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映画「かそけきサンカヨウ」と、暗くもないけど明るくもないあの日々

 「かそけきサンカヨウ」を観てきた。素晴らしかった。
今、直後。いてもたってもいられなくてPCを開いた。

 ちょっとネタバレみたいなこともあるかもしれません。以下。


 冒頭のシーンが、静かに、でもきっと後に利いてくるのだろうと思った。「一方は恋愛のよう、もう一方は友情」。
物語後半で、まっすぐにそれが思い起こされる出来事が起こる。
高校生の、幼馴染からの、やがて芽生える恋愛感情。
今の自分は、相手に不釣り合いなのではないか。相手のことは好きだけど、足りていない自分がとにかく嫌で、それが邪魔して上手く振る舞えない。

 たぶん、描かれる日々や感情たちに、目新しいものはない。ベタ、と言えるものかもしれない。
その前に断っておきたいことに、「ベタ」とは時々「『悪い』の一歩手前、悪くないけど」くらいのニュアンスで使われるが、決してそうではない。分かりやすいゆえに、誰もが味わうことができる良さがある。

 その脚本で勝負に出ている。そこで、素晴らしかったのだ。
「ベタな設定で挑戦する。その上で圧倒的な結果を出す」
そんな仕事を見た気がした。こういうときに、心底震える。うおー、すげー! と。

 何にここまで心揺さぶられたのか。
人物の撮り方だろうか。
ちょっと一撃でぴったりの言葉が見つからないので以下、いろいろ出してみる。
せりふや仕草の間。機微。光。何かつっかえているかのようなしゃべり方。笑いきらない笑顔。見せない部分の感情の振れ幅。

 全編通して、明るい光が差したり、それに照らされたりする場面はほとんどなかったように思う。室内も、「そんなに?」と思うくらいに間接照明が多用されている。
明るさに満ちた話ではないわけで、暗くはないけれど明るくもない、静かにいさせてほしい、みたいな複雑な感情を演出しているように思えた。

 登場人物たちについて。
フィクションだからもちろん良いわけだが、人として、優れた人にあふれているような気がしたのも印象的だ。
途中、どうしても斜めに解釈してしまう友人が出てくるわけだが、その子が意地悪な人間でないことはもうすでに分かっている。
同居の姑であるおばあさんの言動は確かに意地悪だったが、終盤でそれをかき消す逸話も語られて、ネガティブなイメージを持ったまま終わることもなかった。
きっと、細かくツッコもうとすれば、「〇〇のあれは人としてちょっとな~」みたいなことはあるかもしれないが、優れた人ばかり。静かさを、大切にできる人ばかりとも思った。
むろん、これは「善人ばかり」と言っているのとは違う。

 中心となる、高校生の陽。
この人の、終始たたえる静かさに尽きる映画かもしれない。
持つ表情や声、身体性と、そこにつける演出。
ずっと見ていたくなるような役者さんというか、「陽」だった。
それに比べて自分は何だ、馬鹿野郎! となるくらいに。

 以上、まとまっていないことからも、心揺さぶられた映画について書こうとしても、全然できない。書けば書くほど遠ざかっている気がするし。
ただ、正月気分の終わりに、こんな満たされた気持ちをいただけてとても幸せだ。

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