身延山で「音の巡礼」
はじめまして。僕はこの「音の巡礼」noteの管理人、遠藤卓也と申します。
2020年9月某日。身延山へお参りする機会がありました。身延山といえば、日蓮聖人が晩年を過ごされて、日蓮宗総本山である久遠寺のある「聖地」。
「音の巡礼」というプロジェクトを始めたからには、自分なりの「音の巡礼」をやってみよう!という思いで、山梨県南巨摩郡身延町を目指しました。
▼ 目的地となる身延山
温泉の音
身延山には菩提梯(ぼだいてい)という、心臓破りの階段があります。その段数を数えるのも今回のミッションのひとつ。体力もつかいそうなお参りなので、お蕎麦で腹ごしらえして、温泉で体をあたためておこう!
身延の近くにある下部(しもべ)温泉郷の日帰り入浴でひとっ風呂。ぬるめでいつまでも入っていられそうなお湯でした。リバービューの浴槽の窓からは、川の流れる音とセミの大音響が聴こえてきます。お湯に浸かりながら、音にも浸かっているような感覚がなんとも気持ちいい。
音の巡礼はすでに始まっている!
山門の音
どーん
という効果音が聞こえてきそうなほどに堂々と聳える身延山の山門。実際に聴こえていなくても感じた音があれば、それも「音の巡礼」の一部となりそう。ここではもう、
どーん
しかない(笑)
菩提梯の音
一礼して山門をくぐれば、いよいよ菩提梯が見えてきます。
階段ていうか壁か!?くらいの傾斜のすごい石段。ははーん、修行僧の足腰を鍛えるためのカリン塔的な試練かな?と思いきや、そうではなくこれは先人の「やさしさ」。あまりにも急な斜面を登っての参拝はしのびない、という理由から石段を積み上げた結果の慈悲の遺跡です。感謝をしながら登ろう。
全部で287段。「ニルバーナ(涅槃)」の287らしいよ。
去年お参りした友人がそう言ってたのを聞いて「またぁ〜。そんな語呂合わせみたいなことある?」なんて笑って話していたけど、数えました。ほんとにぴったり287段でした。
あとから教えていただいたことによると、お題目(南無妙法蓮華経)の7文字ごとに段が積み上げられていて、7の倍数ごとに踊り場が用意されているとのこと。お題目をあげながら登れば、41回となえたところで頂上に着くわけですね。
そんなことはつゆ知らず、石段を数えることに精一杯。菩提梯の音は数字をつぶやく自分の声と、脳内ではもちろんNirvanaがリピート再生されていましたとさ。
久遠寺の音
息を切らして287段を登りきると、いよいよ涅槃へ、、、じゃなかった久遠寺のご本堂と対面です。
どどーん
ようやくご本堂に参拝。青空と山の深い緑を背負ってきりっと美しい。ここではしっかり、深呼吸。
日蓮聖人御墓・御草庵跡の音
ご本堂で参拝したあとは、横のエレベーターを使って一度下へ降りて、日蓮聖人の御墓へと向かいます。
歩いていくと段々と周囲の緑が深まり、心なしか空気もひんやりするように感じられます。何やら象徴的な石の橋を渡って、日蓮聖人のお墓へと進んでいきます。苔が美しく、桃源郷があるとしたこんな場所かもしれない。
たまたま他の参拝者がいなかったため、静かな景色がよりいっそう静かに厳かに感じられます。お香の良い香りも一人占め。
いよいよ日蓮聖人の墓前に手をあわせると、とても落ち着いた気持ちになり、静寂が訪れました。実際は様々な自然の音が鳴っていますが、静かな心になれる場所だと感じました。
And no alarms and no surprises
No alarms and no surprises
No alarms and no surprises
Silent, silent
そして、またも90年代の名曲が脳内で再生(笑)
鐘の音
久遠寺の境内に戻る頃には夕闇がせまっていました。
ちょうど夕方の鐘が鳴るタイミングだとわかり、足をとめます。若いお坊さんが鐘を突く準備をしていたので、すかさずiPhoneのボイスメモを構えて打鐘の瞬間を待ちます。
鐘を打つ方法にも作法があるようです。自分の体も撞木の一部かのように後方へ大きく反ってから一気に突きます。まるでコンテンポラリーダンスのような美しさに少し見とれてしまいました。
ここで録音した鐘の音を聴いてみてください。鐘を打つお坊さんの動きを想像しながら。
鐘に耳を澄ましていると、向こうから数名の青年僧がお題目を唱えながら一列になって歩いてきます。
夕暮れ時の境内。そこはかとない郷愁にしばし浸ります。
夕勤の時刻が迫ってきました。いざ宿坊へ。
宿坊での夕勤の音
宿泊したのは、宿坊「端場坊(はばのぼう)」さん。お洒落な看板が目を引きますが、ホテルでも旅館でもありません。お寺です。身延山への参拝者はお寺に泊まるのです。
ご住職にお出迎えいただき、部屋に荷物を置いて一休み。用意していただいた冷茶がやけに美味しい。
そして、ご本堂での夕勤に参加させていただきました。
※ ご住職の許可を得て、夕勤の一部を録音させていただきましたので、読者の皆さんも一緒にご参拝ください。
徐々に本堂が陰り、夕方から夜に移り変わる気配を背中に感じながらお勤めに参加しました。
「お経」と「言葉」、つまりご住職の「音」が、静かな本堂に染み渡っていきます。
この辺りはこの時間になると車の通りも少ないですから、風の音、山の音、虫の音、そして朝になれば鳥のさえずりもよく聴こえてきます。
静かな環境に身をおいていただきまして、都会で疲れている心をクリーニングして、また明日からの糧にしていただければと思います。
ここでも良き「音」を聴かせていただきました。
宿坊のご住職の音
お風呂で汗を流したあとは、精進料理をいただきました。精進といっても素朴すぎず、かといって豪奢過ぎずお寺らしい絶妙な料理。一品一品すべてに工夫がなされている心のこもった美味しさでした。
夕食を終えて、ご住職の林是乾上人に少しお話しのお時間をいただきました。
宿坊を預かるご住職がどのような思いで日々ご活動なさっているのか?お聞きしてみました。
宿坊のご住職 林是乾上人へのインタビュー
ー 今日一日、身延を参拝させていただいて、ここでの体験全てが他にはない価値だと感じます。まさに毛穴から宗教性・聖性が入ってくるようです。そういう場所にいらっしゃる立場で、今まで的な言葉でいうところの「布教」についてはどのように考えていらっしゃいますか?
林さん 宿坊の規模として、うちに泊まるのは団体さんではなく少人数のグループが多いので対話ができるんですね。1〜2時間ほど話すこともあります。どんどん話が盛り上がって、私の妻が心配するほど長時間に渡ることもあります。お坊さんと話をしていただく機会って少ないですよね。一般的なお寺では日中にお参りをするだけですが、宿坊は一晩をともにするという特徴があります。ですから、私も求めに応じてなるべく話をさせていただきたいと思っています。
ー 確かに。今もこうしてお話しをさせていただくことで、楽しい時間を過ごすとともに、身延山のことなど詳しくお聞きできることが貴重だと感じます。宿坊で一泊しての身延体験をしていただいた方に、行きの道と帰りの道でどのように変わってほしいか、どんな変化が生まれたら嬉しいですか?
林さん お寺には「参道」ってありますよね。参道とは産道、つまり"産まれる道"なんです。神仏の胎内に還って、生まれ変わった気持ちで現実の世界に下山していただくと。ここで新たな息吹をいただいて、神仏のお守りもいただいて、また新しくはじめていただく機会にしていただきたいですね。
ー それはいいことを聞かせていただきました。気持ちを新たにして明日からの日常を始めたいと思います。
林さん この宿坊の名前である「端場坊 (はばのぼう)」って "はじまりの場所のお寺" という意味なんです。端(はし)の場所の坊と書き、文字通り身延山の東の端に位置しています。「端」は「初め」であり「始まり」の場所でもあります。新たな始まりの場所、という気持ちでおまいりしていただきたいですね。
だからうちは設備もどんどんシンプルにしていってるんです。ここに必要ではないものはどんどん撤去していて、あえて不便さを感じていただければと。
ー でも確かにここに来てみて「他に何が必要だっけ?」と思います。これで十分だと感じます。
林さん 昔はここにもテレビがあったんですね。お参りして、お風呂入って、ご飯食べたら「さて、何しよう」ってテレビを見たくなっちゃうんですね。野球中継、大相撲、ドラマ、、、そのまま見るつもりのなかったバラエティまで見て、挙句の果てには酔ってテレビつけたまま寝てしまったり。これでは日常と変わりません。せっかくお寺にきているのに勿体ない感じがします。私が「宿泊ではなく参籠です」と言っているのは、修行のひとつとして貴重な時間を過ごしていただきたいという思いからなんです。
ー 「生まれ変わって帰ってください」ということですよね。
林さん 今は部屋にはお茶と浴衣とタオルセットしかご用意していません。鍵もないし、金庫もない。
ー そういえばそうですね。
林さん 便利なものをどんどん置いていくと、今度は苦しみになっていくんですね。あれもない、これもない、って。
ただWi-fiだけは構築してもらいました。今の時代にスマホは必需品なので、身延山のことを調べていただくためにもね(笑)
それ以外はどんどん削ぎ落としていく方向にして、あえて不自由さの中に身をおいていただくと「これもあればいいな」「昨日の今の時間はこれしてたのにな」とか、そういう思いが巡ってくるのですが「それは欲です」とお伝えしているんですね。
ー でも、ここに着いて「冷たいお茶がある」という素朴な喜びに気付きました。
林さん あえて不自由な中に身をおくことで、自分自身の欲を知ってもらう時間につかっていただければと思います。そして日々の生活がどれだけ恵まれているかということを知っていただきたいですね。
お寺にきて不便で大変だったけど、自宅に戻ってそこでふと「ああ、ありがたいな」と思ってもらえたらそれがいいな、と思っています。
ー この部屋も、窓を開ければ外の自然の音が色々と聞こえてきていて、豊かな時間を過ごさせて頂いているなと実感しています。
林さん みなさん音に敏感になるみたいですね。「無音過ぎて不安になりました」とか「雨の音をすごく意識した」とか。普段はあまり意識することがない音がよく聴こえるようですね。五感が研ぎ澄まされるというか。
ー 宿坊をなさっている林さんならではの実感のこもったお話し、ありがとうございました!
宿坊の夜の音
翌朝は身延山の朝勤があるので日付が変わる前に就寝しました。
電気を消して布団に入ると、窓のむこうからあまり聞いたことのないような動物の鳴き声。暗闇に目を凝らしてみても何も見えない。狸かな?リスかな?妖怪かもしれないな、、、確かに林ご住職のおっしゃるように、五感が研ぎ澄まされるような感じがあるなあ等と思いを巡らせていたら、あっという間に気持ちよく寝入ってしまいました。安眠、、、。
▼ 端場坊の情報は公式ホームページをご確認ください
身延山の朝の音
5時になる前に起床して、久遠寺へ向かいました。9月初旬、涼しく爽やかな空気を感じながら、裏道を抜けると久遠寺はすぐそこです。
ご本堂のほうへお経をとなえながら移動していくお坊さんたちの姿が見えます。荘厳な雰囲気。
ご本堂に入ると
ドドン!!!
と大きな太鼓の音。胸に響くほどに大きな音は久しぶり。ねむたい頭をいっきに起こされるようです。
そして30名近いお坊さんがどんどんと入堂されて整列。一斉に鳴り響くお経はさすがの迫力です。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経...
参拝者も一体になってお題目の渦が巻き起こります。早朝からこれほど多くの「声」を同時に聴くことはめったに無いでしょう。
荘厳な雰囲気の中法要が勤まり、続いて導師となるお坊さんによるお話し。お話しの中から、毎日お参りに来られている方もいらっしゃるのだということに気付きます。
お話しの後はお堂を移動して法要は続きますが、僕は外に出て、外から法要の音を聴いてみました。
お経を聴きながら、境内から周囲をながめてみると真っ青な空に山々の緑が美しい。蝉や鳥の声が様々に聴こえてきます。お経と混じり合うカラフルなサウンド。
「なんて平和な光景なんだろう」
平和としか言いようのない空気感に浸りながら、毎日お参りに来られている方を羨ましく思います。数百年も前からここでは毎日毎朝お経があがり、自然の音が鳴り響き、人々の営みが続いてきたんだ。という当たり前のことに思いっきり感動します。
僕が日常を過ごす間、いつでも身延山は身延山の音を発し続けて、この平和な空気を保ち続けているのだと思うと、とても安心した気持ちになりました。
昨晩、端場坊の林上人がおっしゃっていた「生まれ変わったような気持ち」ということがわかったような気がしました。
以上で、はじめての「音の巡礼」記は終わりとなりますが、最後に僕が平和を感じた時の身延山境内の音をフィールド録音したものをお裾分けします。身延山に思いをむけながら、ぜひ聴いてみてください。
【2/17〜】オンライン連続講座「音の巡礼 山の巡礼 〜身延山編〜」開催のおしらせ
本記事での経験をもとに、オンラインで「音の巡礼」を体験できる連続講座を企画しました。詳細は下記の記事にてご覧ください。