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前澤さんのお金配りとギフトエコノミー

前澤友作さんのnoteを読んで、こういう実業家の方が日本にいるのは希望だなぁと感じた。

そして、前澤さんが書いている「■寄付文化の醸成」と「■最後に」を読んで真っ先に思い浮かんだのは以下の2つ。
「ギフトエコノミー(贈与経済)」、それから、スペインの巡礼路での体験

ギフトエコノミーというのは、私の理解だと以下のような感じ。

・交換ではなく、一方的なギフト。
・見返りを求めない。
・無理せず与えられるものがあったら、それを必要としている人にギフトする。

私もまだ勉強中なのだけれど、ギフトエコノミーというのは、「本来の自然の仕組み」に近いのかな?と感じていて、自然を考えると私は分かりやすい。

例えば・・・
・太陽は、暖かさや生命に必要な光エネルギーなどを与えてくれている。でも、太陽はGiveするために無理していないし、見返りも求めていない。それは、太陽からの一方的なギフト。

・雨も同じことが言える。雨は地球上に住む生命にとって、「水」というライフラインを与えてくれる。でも「雨」も太陽と同じく、水をGiveするにあたり無理していないし、見返りも求めていない。

・人間の例で考えると、「母乳」もギフト経済に当てはまると思う。お母さんは赤ちゃんに「母乳」をあげるけれど、無理していない(基本的には)し、「母乳1回300円(税込)ね」などと、見返りを求めていない。

ギフト経済に詳しいソーヤー海さんは、これに加えて「必要としている人のところに、必要なものがめぐる経済」ともおっしゃっていた。

※ギフト経済について、Stand fmでもお話しています。

話を戻すと、前澤さんがnoteに書かれていた「■寄付文化の醸成」と「■最後に」の内容は、ギフト経済っぽいな、と思ったのです。
そもそも、前澤さんが昨年からされている「お金配り」自体が、ギフト経済と言える気がします。何かしらの見返りを求める「投資」ではないから(たぶん)。

では、どうしたら「■寄付文化の醸成」がされたり、ギフトエコノミーがもっと浸透する社会になるのだろう?

それを考えるときに思い出すのは、スペインの巡礼路での体験。

私はスペインの巡礼路をフランス国内から数ヶ月かけて歩いたことがあるのだけど、そこで体験したのは、「分かち合い」「助け合い」が当たり前の世界だった。

興味深いのは、巡礼者は基本的に50リットル前後のバックパック1つに入る荷物しか持っていない。つまり、非常に限られた荷物しか持っていない
それなのに、「分かち合い」「助け合い」が当たり前に行われるのだ。
例えば、誰かが足を怪我したら、「私、絆創膏持っているよ」とギフトする。
誰かの水がなくなれば「僕の水筒にはまだ水が入っているよ」とギフトする。

「どうして限られた物資しかないのに、あの道の上では当たり前のように分かち合えたのだろう?」

いま思うのは、「信頼」だろうか。
「この道の上では、仮に自分が困ることがあっても、きっと誰かが助けてくれる」
そういう信頼感、そして安心感があった。
だから、誰かが困っていたとき、たとえ自分が絆創膏残り1つしかなくても、りんご1つしかなくても、分けることができたのだと思う。

前澤さんの投稿に「持ちつ持たれつ」「お互いがお互いを支え合い励ましあえるような社会」という表現があったけれど、スペインの巡礼路は、まさにそういう世界だった。

どうしたら「あの世界」がつくれるのか。
卵が先か、ニワトリが先か分からないけれど、世界を信頼し、まずは自分が無理なく喜んでGiveできるものを、Giveするところから始めたい。

(ちなみに、Giveするものは物資だけではなく、温かい言葉、励ましの言葉や笑顔、自分が知っている情報や知識など、目に見えないものでももちろん良いのだと思います。
とにかく、自分が無理せず、喜んできるところから(←ここポイント。無理は続かないから)、ちょっとづつでも行動すると、ちょっとづつでも、世界はギフトで満ち溢れる方向に変わっていくのかな、なんて思います🌈💖。)

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


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