一般会社員(ピラティスインストラクター)27歳男子の僕のこと
みなさん初めまして。
都内でピラティスインストラクター(正しくはエデュケーターと言いますがそれは後ほどお話ししますね)をしてます。
まずなぜ僕がこういうものを書こうかと思ったかというと、単に僕の経験や書いていることが誰かの助けになればと思ったからです。まぁ、そんなに大層な経験してないんですけどね、ありのままを書きます。
さて、前置きはこれくらいにして、まず信用してぼくの記事を読んでもらうために、僕の生い立ちを少しだけ。。。
僕はすごく負けず嫌いなストイックだと思います。(自分で言うのも微妙ですね笑)それは小さい頃からの経験から来てそう…
4歳から今現在まで約23年間アイスホッケーをやっています。アイスホッケー漬けの毎日を過ごしてきた中で出会ったのが現在の職業のピラティスです。出会ったキッカケは就活!!ですね。笑
アイスホッケーは近所のデパートの一角にスケートリンクがあって、そこで活動してるチームに入っていた友達にお前もやろうぜ的なノリで誘われ入部しました。(当時母は4歳の僕になにかを習わせたかったらしく、サッカークラブにも体験入部に行きましたがいじめられて辞めました笑)
僕が入部した瞬間友達は辞めましたね、おい!と思いましたが。笑
アイスホッケーって色々防具をつけていくわけでその防具がまた高価で、母子家庭だった(物心ついた時から父はいませんでした、この話も後ほど…)僕の家庭には到底買えるものではなく殆ど貰い物で最初はスタートしました。ちゃんと防具を揃えたら子供でも10〜20万はいきますね。でも貰い物なのでフィットしなくて足も痛い、頭も痛い、ていうか氷の上で滑るのキツ!!むずかしい!!って感じで本当にアイスホッケーをやりたくありませんでした…笑
それにプラスしてアイスホッケーの練習時間て夜遅いんですよね、早くて22:00〜とか。それがまた嫌でした。笑
そんなこんなで嫌々ながらも始めたチームが松戸リトルスターというチームでした。松戸??お気づきかと思いますがアイスホッケーというと東北か北海道出身かと思われがちですが千葉県出身なんです。笑
このチームでは自分の身体を思い通りに扱えない難しさを学んだと思います。滑り方、シュートの打ち方、パス、本当に基礎を習いましたね。シュートを浮かせることができる先輩がかっこいいと思っていたのを今でも覚えてます。ただ嫌々やっていた僕は母に着替えさしてもらってたのですが防具をつけるのが1番嫌でした。
でもそんな嫌々だったアイスホッケーを24年も続けられているひとつのきっかけは母の『ロボットみたいに変身だね!!』というひと言であれ?なにそれ?かっけーんじゃね?と思い、ノリノリでハマってくことになりました。
僕はこのアイスホッケーで、続けることの難しさや楽しさ、苦しさを体験できました。
さて、続きはまた次回に。
素敵な夜を!!
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