維持する一方で、神々への崇拝や祭祀は社会統合の一環として機能した。

ジッグラト

ジッグラトとは、古代メソポタミアの都市に建設された、階段状の塔の形をした建築物である。山をかたどって3〜7層の方形の壇を積み重ね、最上部に神殿を祭っている。アッカド語で「神殿塔」を意味し、ジクラットとも呼ばれる。

メソポタミア文明の都市国家の形成期に、都市神を祭る神殿とともに造営されるようになった。シュメール人の時代から各地に建設されていたことから、シュメール人の多神教信仰の特徴がわかる。

バビロニアにあったジッグラトは聖書におけるバベルの塔として伝えられており、旧約聖書の『創世記』にも記されている。バビロンのジッグラトは底辺62メートルx43メートル、高さ17メートルという巨大なものだった。

現在でもよく使用される日乾煉瓦や焼成煉瓦が用いられ、躯体主要部は日乾煉瓦によって構成され、表面は焼成煉瓦で仕上げられている。壁はバットレス(控え壁)と呼ばれる突出部がついており、規則的に凹凸ができていることによって単調ではなくなり、陰影のある外観となっている。

いくつかのジッグラトが発掘されており、最大規模の遺跡としては、エラム(現イラン)のチョガ・ザンビール、比較的保存状態が良いものとしてはウル(現イラク)のものが挙げられる。

アッカド人

アッカド人はセム語系に属する民族で、前2300年頃にメソポタミア全域の都市国家を初めて統一し、領域国家を建設した。アッカドはメソポタミア南部のユーフラテス下流でバビロニアと呼ばれた地方の北よりの地域名で、現在のイラクの中部に当たる。

アッカド人は、セム系民族のサルゴン1世が前2350年頃にシュメール人を征服して建てたメソポタミア最初の統一王朝を築いた。アッカド帝国は紀元前2400-2200年頃に最盛期を迎えるが、前2150年頃にグチ族によって滅ぼされた。

アッカド人が使用したアッカド語は古代オリエント世界の共通語となり、アッカド帝国の滅亡後、メソポタミア人は最終的に北のアッシリア、そしてその成立の数世紀後の、南のバビロニアという主に2つのアッカド語を話す国となっていった。

おわりに

メソポタミア〜第三ウル王朝については次の記事で詳しく書く予定。サルゴン1世の話もそちらにまとめます。世界史まとめだとメソポタミアからバビロニアは一瞬だけど、その間にも様々な歴史があるので戦史や人物史みたいな感じでまとめようと思います。

−おわり−

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