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札幌滞在記2-3 〜読書は面倒なんだけど〜

2日目。
住み込みの部屋は一人部屋だった。
窓がなく、朝でも真っ暗。
それでもしっかり7時半に起きれたのだから体内時計というのは大したものだと思った。

札幌滞在の実質的な初日なので、手始めに街に何があるか探索に出ることにした。
といっても、ノープランすぎるとあまりにも漠然としているので行くところの目星はある程度付けている。

近くの地下鉄駅へ潜り込み、1日乗車券を購入。やる気は十分だ。
札幌の地下鉄は、東京とは違いゴムタイヤで動いているため心なしか加速が早い気がした。

札幌の地下鉄はレールがない

最初に向かったのは、札幌駅より北にあるSeesaw Booksという書店。
この書店はセレクトショップのような感じで、様々なジャンルの文庫本から雑誌まで幅広く陳列してある。自分は、近日中に簡単な写真集をフリマで売る予定なので、その参考になればと期待していた。
また、このような本屋には決まって、地元での何かしらの展示会やイベントのフライヤーが置いてある。情報収集も兼ねて、この書店にまずは行ってみようという目論見だ。
というのも、札幌での目新しいイベントや展覧会がネットを検索だと中々見つけられない。探し方が悪いの分わからないが、こうなったら足で稼ぐしかない。

自分は、書店に行く理由は必ずしも本を買うだけではないと思っている。
陳列している本を見て、気になった本をパラパラとめくるめくる。
試し読みの時点で大半の本は何が伝えたいのかというところまで理解ができる。その時に、自分の中でものすごい勢いでアイデアが湧き出てくる。
それらを逐一メモに書き留めて、ある程度満足したところでチップ代わりに軽めの本を買って店を後にする(時もある)。
自分は、このようにしてアウトプットの場として書店によく訪れる。

思いついてことは、タイムラインに埋もれるツイートのようなものがほとんどだ。

自分は、元々面倒くさがりな性分だ。
ゲームをするにもチュートリアルが面倒でリタイアするレベルで劣悪だ。

そんな自分が本を読む時は決まって、ビジネス本やデザイン関係の本。自分の実務に少しでも直結しないと本は読まない。
だから、雑誌にあるような文字だけの個人が書いたコラムのようなものは滅多に読まない。

(こんな事を書くと、このようなコラムに該当しそうな記事を執筆している自分自身のパラドックスに直面してしまう。読むのは嫌でも書くのは好きみたいで、人がいかに不条理なのか体現しているようだ。)

これについて、店で出会ったあるzineが言及していた。本を読むという事は手に取ってページをめくるといった能動的な動作が多くあり、これに取り掛かるにはかなりのカロリーがいる。それに対して、Youtubeはただ見るだけの受動的な行為だ。この感覚は読書家の人からしても同じく持っているらしい。

これにはひどく納得させられた。

簡潔明瞭でキャッチーな本が大衆に迎合した本とするならば、著者が自由に表現した冗長な本は相当なアングラなものになる。
それを手に取る人は、自分が思った以上に厳選された人たちなのかもしれない。


3日目。
今日は、江別にある蔦屋書店に行ってみようと思う。
2日連続で本屋巡りだ。

バスに乗り、最寄りのバス停から住宅地を抜けて向かう。
さすがは北海道、ありとあらゆる道の幅が広い。


しばしの散歩を楽しんだ後、突然蔦屋書店が現れた。

大きな倉庫型の建物3つから成り立っており、それぞれコンセプトが違っている。構造が代官山の蔦屋書店と似ている。

建物に入ると、天井まで伸びる本棚に圧倒される。ビジュアル面で言ったらこの蔦屋書店がダントツだ。

書店の建物を中央にし、両脇に雑貨やフードコートのゾーンが配置された。
フードコートがここまでしっかり設置されている蔦屋書店は初めてだった。

行った日が平日だったせいか、江別の蔦屋書店は心なしか混雑している様子ではなかった。代官山では常に席の取り合いのような感じだが、どのエリアでもしっかりと空席が目立っていた。
普段使いする本屋として、常に着席できる所があることは何よりもありがたい。
商売をする側としては、この状況は面白くないだろう。
かなり広大な広さの店舗だったが、肝心の書店のレジではスタッフが暇そうに待機している。
そもそも本が売れない時代だから仕方ないのかもしれないが、美術館のように読んで帰るだけの人がかなりいるのだろうと思った。
開店当時はかなりの人だった様だが、ブームもひと段落したのかな?

蔦屋書店HPより拝借

書店は行く側としては、とても自由な場所だと思っている。
アナログの情報媒体に囲まれることは、自分がアイデアを生み出す手助けになる。
自分にとって本屋は「訪れること」が目的だ。

(続く)

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